15 オレリアン王子とシャーロット
衣装係の長ルーシーは少々機嫌が悪かった。
「シモン様、シャーロットは殿下の遊び相手ではありませんよ?」
「それはもう、重々承知しています」
「でしたら、そのようなご要望はシモン様の段階で止めていただかないと困ります」
「申し訳ない。しかし殿下はあの通り、お怪我で動けないので退屈なさっているのでしょう」
「それは存じております。間に入られたシモン様もお困りでしょうから、今日はシャーロットを貸し出します。ですが今日だけにしてくださいませ。我々も雑用係がいないと仕事に差し障りますので」
「助かります」
二人の近くで話を聞いているシャーロットの眉はこれ以上ないくらい下がっている。シモンが衣装部に入ってきた時は、衣装部の女性全員が目をキラキラさせて(何事?)とシモンを見つめた。
だがオレリアン殿下がシャーロットを呼び出していると聞くと、皆が一斉に(ええー、シャーロットを連れて行っちゃうの?)という顔になり、ルーシーは露骨に(困るわね)という顔になった。
シモンがルーシーに何度も「すまない」と詫びを入れてから、シャーロットと二人で王族の居住区域に向かって歩く。
歩きながら事情を説明してくれた。
「先日の朝稽古を殿下がご覧になっていたようで、君に会いたいとおっしゃってるんだよ」
「私は一体何をすればよいのでしょう」
「わからない。殿下は腕を骨折なさっているから剣の相手ではないし。話し相手かな」
「私、淑女のマナーは母に習っただけで、殿下の前でちゃんとできるかどうか、全然自信が……」
「その辺は私的な面会だから大丈夫だよ」
歩き進むうちに壁には精緻な柄の織物や由緒ありそうな絵画が並ぶようになった。
真っ白で大きな扉の前でシモンが足を止めた。ドアハンドルは金色で、握り部分には細かいツタ模様が刻まれている。
(このドアハンドル、模様が細かくてお掃除するのが大変そう)と思いながらシャーロットがそれを眺めていると、シモンのノックに応じて中から可愛い声が聞こえてきた。
「入っていいよ」
シモンに続いてシャーロットがオレリアン殿下の私室に入る。
南側一面の大きな窓から入る陽射しで広い部屋は温室のように暖かい。それまで寄りかかっていたソファーの背もたれから殿下が身体を起こした。
「やあ、あなたがシャーロットなの?」
「オレリアン殿下にご挨拶申し上げます。下級侍女のシャーロット・アルベールでございます」
「鍛錬の様子、見たよ。女性なのにシモンに負けずに剣の稽古をしていたね。あなたは騎士の家の出なの?」
「いえ。私の父は猟師でございます」
「へえ! 猟師って森で動物を狩るんでしょう? なぜ君の父親は剣を扱えるの? 誰かに習ったの?」
「父がなぜ剣を扱えたのかは私にもわかりません。私は他の家を知らずに育ちましたので、父親とはそういうものだと思い込んでおりました」
そこから先はワクワクした顔のオレリアン殿下の質問攻めが続き、シャーロットは尋ねられるままに自分の生い立ちを話した。シモンは、シャーロットの過去を聞いて驚いていた。
「今も休みのたびに家に帰っているのかい?」
「はい殿下」
「一人で森の中の家にいるのは寂しいだろう?」
「いいえ。私が育てた小鳥が会いに来てくれます。私の子どものような小鳥なので寂しくはございません」
「小鳥?」
シモンは(あ、これはまずい)と思った。オレリアン殿下は生き物、特に野にいる小鳥が大好きなのだ。
(これは絶対にその小鳥を見たいと言い出すな)と思った直後に殿下の明るい声が広い部屋に響いた。
「シモン! シャーロットの家に行きたい。その小鳥に会いたい! いいだろう?」
「殿下、陛下のお許しがあれば」
二人のやり取りを聞いてシャーロットが慌てた。
「シモン様! 無理です。我が家は森の中の小さな家です。殿下をお迎えするなんて、できません!」
シャーロットの小声を聞き取って、オレリアンはウンウンと鷹揚にうなずく。
「心配はいらないよ。民の暮らしを知るのも王族の務めだからね」
「違いますよね、殿下。シャーロットの育てた小鳥が見たいだけですよね?」
「そうとも言えるが民の暮らしを見に行く勉強とも言える」
シモンが「ふうぅ」と天井を一度見上げてからニッと作り笑顔で意見を述べた。
「では殿下、陛下のお許しが出たらお連れしましょう」
「ええー。きっと父上はお許しくださらないよ」
「では私はご案内できませんね。殿下、シャーロットは仕事がありますので。そろそろよろしいですか?」
「シャーロット、もう少し。もう少しいいかい? 森の中の話を聞きたいんだ」
そう頼み込んだ時のオレリアンは生意気盛りの王子ではなく、抱えきれないほどの好奇心を持ちながら限られた世界で暮らしている男の子の顔になっていた。
シャーロットはこの王子が少し気の毒になった。(贅沢な暮らしをなさっていても、お立場上わずかな自由しかないのでしょうね)と思ったのだ。
「はい、殿下。では森の暮らしのお話をいたしましょう」
「ありがとうシャーロット! シモン、お前はもう仕事に戻っていいよ」
あっさりそう言われてシモンが壁際の兵士に視線を向ける。顔なじみの護衛が(あとは任せろ)と言うようにうなずいた。
「では殿下、失礼いたします」
そう言ってシモンは退出した。シャーロットのことが心配だったが、やるべきことはたくさんある身なのだ。職場に連絡しないまま既にだいぶ遅刻していた。
シモンが退出したあと、シャーロットは王子の向かい側に座ることを許され、森の家での暮らしについて話した。
弓矢で鴨やウサギ、イノシシや鹿を狩っていること。毛皮を剥いでなめして、襟巻きやコート、ブーツを作ること。その肉を暖炉で調理すること。暖炉の灰で洗濯をすること。ピチットと一緒に森に出かけ、クルミを拾って食べること。
オレリアンは勇者の冒険譚を聞いているかのように、身を乗り出し、目を輝かせながら聞き入っていた。
今までこの王子の周囲にいたのは全員が貴族出身の侍女や護衛だった。彼らからは自分が知っている世界の話しか聞けなかった。
だから動物好きなオレリアンにとって、シャーロットの話は胸躍る夢の世界の話だった。
「シャーロット、僕、やっぱり君の家に行きたいよ。シャーロットが弓で狩りをするところを見たい。森でクルミを拾って食べてみたい」
「殿下、森はつまずきやすく、危険な動物もいます。お怪我が治ってからになさいませんか? それと、陛下のお許しが無ければ、殿下をご案内したくても私にはどうしようもないのでございます」
しばらくオレリアンは考えた。
ただ願い出ただけでは父も母も許してくれないことはわかっていた。
(何かのご褒美、という形にしないとならないな)
そう考えたオレリアン第一王子はいいことを思いついた。
「わかった。ではシャーロットの家に行けるよう、勉強を頑張るよ」
「はい、殿下。頑張ってくださいませ」
ホッとした顔になって丁寧にお辞儀をしたシャーロットが出て行く。それを見ながら、オレリアンは考えた。
父が最も喜ぶこととはなんだろうか。
「学問だろうな」
そう声に出してスタッと立ち上がる。そのまま机に向かい、侍女が引いてくれた椅子にゆっくり腰を下ろした。片腕を動かせないだけでバランスを取るのに神経を使う。医師も「片腕を固定している時は転びやすいのでお気をつけて」と言っていた。
「さて」
そう言ってオレリアンは「ランシェル王国の歴史」という本を開いた。いつもなら退屈する本だが今日は違う。
これを次回の授業までに頭に入れておけば教師が驚くだろう。そして父に『殿下は頑張っておられます』と報告するだろう。
すると父がご機嫌になり、『何か褒美を』と言ってくれたらこっちのものだ。その時は『民の暮らしをこの目で見てこの国の政治がちゃんと行き届いているか見学したい』と言うのだ。
「うん、完璧な計画だな」
そう独り言を言って、オレリアンは無事だった右手で本の要点をまとめて頭に入れることに没頭した。





書籍『シャーロット 上・下巻』