27 王妃の決意とレオン
イノシシの柔らかい炙り焼きの肉は、シモンが城に持ち帰った。
(おそらく王家の食卓には出されないだろう)と思い、白鷹隊の仲間に渡そうと考えていたのだが、オレリアンは「父上と母上にも食べさせたい! オリヴィエとアデルにも!」と言い張る。
迷った末にシモンは肉塊を手に王の執務室を訪れた。
「どうしたシモン。オレリアンも一緒か」
「父上! 素晴らしく美味しい肉ですよ! シャーロットの父が焼いてくれたのです」
「殿下がどうしても陛下にとおっしゃるのですが、いかがなさいますか」
壁際にいた侍従がスッとシモンに視線を送る。シモンは男にうなずいた。
「大丈夫だよ、アンリ。僕が毒味をしたし、たっぷり食べたが問題ない」
アンリと呼ばれた侍従は、それでも眉間にうっすらシワを作っていた。
「父上?」
楽しかった見学の余韻で瞳をキラキラさせているオレリアンを見て、国王は(食べないという選択肢は無さそうだ)と笑った。
「父上、少し温めるともっと美味しくなるとシャーロットの父が言ってましたよ!」
「そうか、では温めてもらおうか」
「陛下……」
「大丈夫だ」
「ですが」
父と侍従のやり取りを聞いていたオレリアンが癇癪を起こした。
「もういいです、僕が全部食べますから! みんなに喜んで欲しかったのに!」
「殿下……」
「アンリの意地悪。もういい、全部僕が食べる!」
「わかったわかった、オレリアン、お前はたくさん食べてきたのだろう? 父の楽しみを奪わないでおくれ。父も食べてみたい」
そんなやり取りがあって、イノシシの炙り焼きは温められ、毒味をされたあとで上品に少量を盛り付けられた。長時間煮込んだかのように柔らかいイノシシは臭みもなく、王家の皆が喜んで食べた。
オレリアンがこの肉はどこでどんなふうに焼かれていたかを得意げに説明し、シャーロットが笛を吹いたら刺繍と同じ小鳥がやって来たこと、自分の肩に止まって歌を歌ってくれたこと、リスが隠しておいたクルミをシャーロットが高い木の枝から取ってくれたことを話し続けた。
四歳のアデル王女は感心しながら兄の話を聞いているのだが、面白くないのは六歳のオリヴィエ王女だ。
(なぜ自分はそこに連れて行ってもらえなかったのか。自分だって刺繍そっくりの小鳥を肩に乗せたかった)と泣きたいような腹立たしいような気持ちで話を聞いている。
その様子に気づいたクリスティナ王妃が柔らかな声音で娘に話しかけた。
「オリヴィエも本物の小鳥を見たかったわね?」
「はい、お母様。とてもとても見たかったです」
「その侍女はいろんなことを知っているようだから、今度その侍女を呼んで森のお話をしてもらいましょうか。新しい刺繍を頼んでみるのもいいかもしれないわ」
「お母様、本当ですか? いつですか?」
「明日のお茶の時間にシャーロットを呼びましょう」
オリヴィエは大喜びだ。だが「え?」という顔をしているのはエリオット国王。
「クリスティナ……」
「話を聞くだけです、陛下。下級侍女に森の話をさせるだけです。私たちの周りにいるのは身分の高い者ばかり。民の真の暮らしを知っている者と触れ合うことも、この子たちには必要ですわ。聞いてみたいわよね、オリヴィエ。あなたもそう思うでしょう?」
「はいっ! お母様」
王妃が国王にシャーロットの秘密を伝えてしばらく経つ。
だがいまだに何も聞かされていない。
(陛下は慎重で聡明な方。国と国民のことを第一に考えていらっしゃる。けれど、産む前から我が子を他人に託さざるを得なかった母親の気持ちは、きっと芯のところでおわかりにならないのだわ)と、少しの諦めとジリジリする思いで過ごしていた。
王妃は(具体的な手立ては時間をかけて考えるにしても、まずはその娘に会って『私たちは味方だ、見捨てはしない』と伝えてやりたい)と思っていた。
そんな時にオレリアンのこの話題だ。
オリヴィエの悔しさいっぱいの顔を見ているうちにとある考えが思いついた。シャーロットを子どもたちの近くに置けば、常に護衛も近くにいる。身の安全は確保してやれるし、王族の近くにいるということは城の奥深くで過ごすことだ。
下級侍女として働いているよりも人の目にも触れる機会が減る、と王妃は考えた。
自分を咎めるような眼差しでチラリと国王が見たことは承知の上で(シャーロットと子どもたちを会わせよう、子どもたちが懐いたらそれなりの役職を与えて近くに置こう)と決意した。今までなら決してこんな勝手なことはしなかった。いつでも夫の意見を確認してから動くようにしてきた。
(だけど、今回は別)
クリスティナ王妃の実家は何代にもわたって司教や司祭を輩出している家柄だ。
王太子妃に選ばれたのも侯爵家の娘という家柄と、この国の宗教の中枢に影響力を持っている血筋であることから決まった面もある。それは王妃も十分わかっていた。
クリスティナは幼い頃から『神の御前に出た時に恥ずかしくない生き方をしなさい』と言われて育った。『弱き者、困難に直面している者に救いの手を差し伸べることは我々の役目』とも。
(今がその時)とクリスティナは確信していた。
(今、動かなかったら、私は神の庭に立った時、自分の人生を恥じることになる)と思っていた。
その翌朝。剣の鍛錬で、シャーロットの動きにキレがなかった。シモンはすぐに気づいた。
「シャーロット、どうしたの? 調子が悪いの?」
「実は昨夜、ルーシーさんから私が王妃殿下のお茶会に招待されていると言われまして。緊張してあまり眠れませんでした。そのせいかもしれません」
「王妃殿下に? 何の用で?」
「おしゃべりをするだけだそうです。でも私、王妃殿下とお話できるような話題は何も持っていませんから。正直なところ困惑しています」
シャーロットは自分の秘密があっという間に国王夫妻に届いていることを知らない。
一方、それを聞いたシモンは(僕とシャーロットがこうして関わることを陛下が良く思っていないのではないか)と考えた。
陛下が自分とシャーロットの関係に関心を持っていることは気づいていた。
「今日の何時? 抜けられそうなら僕も行くけど。僕は陛下とは親戚なんだ。だから招かれていなくても王妃殿下のお茶会なら参加できる。陛下とは子どもの頃から遊んでもらっている仲だし」
「いえ、そんなご迷惑はかけられません。大丈夫です。今朝はせっかく早起きして来てくださってるのに、申し訳ありませんでした」
頭を下げたシャーロットにシモンが思い切って話しかけた。
「話は変わるけど、君は王都に出かけたりはするの?」
「衣装部のお使いでよく行きます」
「そうじゃなくて、食事とか買い物とか」
「いえ、そういうことはしたことがありません」
「甘いものは好き?」
「甘いもの……ええと、甘いものはあまり食べたことがなくて。でも嫌いではありません」
「え? 食べたことがないってどういうこと?」
そこでシャーロットが急に顔を赤くした。
「私はあの森の家で育ちましたので。獣の肉と野鳥、川魚、庭先の野菜、少しの小麦粉で育ちました。甘いものはベリー類や蜂蜜くらいしか。月に一度キングストーンの町に出かけた時に果実水を飲むのが楽しみな生活でした」
「そうか」
「あっ、でも、お城で働くようになってから同室の人がクッキーをわけてくれましたから、クッキーなら食べたことがあります。クッキーって美味しいですよね! 衣装部の先輩の家でいただいたデザートも美味しかったですよ」
(なんて可愛らしいことを言うのか)
顔を赤くして「クッキーなら貰って食べたことがある」と言うシャーロットを甘やかしてみたい、と思った。
シモンはシャーロットのことを俗世の毒を知らない野の鳥みたいな人だと思っている。少しの会話からでも伝わってくるシャーロットの世間知らずなところ、純真過ぎるところも心配で見ていられない。
「お茶会、僕も行くよ。遅れて参加になるし少ししかいられないけど、君が窮屈な思いをしないで済むように顔を出すよ」
「お気遣いありがとうございます。でも……」
「僕がそうしたいんだ。お茶会は何時?」
「午後二時です」
「わかった」
(下級侍女が王妃のお茶に呼ばれるなんて、聞いたこともない。きっと何か別の目的があるのだろう。もし王妃の呼び出しが自分に原因があるのなら『干渉しないでほしい』と言わねば)と思う。
話はそこで終わり、朝の鍛錬も終わりとなった。
二人が別々の方向に立ち去った後、建物の陰から男が一人ゆっくり現れてシャーロットを見送った。男はバンタース王国の刺客、レオンだ。
レオンはたまたま早く目が覚めた時にカンカンカンという木剣の音を聞いて(見て真似できそうな技があったら参考にするか)と、音を頼りに鍛錬場所を探し当てた。すると、同じ城に勤めていながら全く姿を見かけないシャーロットがいたので驚いた。
二人に自分の気配を気づかれるのを恐れて、連日遠く離れた位置から二人の動きを見続けていた。男の方は一対一ではやり合いたくない腕だったし、シャーロットも相当な腕の持ち主だとわかった。
(うっかりしたら返り討ちに遭いそうだな)
レオンはまだどちらの道を選ぶかを決めかねていた。
迷っているまま、レオンは連日シャーロットの鍛錬姿を眺めている。
人は自分の家に入る瞬間、たいてい油断する。
だから彼女が鍛錬を終えて建物に入る瞬間を狙えばいいのは初日からわかっていた。だがそれは、ゴミとして生き、ゴミとして処分されるかもしれない道を選ぶことだった。
「どうしたもんかな」
そうつぶやいてレオンは下級男性使用人用の建物に戻った。
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