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3 ピチット

 家に戻って暖炉に枯れ枝をくべた。

 玄関ドアの前に溜まっていた落ち葉も燃やす。カラカラに乾いた落ち葉はよく燃えて、灰がどんどん溜まる。灰はたくさんの使い道がある。灰に水を加えて上澄みを使えば油汚れが面白いほど落ちる。


 シャーロットの家では、灰にたっぷりの水を加え、上澄みを布で濾した透明な液を瓶に溜めていた。食器洗いだけでなく洗濯にも重宝していた。原液は手荒れが酷くなるほど強いので、水で薄めて使う。原液と獣脂を混ぜて鍋で長い時間温め、髪や身体を洗う液体石鹸も作ることができた。


 沢の水を入れたヤカンを暖炉の火の近くに置き、お湯が沸くのを待った。

 ピチットはシャーロットと一緒に家の中に入り、高い位置に張ってあるロープに止まると、ソファーで飛び跳ねる子供のようにピョイピョイ、ピョイピョイ、とロープを弾ませて遊んでいる。


 拾ってきたクルミは、果肉が乾いて硬く殻に貼り付いていた。

 再び沢に行き、バケツに水を汲んで拾ったクルミを入れ、棒でガラガラとかき混ぜて果肉を剥がし落とした。種だけになったクルミを天板に並べ、暖炉の火の近くに置いて乾かした。水を吸った状態の殻は割りにくいのだ。


 ピチットと遊びながら殻が乾くのを待った。やがてすっかり殻が乾いたら戸棚からクルミ割りの道具を取り出す。

 トングのような形の道具は、繋がっている部分のギザギザにクルミを挟んで割る。ゆっくり殻を割り、中身だけを摘んで器に入れていく。

 全部割り終えると小さなボウルに半分くらいクルミが溜まった。それをひとつ指先で摘んで口に入れた。


「美味しい。でもこれでは朝食どころかおやつにも足りないわね」

「ピチチッ!」

「あなたにもあげるわ。ほら」

 小さなクルミのかけらを手の平に載せて差し出すと、ピチットがじっくり眺めてからくちばしでつついて食べた。


 ロープにぶら下げて乾燥させてあるキャットニップとアップルミントの葉を何枚かむしり、カラカラに乾いているバラの花びらも適当にむしってティーポットに入れた。


 シュンシュンと沸いてきたヤカンの持ち手に布巾を巻いて持ち上げ、お湯をポットに注いだ。三分ほど待って、ポットからカップに注いだ。

 ふうふうと吹き冷ましながら飲むと、ミントの香りが爽やかだった。バラは野薔薇で香りがまだ残っていて、贅沢な気分になるお茶だった。


 お茶を飲み終え、ベッドの掛ふとんを抱えて外に持ち出し、洗濯物を干す棒に引っ掛けた。雑巾を濡らして絞り、テーブル、窓枠、窓ガラス、タンスの上、を拭いた。今度は別の雑巾を洗って硬く絞り、床を拭いた。

 家中全部を拭き終わり、暖炉の前に椅子を運んで目を閉じた。

(今日こそお父さんとお母さんが帰って来ますように)

 そう念じながらウトウトした。


 こうして両親が戻るのを待って休日を過ごす生活が、もう一年になる。シャーロットは両親と一緒に過ごした最後の夜を思い出していた。


 ・・・・・


「シャーロット、どうかこれからも健やかにな」

「シャーロット、お誕生日おめでとう」

「ありがとう、お父さん、お母さん」

「これは私からの贈り物よ」

 母は手編みの靴下をくれた。

「これは父さんからだ」

 父からは手作りの木剣だった。

「赤い靴下! 可愛い! 木剣は今のより重い!」

「あなたは赤が似合うから」

「毎日欠かさず素振りをするんだぞ」


 その日、シャーロットは十六歳の誕生日を迎えて成人になった。少しだけワインも口にして、嬉しくて楽しくて、たくさん笑った。

 最近ずっと母の具合が悪く、寝込んでいる時間も増えていた。でもその夜の母は、青黒い顔色ながらも笑顔だった。


 翌朝、目が覚めたら両親がいなかった。テーブルには朝ごはんと置き手紙があった。


『 シャーロットへ

 よく寝ているから声を掛けずに出かけます。長雨が上がったから予定通りに親戚に会いに行ってくるわね。夜には帰ります。 』


 この手紙を最後に、両親は戻って来なかった。

 

 シャーロットの部屋には、十歳の頃から母の字で書かれた注意書きが置いてある。

『私たちが連絡無しに五日間戻らなかったら、キングストーンの町へ行くこと。エドル商会があなたに仕事を紹介してくれるよう、話をつけてあります。ここで延々と私たちを待つようなことはしないこと』


 これを渡された当時は(なんでこんなこと)と思った。まさか本当にこんな日が来るなんて思わなかったから、シャーロットは不安を呼び起こすこの注意書きが苦手だった。

 

 誕生日の一週間後。九キロ先にあるキングストーンのエドル商会に歩いて行った。


「両親が帰って来ないんです。どこに行ったかご存知ありませんか」

 そう尋ねると商会長のエドルさんは

「全く知らない。役に立ってやれなくて悪いね」

と気の毒そうな顔をした。


 とことん落ち込んで森の中の家へと帰り、シャーロットは泣いて泣いて泣き続けた。このまま一人ぼっちになるのかと思ったとたんに、一日は寂しく、虚しく、夜が長くなった。


 両親が会いに行った親戚というのがどこの誰なのかを聞かされていなかったし、聞いても教えてもらえなかった。

 徒歩では探しに行ける場所に限界があった。

 キングストーンの警備隊も王都の警備隊も「そんな怪我や事故の届けは出ていない」とそっけなかった。王都は遠く、朝早く出たのにあちこち回った帰りは夜になった。真っ暗な夜の街道を一人で歩くのは恐ろしかった。


 食べ物がなくなったから狩りをしながら両親を待った。

 両親が帰って来なくなってから三週間後、最低限の荷物と少しのお金を持って、当時十六歳だったシャーロットは家を出た。


 ・・・・・


『ピチチッ』

 シャーロットが過去の思い出に浸っていると、ピチットがロープからテーブルに飛んできて、テーブルの上でシタッ! シタッ! シタッ! と片足でテーブルを叩いた。


「あら。外に出たくなった?」

「ピチチッ」

「もうすぐ暗くなるわ。あなた、今夜は家の中で眠らない?」

「ピチッ!」

「決まりね。じゃあ、その前に少しだけお散歩しようか」

「チチチッ!」


 シャーロットは狩り用の手製のズボンに着替えると、左手に弓を持ち、矢筒を背中に背負って森に入った。ピチットは付かず離れずの距離の枝を移りながら付いて来る。

 しばらく歩き、遠くの木立の中で木の芽や樹皮を食べている若い鹿を見つけた。風向きを確かめると、自分は風上だった。

 鹿はすぐにシャーロットの匂いに気づいて姿を消した。


「今日はだめか」

 

 シャーロットは帰省するたびに鴨やウサギを仕留めて食料にしていたが、さすがに鹿を仕留めるのは難しい。今夜は小麦粉料理で済ませるしかなさそうだ、と諦めた。

「鹿を仕留めたところで、二日の休みだけじゃ干し肉も作れないもの。これでいいのよ」

 悔し紛れにそんなことを声に出してつぶやいた。


 森の中を歩いて家に戻る。今日はウサギも見つからなかった。ピチットはシャーロットと一緒に家の中に入った。


 ソファーを敷き物ごと動かして床板を一枚外し、更にその隣の床板を横にずらす。そうすると五十センチ四方の板が持ち上げられるようになる。床下の隠し倉庫だ。

 野ネズミにやられないように銅の板で内張りをしてある木箱には小麦粉、塩、砂糖、巣ごと割って瓶に入れてある蜂蜜、獣脂、蜜蝋、ロウソクが入っている。この箱を持ち上げて外すと、その下には壺があり、革袋に入れたお金も置いてある。


「床下の隠し場所は役に立ってるよ、お父さん」

 声に出してつぶやきながら、食材を取り出した。


 油紙で包んでおいた獣脂をナイフで切った。暖炉の石組みに載せて温めておいたフライパンにそれを落とした。切り取られた白い獣脂の塊はたちまち溶けてフライパンの中を滑るように動いた。

 水で溶いた小麦粉の中に茶色い砂糖と刻んだクルミを入れ、よく混ぜてからフライパンに流し込む。

 ジュウッと音を立てる生地をフライパン全面に広げ、端が固まるのを待った。端の方が固まって持ち上げられるようになってから空中に放り上げてクルリと裏返した。


 焼き上がったクルミ入りの小麦粉焼きをお皿に移し、熱々の生地に塩をひとつまみと蜂蜜をたっぷりかけて、ナイフを使ってパタンパタンと四角に折った。

 食事ができることを感謝し、丁寧に食べた。

 ところどころに交じっているクルミのおかげで、味も歯応えもいい。熱々で甘くてしょっぱい小麦粉焼きは、空っぽの胃袋を慰めてくれた。


 ピチットがジッと見ているから塩がついていない端っこを「はい」とテーブルに置いた。ピチットは喜んで首をブルブルッと振りながらツンツンとつついて食べた。


 早めに取り込んだ掛ふとんは冬の日差しを吸い込んでいる。ふかふかのホカホカだ。

 戸締まりは万全。顔と手足の汚れを桶に入れたお湯で落として寝間着に着替えた。

 ピチットがロープにいるのを確認してからベッド脇のロウソクを消した。

 目を閉じ、意識を手放すその直前、父が酔って何かを途中までしゃべり、母に叱られていた場面を思い出した。


「悔しいよなあ。世が世ならシャーロットは今頃はお城で……」

「あなた!」

「お、おお。悪かった。少し飲みすぎたな」

「お酒を禁止するわよ!」

「わかったわかった。悪かったよ」


 ソファーに座っていたシャーロットを両親が振り返った。その目に不安が滲んでいた。読書していたシャーロットは、暗記するほど読んだ本に目を落とし、(何も聞いていませんよ)という顔をした。


「今頃はお城で」

 その続きはなんだったのだろう。

 お城で働いていた、だろうか。

 お城で……


 正解の見当がつかない。シャーロットはそのまま気持ちのいい暖かいベッドの中で寝返りを打ち、夢の世界へと旅立った。


 

 休みの二日目は鴨を狩りに行った。

 だが鴨たちは沼の真ん中にいて、飛び立たせるために石を投げてもシャーロットの方には飛んでこなかった。だから家にいる間は全て小麦粉料理で済ませた。


 暗くなる前にお城に帰り着くには午後の早い時間に家を出なくてはならない。

 いつものように両親に宛てて置き手紙を書いた。


『お父さん、お母さん、お帰りなさい。私はお城で働いています。また帰って来ます。 』


 毎回同じ文面で、日付だけ新しく書き直す。いつかそれを読んだ両親がお城に迎えに来るかも知れない。本気でそう思っていたのは半年くらいまでだったけれど。

 両親はどこかで事故に遭ったかもしれない。

 だが、王都の先のカナンの町までは数十キロある。その日の夜に帰る予定だったのだからカナンの町までは行ってないはずだった。


 探しようがない。待つしかない。

 ずっと中途半端な状態のままだが、シャーロットは(それでも諦めるよりはましだ)と思っている。両親が生きている、いつか帰ってくると思っている間は、自分は天涯孤独ではないのだ。だから今も長い留守番だと思うことにしている。

 

「ピチット、私はそろそろお城に戻るわね。あなた、一緒に来ない?」

 ピチットは首を傾げただけで返事をしなかった。

「そうよね。森の方がいいわよね。お友達もいるんでしょう、きっと」


 シャーロットはピチットを森に放ち、ドアに鍵をかけて家を離れた。

 歩き出してから気がついた。

 ドアの鍵は壊されていなかった。それなら、あの男性はどうやって家に入ったのだろうか。


「もしかして私、前回は鍵をかけ忘れて帰った?」

 どうだったかはっきりした記憶がない。だから自分が鍵をかけ忘れたのだと決めつけて、シャーロットはお城を目指して歩き出した。




 

 

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コミック『シャーロット』
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