29 絵姿
国王にずばりと核心を突かれて、シャーロットは固まったままゆっくり二度瞬きをした。
その様子を見てクリスティナ王妃が苦笑した。
「悪いわね、陛下はこういうお方なの。持って回った話し方はなさらないのよ」
「失礼いたしました。王妃殿下、それはルーシーさんからお聞きになったのでしょうか」
「ええ。私のところにルーシーが相談にきたの。『どうかシャーロットを守ってやってほしい』って。それはもう必死だったわ」
まさかそんな雲の上のお方に相談が行っているとは思わなかったので、シャーロットは一瞬魂が口から抜け出るかと思うほど驚いたものの、必死に気を引き締めてうなずいた。
「私も最近知ったばかりですが、私の出自はそのようでございます」
「君はそれを知ってもなお、侍女として働きたいそうだね」
「はい。私は王族として生きるつもりはございません。行方不明の母も、森で暮らしている父も望んでいないと思います」
国王夫妻が顔を見合わせた。
「養母が行方不明? それは聞いてないが」
「実は、一年以上前に『夜には戻る』と置き手紙をしたまま両親は行方がわからなくなりました。幸い父は戻ってこられましたが、怪我をしたせいでここ十七年間の記憶を忘れております。なので一緒に出掛けた母はいまだにどこにいるのかわからないのです。ですが陛下」
「うん?」
「三日後の私のお休みの日に私の祖父と落ち合うことになっています。もしかしたら母の行方がわかるかもしれません。祖父が来てくれれば、ですが」
「エルベ侯爵家の先代が我が国まで来るのか。場所は?」
「お城の前の広場でございます」
王妃が国王を見つめた。国王が『大丈夫、任せなさい』というようにひとつうなずき、その手の甲に優しく自分の手を重ねた。
「昨夜クリスティナと話し合ったのだよ。シャーロット、我々は君を守ろうと思う」
「陛下……ありがとうございます」
「クリスティナがそなたの母の心情を思いやって泣くのだ。『他人事とは思えない、生まれたばかりのわが子を連れて逃げろと言わなければならなかった、その心が切ない』と言ってな」
それを聞いてシャーロットはハッとした。
(私、実の母の気持ちを全く考えていなかった)と。
帰って来ない両親を心配し、記憶を失った父を悲しみ、いまだに行方知れずの母を案じるだけでいっぱいいっぱいだった。
しかし今、自分の実母を思いやって泣いたという王妃の優しさに胸を締め付けられた。
「わたくし、今の今まで、大変な思い違いをしておりました。正直に申し上げますが、私は育ててくれた両親のことばかりを心配しておりました。私は実の両親の顔を知りません。なので、実の両親の話を聞かされても、漠然と他人事のように受け止めておりました。あまりに冷たい娘でございましたね」
既に目をうるませている王妃が悲しみと優しさを同居させたような表情で小さく首を振った。
「今気がついたではありませんか。神の庭でソフィア様は喜んでいらっしゃるわ。それに、十七歳のあなたが受け止めるにはあまりに大きな事実ですもの、そこまで考えが回らなかったのは仕方ないわ」
「親というものは自分のことより子のことを思うものだ。そなたがこうして元気でいることは、何よりもソフィア殿の魂の癒やしになっているはずだ」
国王がそこで話を本筋に戻した。
「シャーロット、エルベ前侯爵が訪れたら我々も会いたい。シャーロットは我が国の民だ。我々を頼りにするといい」
「そうよ。前侯爵が現れたらぜひ、城にお招きしなさい」
「ありがとうございますっ!」
シャーロットはガタタ、と椅子の音を立てて思わず立ち上がり、深々と頭を下げた。(シャーロット、立つ時に椅子の音をさせてはだめよ)という母のマーサの声を思い出して、胸が締め付けられた。
王妃が静かに立ち上がり、壁際の飾り棚から薄い紙箱を持って来た。それをシャーロットのところまで運んで
「開けてごらんなさい」
と声をかけてから自分の席へと戻った。
丁寧に薄い紙箱の蓋を開け、中から薄紙に包まれたものを取り出すと、中身は二つ折りの高級な厚紙。シャーロットはそこに金色に箔押しされた『ライアン・ダルド・バンタース王太子とソフィア・オルタ・エルベ侯爵令嬢 成婚記念』と書いてあるのを読んで固まった。
二つ折りの厚紙を開く指先が微かに震える。
「ふぅぅ」とひとつ息を吐いて、ゆっくり絵姿を開く。そこにはたくさんの勲章と金モールをつけた正装の凛々しい男性と自分にそっくりな女性が並んで立っていた。女性は薄い水色のドレス姿。白い小花をダークブロンドの髪に散らし、男性の腕に軽く手をかけ、穏やかな笑顔だった。
「これは……」
「あなたがソフィア様にそっくりなこと、これでわかったでしょう?」
この部屋に入ってから驚くことが多すぎて、なんだかふわふわした心持ちでいたが、急にシン、と心が落ち着いた。若くして病没した父。自分をこの世に送り出すのと引き換えに命尽きた母。漠然と『幸薄い人たち』という印象だった両親は、絵姿の中で幸せいっぱいの表情だ。
じっと見つめていたら絵姿にぽたり、と涙が落ちた。
「あっ」
慌ててハンカチを取り出してそっと押し当て、涙をハンカチで吸い取った。ところがぽたりぽたりと涙が落ちてくる。急いで絵姿をテーブルに置いてハンカチで涙の滴を押さえた。
「とても……幸せそうです」
「そうね、幸せいっぱいな時間を切り取った絵姿ね」
王妃の声が涙声だ。
「私ね、この絵姿をみてたくさん泣いてしまったわ。こんなに幸せそうな若い二人が数年後には神の庭へと旅立つなんて、誰も想像しなかったでしょう。本人たちでさえ予想しなかったはずよ。だからシャーロット、あなたはご両親の分まで人生を楽しみなさい。この城で安心して暮らすといいわ」
王妃の優しい言葉でまた涙が生まれてしまう。
(早く泣き止まなくちゃ)
そう思いながら何度も「ありがとうございます。ありがとうございます」と繰り返した。
「この絵姿はいずれあなたが結婚して家庭を持ったらあなたに渡しましょう。今はまだ危険だから私たちが預かっておくわね」
何度もお礼を述べてシャーロットは部屋を出た。ドアの外にはお付きの侍女たちが立って待っていた。彼女たちは泣き腫らした顔のシャーロットを見て一瞬だけ驚いた顔をしたが、さすがに王族のお付きの侍女だ。すぐに品良く挨拶をして見送ってくれた。
シャーロットはまっすぐに衣装部の部屋に向かい、
「ただいま戻りました」
と声をかけた。衣装部の面々はまぶたと鼻の頭を赤くしたシャーロットを見て驚いた顔をしたが、人前では何も聞かない思いやりを示してくれた。
「こちらへいらっしゃい」
とルーシーに言われて奥の部屋に入る。
「王妃殿下はなんて?」
「それが、陛下もいらっしゃって、『この城で安心して暮らしなさい』と」
「はあぁぁ、よかった。これで安心ね。お城の中までは変な人も入って来ないわよ」
「そうですね。ルーシーさん、本当にありがとうございました」
「部下を守るのも責任者の仕事よ」
これが仕事ではないことぐらい、シャーロットでもわかっていた。心からルーシーの配慮がありがたかった。
一方シモンは夕方になってから王妃に呼ばれた。
「お茶会の時は悪かったわね。本当は何か用事だったのではなくて?」
さすがに『シャーロットが心配だったから』とは言いにくい。
「シャーロットが朝の鍛錬の時に『お茶会で何を話したらいいかわからない』と言っていたので様子を見に行っただけです」
「そう。とても楽しくお話できたから心配はいらないわ」
「そうですか」
「シモン」
「はい」
「シャーロットは剣の腕が立つの?」
「はい。相当に」
「そう。あなたが言うなら信用できるわね。ではそろそろ私は仕事に戻るわ」
「はっ。失礼致します」
(なんでシャーロットの剣の腕を聞いた?)と訝しく思いながらシモンは白鷹隊へと引き返した。