16 あの日の侵入者 レオン
バンタース王国はランシェル王国の東隣に位置する国だ。
そのバンタース王国では王太子の二十歳の誕生祝いの会が近々開かれる。
当日の少し前から各国の使者が贈り物を携えてやって来る。その使者たちと従者たちの宿泊の準備、夜会の準備。
使用人たちは際限なくある仕事をこなすために走り回っていた。
そんな慌ただしい城の中で、国王ジョスランの私室だけは静かだった。
「それで?」
「いまだに見つかりません。申し訳ございません」
「全く手がかりもないのか?」
「はい。何組かそれらしい親子を見つけましたが、親の外見がケヴィンとリーズの外見に合いませんでした」
「これだけの年月が過ぎても見つからぬとは。もう死んだのかも知れぬな」
「……はい」
「だが引き続き探せ。見つけ次第お前の役目を果たせ」
「はっ」
レオンは国王ジョスランの私室から退室し、すぐに城の庭へと下りた。
(陛下はずいぶんやつれていた。病気だろうか)
ジョスラン国王の贅肉がつき過ぎていた身体は、会うたびに空気が抜けているかのように萎んできていた。肌の色艶も悪かった。
城は建物の中も外もざわついている。その中をゆったり歩きながら、レオンは森の中の家でのことを思い出していた。
レオンはジョスラン国王直属の『私用をこなす使用人』だ。使用人になって最初に受けた指令が「前国王の娘を探し出して消せ」だった。
十七年前に生まれ、産まれた直後に連れ去られた赤子は髪の色も瞳の色も定かではない。『おそらく茶色かダークブロンドの髪』『茶色系の瞳』の他に残された手がかりは、連れ去った侍女リーズと衛兵ケヴィンの外見だけだった。
まずはバンタース王国の隅から隅まで探し回った。
両親の外見を頼りに探したが、捜索は無駄足に次ぐ無駄足。侍女と兵士では生計を立てる手段にも限りがあるだろうと予測して、人が多い街を探し歩いた。しかしそれらしい親子を見つけても人違いばかりだった。
(さては、さっさと国外に逃れたか)と国内に見切りをつけ、ランシェル王国まで足を延ばして探し続けていた。空振りを続けながら町から町へと探し回っているところだった。
連れ去り事件の直後は十名いた捜索隊が、高齢になって抜けたり死亡したりして捜索人は減っていった。人が減っても補充されず、今は事件当時十五歳だったレオン一人。人員が補充されないのは国王の関心の度合いを反映しているのだろうとレオンは考えている。
「こんな夫婦と娘を探している」とキングストーンという町の市場で似顔絵を見せながら捜索していた時のこと。とある商店の奥さんが
「なんだか猟師のリックさんたちに似てるような気がするね。娘もいるし。でも、あなたはこの人達に何の用なの?」
と言い出した。
「僕は甥っ子なんです。彼らを勘当した祖父が亡くなったので、探し出して連れ戻してやれと父に言われて探しているんです」
「そうだったの。でも、あの夫婦はもう長いこと市場に来てないわよ。一年か、それ以上かな。娘さんも来てないわね。引っ越したんじゃない?」
「そうですか。家はわかりますか?」
「さあ、詳しいことは知らないけど、西の森から来てるって言ってたような気がするわね。でも確かじゃないわ」
レオンは丁寧に礼を言って西の森を目指した。
西の森とひと口に言っても森は広い。街道から森に入る道に片っ端から入ってみたが、道が細くなって最後は消える道ばかり。
(これはまた無駄足かな)と思ったが(今日はこの道で最後にしよう)と入った脇道は、最後に森の奥の一軒家に続いていた。
(これが当たりだといいのだが)と近づいたが人の気配はなく、ドアの前にこんもりと落ち葉が積もっている空き家だった。その日はもう暗くなりかけていたから、得意の解錠の技術でドアを開けてその家で夜を過ごした。暖炉にくべる薪はあったが食べ物は一切なかった。台所の物入れをザッと見たが収穫無し。空腹のまま寝ていたら木剣を持った娘に怒鳴りつけられた。
十五歳の少年だったレオンが三十二歳になり、何の成果もないまま費やされた十七年という歳月に疲れと虚しさを覚えるようになっている時だった。
そんな時にあの娘にたどり着いてしまったことは意味があるのだろうか、とレオンは思う。
(信仰心なんて、かけらもないはずなのに)とも思う。
その娘をひと目見て(この娘だ)と確信した。美しい娘は、城にずらりと並べて飾られている歴代国王夫妻の肖像画の、ソフィア前王妃にそっくりだった。
(これで虚しい仕事から解放される)という喜びよりも、(こんな粗末な生活をしている娘を殺すために俺は十七年も旅をし続けたのか)という苦い思いの方がはるかに大きくて、レオンは驚いた。
(どう見ても隣国の国王を脅かす可能性はなさそうな暮らしぶりじゃないか)と美しい娘のみすぼらしい身なりを見て憐れみさえ感じた。
その娘がパンをくれた。これから殺されるとも知らずに。
他人の家に勝手に入り込んで食べ物を漁った男と知ってもなお、なけなしのパンをくれる娘。
(お前はとことん最低な仕事をしてるよな)という声は自分の心の声だったか。それとも一緒に娘を探している途中に流行病で死んだ兄の声だったか。
犬猫でさえ一宿一飯の恩は忘れないのに、と思ったら仕事に入るきっかけを失ってしまった。
お人好しの美しい娘。
腹黒い叔父を安心させるためだけに命を狙われる娘。
レオンはどうしてもその場でその娘を手にかけることができず、いったん小屋を離れた。時間を稼いでから戻って小屋の出入りを見張っていたが、リーズとケヴィンは帰って来なかった。彼らが戻らなくてもあの娘が探し求めていた人物だと確信しているのに、『まだ確証に欠ける』などと自分に言い訳をしていることに苦笑した。
眠れば凍死するであろう寒い夜を、森の中で震えながら過ごした。
翌日の午後、距離を置いて娘を尾行した。娘は来たときと同じ粗末な服装だった。長距離を歩き慣れているらしく、驚くほどの早足で歩いていた。
城の使用人用の門に入って行くのを確認し、宿で眠ろうとしたがなかなか眠れない。
(王族の娘なのに他国の城で使用人をしてるのか)と思うと、ますます自分がこれから為そうとしていることが惨めな仕事に感じられる。
いっそその美貌を利用して贅沢な暮らしをするような女だったら良かったのにと思う。
だがここで諦めたら自分の十七年間が無駄になると思うと、諦めきれない気持ちもあった。
ここで手を引いてしまったら、娘の捜索中に死んだ兄の命を無駄にするような気もした。
夕方、城から出てくる若い男に狙いを定めて後をつけ、酒場の近くで声をかけた。
「仕事で王都まで来たのだけど、この辺でお勧めの酒場はあるかい? 暇つぶしに付き合ってくれたら酒と夕飯をごちそうするぜ?」
「いいんですか。そりゃありがたいな」
カモが引っかかり、酒を勧めて話を聞いた。案の定、あの娘は美しい容姿で知られていた。
「ダークブロンドのスラッとした美人? そりゃきっとシャーロットですよ。どこで見たんです? 市場で? そうですか。あの娘は身持ちが堅くて誰も落とせないんです。それと、これは噂ですけどね、なんでも、両親が行方不明だそうで、休みのたびに家に帰って親を待っているそうですよ。城で働き出した時にはもう親が帰ってこないって言う話だから、一年以上ですかね」
(リーズとケヴィンは行方不明か。一年になるのなら、もう死んでいる可能性が高いな。あそこまで育てておいて投げ出すはずがない)
若い男は酒のお代わりを頼んでやると嬉しそうな顔をした。
「シャーロットの仕事ですか? 下級侍女です。掃除、洗濯、買い物、なんでも引き受ける雑用係です。あー、でも最近は部署替えしたって聞いたかな。あなたもひと目惚れしたんですか? あの容姿は目立ちますからね、わかります! わかりますよ! シャーロットの次の休み? さあ。来月のどこか、くらいしかわからないなあ。使用人の休みは直前に変わることもあるから」
大国の王位継承権を持っているあの娘が、隣国の城で掃除や洗濯の仕事をしている。おそらく、己の出自を知らされていないのだろう。
レオンは迷ったまま王都の宿に泊まることにした。すぐさま行動に出ないのは「ここがお前の人生の分岐点だぞ」という心の声がうるさかったからだ。
ゴミみたいな人生だった、とレオンは振り返る。
ジョスラン国王が王子時代、王都から離れた領地にいた当時、レオンの父親は王子のために汚い仕事を引き受けていた。
レオンの母は父を見限り「いつかあんたは処刑されるよ!」と言い捨てていなくなった。自分と兄は連れて行ってもらえなかった。
父親は自分の身体が老いてガタが来ると、兄と自分に汚い仕事を引き継がせ、金をせびった。
ベッドに大の字に寝転び、天井を眺めながら(最低な男の子どもとして生まれて、俺はこれからも最低なゴミとして生きるのか)と虚しく笑う。
(いや、待て。ゴミは始末されないか? 用が済んでも口封じをされないって保証はないよな? 今もこの役目を担い続けているのは俺一人。俺が死ねば真相は誰も知らない。ゴミがあっさり処分される可能性は?)
レオンは十七年目にしてやっと対象者を見つけた途端に盲目的な服従に疑問を持った。
「やろうと思えばいつでもやれる。急ぐ必要はない。十七年も費やしたんだ」
ジョスラン国王を裏切ったとして、これから先、自分はどう生きればいいのか。まともな職に就いたこともない三十過ぎの男に、果たして真っ当な道は開けるのだろうか、と思う。
どうすべきか結論が出ないまま、レオンはいったんバンタース王国に戻った。
『空振りでした』の定期報告をしてから再びランシェル王国に戻った。
宿の主に「信用がおける職業仲介所はどこだい?」と尋ね、王都にある職業紹介所「エドル商会」へと足を運んだ。エドル商会の主らしい男は笑顔で声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件で?」
「お城なら何でもいいです。募集はありますか?」





書籍『シャーロット 上・下巻』