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シャーロット〜とある侍女の城仕え物語〜 【書籍化・コミカライズ】  作者: 守雨


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17 刺繍のピチット

 シャーロットはスザンヌの家で貰った白い布に刺繍を始めていた。糸は捨てられていた刺繍糸を拾い集めたものだ。

 図案はピチット。ピチットを刺繍するなら実物を見る必要はない。いくらでも図案を思い浮かべることができる。飛んでいるピチット、水浴びをしているピチット、羽繕いをしているピチット。


 刺繍は母に徹底的に指導されていたから、多少の自信がある。

 シャーロットはおおまかな輪郭だけを下描きしてすぐに刺し始めた。ピチットに会いたいと思いながら針を運べば、布の上に少しずつピチットが現れてくるのが楽しい。


 ピチットが浮き上がって見えるように、頭と体の部分に何層にも布を敷き込んだ。少しだけピチットが立体的になり、刺繍は生き生きとした仕上がりになった。


 ピチットの刺繍はひと晩で仕上がった。ほぼ実物大のピチットは木の枝に止まって遠くの音を聞いている。丸っこいピチットが真剣な顔で物音を聞いている姿は愛らしく、今にも動き出しそうに見えた。


 くちばしと羽の付け根の朱色、おなかのくすんだ緑、背中の灰色、白っぽい顔に輝く黒檀のような丸い瞳。切り抜いても形が崩れないように輪郭を細かく丁寧にかがった。


「可愛い」


 それを丁寧に切り抜き、厚手の布にしっかりと縁かがりで縫い止めた。最後に糸を切ってシャーロットが顔を上げると同室の三人が自分をじっと見ているのに気づいた。


「え? なあに?」

「シャーロットがそんなに楽しそうな顔をしてるの、初めて見たわ」

 イリヤが嬉しそうに言う。

「そんなに楽しそうだった? この子ね、私が育てた小鳥なの」

「それ、誰かにあげるの?」

「うん。オレリアン殿下に」

「ええええっ!」

「しーっ! もう夜だから静かにしなきゃ」


 シャーロットはそこから三人にみっちりと質問される羽目になった。

 全ての質問に答えて解放されたあと、シャーロットのベッドの下で寝起きしているアンが感心したような声を出した。


「なるほどねえ。木剣の素振りを毎日やってるとシモン様とお話ができて、王子殿下にもお会いできるってわけね」

「そんな話じゃないわよ、馬鹿ね、アン」

「わかってるわよイリヤ、冗談よ。そもそも毎日夜明け前に素振りなんて、私にはできないから。シモン様だって遠くで眺める分にはいいけど、二人で並んで歩くなんて想像しただけで無理無理。白鳥のとなりをガチョウがヨチヨチ歩くようなものだし」


 するとイリヤがチッチッチッと指を立てて振る。


「アン、同室のよしみで訂正してあげるけど、あんたはガチョウじゃないわ、せいぜいスズメよ」

「それもわかってるって! もう、ほんとにイリヤは容赦ないわね」

「シモン様って有名なの?」


 思わずシャーロットが質問すると、三人が怒涛の勢いで答えてくれた。


「有名も何も、あなたあの美貌にときめかないの?」

「私なんか、シモン様を見ることができた日は自分にご褒美として甘いお菓子を許してるわ」

「アン、ご褒美の使い方を間違ってるから! でも、私もシモン様と一度でいいからお話してみたい!」


 彼女たちの話を聞いていたシャーロットは、ある心配にたどり着いた。


「あの、もしシモン様と毎日剣の鍛錬をしてると知られたら、誰かに何か言われるかな」

「絶対に言われるわね。侯爵家のシモン様を狙ってる女性、それも上級侍女とか王族の方々のお付きの女性とかに」

「お付きの皆さんの半分はシモン様を狙っているといってもいいと思う」


 シャーロットは(うわあ)とゲンナリした。

 ただの知り合いだと思っていた男性に「俺を馬鹿にしてたのか」と言われたのも相当傷ついたけど、もしかしたらこれからは女性にも絡まれるのか、とシャーロットは遠くを見つめてしまう。

 しかしシモンにそんな心配が通じるはずもなく、最近は毎日のように夜明け前の素振りの時間にシモンがやって来る。


「おはよう」

「おはようございます、シモン様」

「今日も一緒に鍛錬をしてもいいかな」

「はい、どうぞ」


 しばらく二人で素振りをするが、そのうちお決まりのようにシモンの方から「手合わせを頼む」と言ってくる。断る理由がないからそれを受けて二人で模擬試合になる。今日も二人で鋭い音を響かせながら剣を交えて、いい汗をかいた。


「シモン様、オレリアン殿下にお会いする機会はありますか?」

「あるけど、なんでだい?」

「お渡し願いたいものがございます」

 そう言ってシャーロットがポケットからハンカチで包んだものを差し出した。


「これは?」

「私が可愛がっている小鳥の刺繍です」

「見せてもらってもいいかい?」

「どうぞ」


 シモンがハンカチを開くと、今にも動き出しそうな小鳥が現れた。

「へええ。これはすごいな」

「馴染みのある小鳥なので上手に刺せました」

「殿下がお喜びになるよ」


 シモンの言葉にシャーロットが嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、シモンは息を呑んだ。

(なんてきれいな笑顔だろう)と思うが、それをサラッと言えるシモンではない。

「では、今日のうちに殿下に渡しておくよ。きっとお喜びになる」

「お願いいたします」



 その日の午後、王族の居住区画に向かったシモンは、オレリアン王子に小鳥の刺繍を届けた。だが、そこには六歳のオリヴィエ第一王女もいた。

 シモンがオレリアン王子に刺繍を渡して部屋を出ると、すぐさまオレリアン王子とオリヴィエ王女の間に可愛い争いが繰り広げられた。


「お兄様、オリヴィエもその小鳥が欲しいですっ!」

「だめだよ。シモンは僕にくれたんだ。オリヴィエも見ていただろう?」

「でも欲しいですっ!」

「あげないよ」


 隣同士で長椅子に座っていたオリヴィエ王女がいきなりオレリアン王子の手から刺繍を取り上げようとした。だが、素早く手を上に上げてそれを避ける王子。ソファーの上に立ち上がって更に手を伸ばす王女。

 走って逃げる王子。泣きべそをかきながら追いかける王女。


 オリヴィエ王女付きの侍女はオロオロしていたが、これは収まりそうもないと判断してオレリアン王子に声をかけた。

「オレリアン殿下、その刺繍、少しだけオリヴィエ様に貸していただけませんか?」

「いやだよ、返してもらえなくなる」

「オリヴィエ様、ではわたくしが同じものをシモン様に頼んで参ります。もう少し辛抱してくださいませ」

「ほんとに貰ってきてくれる?」

「はい。ですからもう泣き止んでくださいな」

「早くね? 早く貰って来てね?」


 悔しくて羨ましくて泣いていたオリヴィエ王女が渋々引き下がった。

 オレリアン王子は同じ小鳥を妹が手に入れるのは、なんだか面白くない。

(この小鳥はシャーロットが自分にくれた特別なものだったのに)と思う。

 王女付きの侍女はシモンを探し出し、「小鳥の刺繍をもうひとつ頂けませんか」と頼んだ。シモンは困った顔になった。


「あー、なるべく早く作ってくれるように頼んでみるけど、今日すぐには無理だと思うよ?」

「なるべく早くお願いいたします。オリヴィエ様が泣いて欲しがっていらっしゃいますので」

「そうか。私の配慮が足らず、迷惑をかけたね。わかった。頼んでみるよ」

「よろしくお願いいたします」


 シモンは鍛錬場に向かう途中だったが、向かう先を変えて衣装部へと向かった。ルーシーは(また来ましたか)という顔でシモンを出迎えた。


「シモン様、本日はどのような?」

「度々悪いね、ルーシー。シャーロットが刺繍した小鳥をオレリアン殿下に差し上げたら、オリヴィエ殿下も欲しがっていらっしゃるそうなんだ。もうひとつ作って欲しいとお付きの侍女に頼まれたんだよ」


 ルーシーは背後に向かって声をかけた。


「シャーロット?」

「はい」

「あなたオレリアン殿下に刺繍の小鳥をお渡ししたの?」

「はい。殿下が小鳥がお好きとうかがいましたので」

「もうひとつ同じのを、というご要望が来たわ」

「あっ、はい。では今夜にでも」

「ううん。今すぐ刺繍して差し上げて」

「仕事中なのによろしいのですか?」

「もちろんいいわ。これは仕事よ」


 すぐに材料と道具がシャーロットの前に並べられ、ルーシーが見ている前で刺繍をするように言われた。衣装部の長に見られながら刺繍をするのは大変に緊張する。しかも先輩方も「お手並み拝見」という視線をチラチラ向けて来る。


 シャーロットは緊張して手汗で針が滑るので、何度もハンカチで手の汗を拭きながらピチットを刺繍した。

(全く同じっていうのも面白みがないから、少し変えた方がいいのかな)

 そう考えて、今度は細い枝を咥えているピチットを刺繍した。

 シャーロットはひとりっ子だった上に子どもと触れ合ったことがない。別の図案にすることが新たな火種になるとは考えなかった。


 皆が帰る時間になっても刺繍はまだ終わらず、夜の七時ごろにようやく刺し終わった。ルーシーもそれに付き合って衣装部に残っていた。

「終わりました。遅くなりました」

「確認させて」

「はい」


 ルーシーは老眼鏡をかけてじっくりと点検し

「あなた、刺繍はお母さんに習ったの?」

「はい。幼い頃から」

「見事だわ。この小鳥、まるで動き出しそうね。糸の運びも問題ない、うん、素晴らしい出来よ」

「ありがとうございます。あの、ルーシーさん。余計なことかもしれませんが、第二王女殿下の分は作らなくていいのでしょうか。三人兄妹で二人が持っていたら、欲しくならないかしらと思って」

「そう言われればそうよねえ。お兄さんとお姉さんが持っていたら欲しがるかもしれないわね。シャーロット、頼んでもいい?」

「はい。では今夜刺繍いたします」


 ルーシーはシャーロットが刺繍した小鳥を絹のハンカチで包み、小箱に入れて恭しく王族の居住区域まで運んだ。王女付きの侍女は喜び、オリヴィエ殿下もお喜びだったのだが。

 やはり争いが起きた。


「オリヴィエ、僕のをあげるからそれと交換してよ」

「イヤです。これは私が貰ったものです」

「どうしてさ。オリヴィエは僕のを欲しがっていたじゃないか」

「この小鳥は小枝を咥えていてお兄様のより可愛いからあげません。イヤです」

「交換してくれってば!」


 オレリアン王子がヒョイ、とオリヴィエ王女の小鳥を取り上げ、自分のを差し出した。それを手で払って王女は盛大に泣き出した。


「うわああああん! お兄様が私の小鳥を取った!」

「殿下、お返しくださいませ」

「やだ。僕はこっちがいい」

「殿下っ!」

「いーやーだー!」

「殿下! 走るのはおやめください! 転んだら骨が!」


 それぞれの侍女を巻き込んだ子どもたちの騒ぎは部屋の外まで聞こえていた。何事かと部屋を訪れた王妃。

 その母に泣きながら事情を訴えるオリヴィエ王女。


「オレリアン! いい加減になさい! さあ、それを返してオリヴィエに謝りなさい!」

「えええ」


 こっぴどく母に叱られ、小枝を咥えた小鳥も取り上げられたオレリアン王子は(シャーロットの森の家に行く話は絶対にオリヴィエに教えるものか)と涙目で心に誓うのだった。




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