読“書”感想文
とことん捻くれた性格の私がこの作品を読んで最初に抱いた感情は「苛立ち」でした。おそらく、多くの素直で無垢な読者の方々は、彼の綴る温かく慈愛に満ちた言葉から安らぎを受け取り、挫けそうな気持ちに火が灯り、心地の良い読後感に浸れるのではないかと想像します。
どうして私が今もなお多くの人に愛される素晴らしい作品に対して、不遜にも腹を立ててしまったのかというと、読者に対して「無責任な安心感」を与えている、より悪い表現を用いるなら、押し付けているような違和感を覚えたからです。彼が創り出した世界はどこまでも寛容的ですが、現実にはそのような安全な楽園などどこにも存在していません。
世の中には些細な一度のミスが社会全体を揺らがす大問題に発展しかねない、厳しい重圧の中、骨身を削り働いている方々がたくさんいらっしゃるでしょう。だからこそ彼の文体から醸し出されるフランクさが、私にとっては傲慢で能天気な無神経さのように感じられて仕方なかったのです。
ところが、私は何度も読み返すうちに、作品の裏側に隠された背筋が凍りつくような作者からのメッセージに気付いてしまったのです。彼の世界の中で失敗が許され、慰められるのは、あくまでも「人間」のみ。つまり、ひとたび社会の歯車となってしまった者達には、どんな小さな躓きさえ決して見逃されることなどありません。
歯車の中には貧困に喘ぎ差別に苦しむ社会的弱者だけでなく、近い未来に現れるであろうアンドロイドなども含まれることになるでしょう。この非常に残酷な現実を逆説的に表現すること。それこそが、作者の真の狙いだったのです。
新たな視点から文章を俯瞰して眺めれば、のどかで欠伸の出るような牧歌的な風景は、荒れ果てた無法地帯、殺伐としたスラム、まるでディストピアのような世界観に様変わりします。人間として生きることが許されず、ごく一部の特権階級のために日夜命を削りながら仕事をする労働者たち。そのような集団の一人として作者が社会の歪みを訴えた声なき魂の叫びこそ、この作品だったのではないでしょうか。
彼の言葉を補足するなんて身の程知らず、分不相応の極みですが、以下の文章ならば受ける印象が全く変わるはずです。
「どんなに失敗しても、つまずいてもいいのです。(だってあなたはまだ)人間なのですから」
私は、自らの浅はかな人生観をがらりと塗り変えてしまうようなこの偉大な書に出会えたことを今では本当に心の底から感謝しています。
読書感想文『相田みつを「つまづいたっていいじゃないか 人間だもの」を読んで』
二年三組 出席番号21番 田中奏多
※1984年 相田みつを『にんげんだもの』(文化出版局)より引用




