13 スザンヌの実家
「スザンヌさん、ここって」
「私の家よ。うちの母さんの料理、すごく美味しいの」
「どうしましょう。私、何も手土産を持って来ませんでした」
「そんなこと気にしなくていいから。さ、入って入って」
スザンヌの家は洋品店の二階だった。一階の店はスザンヌの両親のお店だそうだ。
「いらっしゃい! スザンヌがお世話になってます。うちの娘をよろしくお願いしますね」
スザンヌにそっくりな小柄でぽっちゃりした母親が笑顔で迎えてくれ、ワラワラと寄ってきた三人の弟妹たちが興味津々という顔でシャーロットを見ている。
「初めまして。シャーロットです。スザンヌ先輩にはいつも優しくしていただいています。今夜は急にお邪魔して申し訳ありません」
「そんなことは気にしないで。うちは六人家族だから、一人増えてもどうってことないの。さあさあ、座ってちょうだい」
シャーロットはスザンヌの隣に座らされ、次々と料理が並べられた。全部が大皿で出されて各自が自分の皿に取り分ける形だった。たちまちあちこちから声がかけられる。
「この鶏肉の煮込みはこっちの茹で野菜と一緒に食べると美味しいわよ」
「母さんのスープはすごく美味しいよ。鶏の骨で出汁を取ったんだよ」
「私はこっちの肉団子が好き! 食べてみて」
スザンヌの弟妹が話しかけてくれる。
シャーロットの皿にはこんもりと料理が取り分けられた。こんなに賑やかな家庭の食事は初めてだ。料理は美味しいし、何よりもこの温かな雰囲気が楽しい。シャーロットはずっとニコニコしながら夕食を食べた。
「細い体で気持ちのいい食べっぷりね」
「そうなのよ母さん、それでこの体型なんだもの、羨ましいったら」
なんと答えていいかわからず、眉を下げた顔で微笑むシャーロットに、スザンヌの妹が話しかけた。
「シャーロットさんは背が高いんですね。羨ましいです」
「そうですね、高いほうですね」
「シャーロットさんのご両親も背が高いの?」
「どうでしょう。私は本当の父も母も知らないからわからないの」
それまでガヤガヤしていた食卓が一気に静かになり、スザンヌが慌てた。
「ごめんねシャーロット、妹が不躾なことを聞いて」
「ううん、全然気にしてないわ。私、今の両親にすごく大切に育ててもらったもの」
スザンヌはシャーロットの両親が行方不明なことを聞いていたから、これ以上この話題が続かないように急いで話題を変えた。
「シャーロットはあのドレスがぴったりだったのよ」
「そうなのよね、お姉ちゃん。私、あのドレスを着こなせる人が本当にいるなんて驚いたわ」
「でしょう?」
姉妹の会話は唐突だったが、スザンヌの両親は何のことかすぐにわかったらしい。
「あのドレスかい? それはすごいな」
「あんなに細くて丈の長いドレスなのに」
「でしょう? シャーロットを見た瞬間にピンときたのよね」
シャーロットはニコニコしながらも次々と料理を平らげている。母の料理とは違う味付け、お城の料理とも違う家庭の味。ひと口ごとに感動していた。
「そうだ、スザンヌさん、ゴミ箱の中から刺繍糸をもらうのって、いけないことかしら」
「え? 拾ったの?」
「はい。まだ使えそうな糸が捨ててあって、もったいなかったから。いけませんでした?」
「ううん。いけなくはないけど。刺繍が好きなの?」
「好きです。母にみっちりしごかれましたし、自分の好きな柄を刺せるのが気に入ってます」
それまで黙っていた父親が口を挟んだ。
「シャーロットさん、刺繍する布はあるのかい?」
「いえ。これから買おうかなと思っています」
するとスザンヌの父親が優しい顔で母親を見て声をかけた。
「母さん」
「はい、お父さん」
すぐに立ち上がって階下に向かったスザンヌの母親が一枚の布を手に戻ってきた。
「これは仕事で出た端布よ。よかったらどうぞ」
「こんないい布……」
「好きなだけ刺繍をするといいわ」
それは端布と言うにはかなり大きかったが、断るのも失礼だと判断してシャーロットはありがたく受け取った。
「どんな柄を刺繍するつもり?」
「スザンヌさん、笑わない?」
「笑わないわよ!」
「私が育てた小鳥のピチットを刺繍しようかなって」
それを聞いた一番下の男の子が興奮した様子で声を張り上げた。
「小鳥を育てたの? どんな小鳥? ピチットって、小鳥の名前でしょう?」
「ええ。蛇が巣を襲って、他の兄弟は食べられちゃって、ピチットだけは脚が折れていたけれど助けることができたの。でも父はそれを感心しないって言ってました」
「ええっ! どうしてですか?」
七歳か八歳くらいのその末っ子にもわかるように、シャーロットはなるべくわかりやすい言葉を選んでその時のことを話した。
「父は『蛇は生きるために雛を食べた。お前はそれを邪魔した。小鳥は守るべきもので蛇は飢えてもいいと思ったのなら、その理由はなんだい?』って言ったの」
「えー。だって蛇は気持ち悪いし怖いよ」
「私も似たようなことを言いました。そしたら父は『なるほど。お前は見た目で相手の価値を決めているんだね』と言って私の顔をじっと見たんです。なんだか急に自分がいけないことをしたような、でも生き残った雛は可哀想で、どうしたらいいのか本当に困りました」
興味深そうに聞いていたスザンヌの父親が口を挟む。
「それで、そのあとはどうしたんだい?」
「助けた雛の脚に添え木をして巣に戻したけど、親鳥は戻ってきませんでした。蛇を恐れたのかもしれないし、ピチットから人間の臭いがしたからかもしれません。雛はどんどん元気がなくなって鳴き声も出さなくなって。見ていられなくて、また巣から引き取って餌を与えて育てたんです。生みの親に見捨てられた雛が、なんだか自分に重なって見えてしまって。それがピチットです。今も実家に戻ると私と遊んでくれるんですよ」
スザンヌと両親は感慨深そうな顔で小さく頷いていたが、スザンヌの弟妹たちは首を傾げていた。
「つまり、シャーロットさんのお父さんは小鳥が食べられているのを見てろって言ったの?」
「父が伝えたかったのはきっと、よく考えて行動しなさいってことかなって思ったわ。蛇なら飢え死にしてもいいというのも正しくないなと今は思います。父は『その行いは正しかったのかい? よく考えたのかい?』って言いたかったのだと今は思ってます」
小さな子には理解できないかもしれないと思って言わなかったが、それ以来、森の動物が他の動物を食べることは気にしないことにしている。食べられる側を「可哀想」と言って手を出すのは人間の理屈を森に持ち込むことだと思うようになったからだ。
スザンヌの父親が「うんうん」とうなずいている。
「あ。私ばかりしゃべってしまいましたね」
「ううん、いいお話だわ、シャーロット。あなたはそんなにきれいでスタイルもいいのに、一度もそれを自慢しない人だなって思ってたけど、そういう育てられ方をしたからなのね」
「スザンヌさん、私もいつか伝えたいと思ってましたけど、スザンヌさんが笑うと、柔らかそうな右のほっぺが少し凹むとこ、見るたびに得した気分になります」
「ふふっ」とスザンヌの母親が笑った。
「よく気が付きましたね。スザンヌの片笑窪に。ほんとに愛らしいわよね」
「はいっ!」
「ええ? こんなのが?」
「愛らしいです。すごく魅力的」
「ふうん」
スザンヌは満更でもない顔をした。
その夜はデザートにリンゴをバターで炒めてシナモンを振りかけたものが出された。好みで蜂蜜をかけるのだそうだ。りんごはとろりと柔らかいけど歯応えが残っている絶妙の火加減で、満腹のおなかにスルスルと入った。
お礼を述べて帰るシャーロットをスザンヌと十五歳だという弟さんがお城の門まで送ってくれた。
「ごちそうさまでした。送ってくださってありがとうございます」
「おやすみなさい、シャーロット。楽しかったわ」
スザンヌが背伸びしながらギュッとシャーロットを抱きしめてくれた。抱きしめられて気がついた。
(誰かに抱きしめられたの、母さん以来だわ)
賑やかなスザンヌの家から戻ったお城は、硬い石の通路、制服を着て早足で歩く人、書類を見ながら会話して通り過ぎる二人組。
(ここは恵まれた環境の仕事場だけど、住むのには少し寂しい場所ね)
シャーロットは無性にピチットに会いたくなった。





書籍『シャーロット 上・下巻』