30 祖父母
国王夫妻との面談の三日後は、シャーロットの休みの日だ。
朝のうちに王城前の広場に到着したリックは目立たない場所にいた。
広場の端に植えてある菩提樹の幹を背にして、広場に入ってくる人を見ている。少しでも動きの怪しい人物がいたらシャーロットに「こっちに来るな」と合図するつもりでいた。
「リック、なんていうか、あなたから殺気が出てる気がするわ」
「えっ。クレールがそう感じるなら、その手の人間には丸わかりだな」
「私がいるから農民がお城見物してる、くらいに思われるわよ。安心して」
リックとクレールがそんな会話をしていると、シャーロットが城の方からキョロキョロしながら広場に現れた。クレールが少し呆れたようにつぶやく。
「やっぱり目立つわねぇ」
「目立つな」
「森の中でひっそり育てても隠しきれないものって、あるのね」
「ああ、そのようだ」
リックとの打ち合わせ通り、クレールが一人でシャーロットに向かって歩き出した。シャーロットがすぐにクレールに気がついてパッと明るい笑顔になり、大きく手を振った。
「目立つから!」
クレールは思わず独り言をつぶやきながら苦笑した。
シャーロットは小走りになってクレールの元に近寄ると、ギュッと抱きついた。
「この前はありがとうございました」
「いいのいいの。私は自分がしたいようにしてるだけ。お父さん、もう来てるわよ」
「どこに……あっ! いた!」
二人はリックに向かって歩き出し、ベンチにいたリックと合流した。
「お父さん、この前はありがとう。オレリアン殿下が大喜びだったわ」
「そうか。お役に立ててよかったよ。シャーロットがお世話になっているんだ。あのくらいのおもてなしは当たり前だ。笛もあれから作ってるぞ」
「ありがとう! それでね、話があるの。もし私のお祖父様たちがいらっしゃったら、国王陛下がお城に来てもらいなさいって。一緒に話し合いましょうっておっしゃってくださったの」
ニコニコしていたリックとクレールの顔が強張った。
「シャーロット、お前、陛下に自分の生まれのことを話したのか?」
「ううん。話したのは職場の責任者よ。クレールさんが信用できそうって言ってくれたルーシーさん。そのルーシーさんが国王陛下と王妃殿下に相談したの」
クレールが困った顔になった。
「それ、大丈夫なの? これ幸いと国を出て行けって言われないの?」
「大丈夫、だと思います。王妃様が『ソフィア様が気の毒だ』って泣いてくださったんですって。だから私のことも助けてくれるって」
「それが本当なら安心だが……」
リックは王族や貴族に不信感がある。話が大事になっていることに戸惑った。
「あっ。もしかしてあの馬車じゃない?」
シャーロットが指さした方向から黒塗りの馬車が広場に入ってきた。
四頭立ての立派な馬車は家紋こそ描かれていないが、造りが上等なことはひと目で見て取れる。その馬車はリックたちから少し離れた場所に止まった。
「行こう」
「はい、お父さん」
三人が緊張して近づくと、使用人らしき男性が御者席から降りてドアに手をかけたが、開けてもらうのも待てないように六十歳くらいの男性が馬車から降りて来た。その男性は振り返って手を差し伸べ、同じ年代の女性が馬車を降りるのを手伝っていた。
二人は馬車を降りると感動の面持ちでこちらに歩いてくる。
まず、リックが頭を下げ、シャーロットを紹介してくれた。
「閣下、この娘がシャーロットでございます」
「初めまして。シャーロット・アルベールでございま……」
淑女の礼をしようとしている途中で、シャーロットは祖父に抱きしめられた。
「ああ、なんてそっくりなんだろう。シャーロット、私がお前のお祖父さんだよ。フェリックス・エルベだ。ジョセフィーヌ、ソフィアに似ているなんてもんじゃないな?」
「ええ、あなた。まるでソフィアが生きているかのようです。わたくし、胸がいっぱいで……ケヴィン、ありがとう。あなたたちがこんなに立派に育ててくれたのね」
クレールは(老夫婦はどことなくシャーロットに似ている)と思いながら、距離を置いてこの出会いを見ている。
「閣下、大切なお話があります。シャーロットが言うには、ランシェル王国の国王陛下が閣下と話し合いたい、とおっしゃっているそうです」
「なんと。エリオット国王が? 本当か?」
「本当です。私も三日前にそう聞いたばかりで、ご連絡を差し上げられませんでした」
シャーロットの祖母ジョセフィーヌは、しみじみした顔でシャーロットを見る。
「顔形が似ているせいか、声までよく似ているのね。ねえ、どういう状況なのか、お城に向かう前に私たちだけで一度話し合ってからにしませんか?」
「ケヴィン、我々からもお前に伝えねばならないことがある」
落ち着いて話そう、ということになり、リック、シャーロット、前侯爵夫妻の四人は馬車の中へと戻った。クレールは自分の馬車で待っていると言って戻って行った。
馬車の中で、まずフェリックス前侯爵が苦しげな表情で口を開いた。
「ケヴィン、君は今リックと名乗っているんだったな。君の妻リーズは去年、病で亡くなっている。君は記憶が無いそうだが、二人で馬車に乗ってリーズの兄に会おうとしていたのだよ。そこで君は土砂崩れに巻き込まれ、リーズは馬車から降りていて無事だったが、既に重体だったようだ。兄のエイデンに看取られて、息を引き取っている。エイデンが詳細に手紙で知らせてくれたのだ」
母のことは覚悟していたシャーロットだったが、やはり他者の口から聞かされるとつらかった。唇を噛んで目を潤ませるシャーロットの隣に座って祖母が抱きしめてくれた。
「ありがとうございます。母が病気なことは知っていましたし、ずっと連絡がないので覚悟はしていました。母が独りで亡くなったのではなく、身内に看取られて神の庭に向かったのなら、安心しました」
「シャーロット。あなたはなんてしっかりしているんでしょう。でもいいのよ。泣きたい時は泣いたほうがいいの」
シャーロットは自分の頬にいい匂いのハンカチをそっと当ててくれる祖母を見た。
上品で善良そうなその女性は、娘を失い、孫もいなくなり、どれだけ悲しい時間を過ごしてきたのだろう、と思う。
「リーズは年に一度ずつ手紙を送ってくれていました。あなたがどんな言葉を話し、何をして遊び、何を見て笑ったか、書き送ってくれていたの。だから私たちは希望を失わなかった。こうして顔を見て触れることができるなんて思ってはいなかったけれど、心の中にはいつだってあなたがいたのよ。リーズは本当に忠義者でした」
リックとシャーロットが同時に驚いた。
「そうだったんですか」
「そうだったんですね。私は全く知りませんでした」
「それで、エリオット陛下はなぜ私たちを招いてくれるのだろう。シャーロットを庇えばバンタース王国との関係を悪化させこそすれ国の利益にはならんだろうに」
「私も本当のところはよくわかりません。でも、とても優しいお言葉をかけてくださいました。王妃殿下が『他人事とは思えない、ソフィア様の気持ちを考えると切ない』とおっしゃって」
前侯爵が深くため息をついた。
「人と言うものは自分のために身内の命を狙うこともある。その一方で損得抜きで他人を守ろうとしてくれるのもまた、人なのだな」
「シャーロット、あなたは周りの人に守られているのね。ソフィアに守られ、ケヴィンとリーズに守られ、今は国王が守ろうとしてくださっている。あなたはそういう星の下に生まれたのかもしれないわね」
「ありがたいことだと思っていますお祖母様」
「まあ、そう呼んでくれるのね。私たちはあなたに何もしてあげられなかった不甲斐ない祖父母なのに」
「シャーロットや、どうか私のことも呼んでくれるかい?」
「はい、お祖父様」
フェリックス前侯爵は顔をくしゃくしゃにして妻の肩を抱いた。
「ジョセフィーヌ、長生きしているといいことがあるものだな」
「ええ、あなた。私たちはこれからも長生きしてシャーロットを見守らねばなりませんよ」
シャーロットはその言葉を聞いて温かな感情に包まれた。
両親が帰って来ない間、ずっと心細く孤独だった。同僚や先輩に恵まれてはいたが、誰かと深く関わろうとする心の余裕がなかった。
なのにここへ来て急にクレール、シモン、王族の方々、庭師のポールやスザンヌ、ルーシーと、多くの人が自分のことを心配してくれる。
「あっ、そろそろ向かったほうがいいかもしれません。陛下が待っていらっしゃるんです」
「そうだな。行こうか」
クレールに断りを入れて、四人は城へと向かった。
シャーロットは胸の中の変化に気がついた。
あまりに惨めで誰にも言えなかったが、この一年の間(私は産みの親に捨てられて、育ての親にも見捨てられたのではないか。私の何かが悪くて二度も捨てられたのではないか)という考えが繰り返し浮かんできて消えなかったのだ。
だから周囲から美しいと褒められるたびに(顔がなんだ。私は二度も親に捨てられたのに)と思ってしまい、そんな自分を持て余していた。惨めな気持ちと暗い感情を、忙しく働くことで必死に忘れようとしていた。
だけど、本当はそうじゃなかったと、今は知っている。
実母は自分を守るために両親に自分を託してくれた。
父と母は必死になって十六年間も自分を育ててくれた。
両親が帰って来なかったのは自分を捨てたからではなかった。
シャーロットは心に吹き続けていた冷たい風が今、ぴたりと吹き止んでいることに気がついた。