彼女の考える美しい愛について
あなたは愛をどれくらい信じているだろうか?
家族や恋人を愛しているとして、同じだけ愛し返されると分かっているからかもしれない。では、見返りを得られなければ消えてしまう愛は本当の愛といえるだろうか。
見返りを求めない愛は美しい。更にいえば、報われない恋をするひとも。そんな恋にひた走る息子に慌てた親が、婚約者にとあてがったのがわたしなのだけれども。
婚約者となった彼は告げた。
「貴女を愛することはない、と」
嘲りをこめた、冷ややかな眼差しを思い出すと胸が熱くなる。はう、と頰を赤らめて恍惚にひたるわたしに、友人のアイヴィは顔を引きつらせた。
「まさか貴女にそんな性癖があったなんてね」
肩をひそめたアイヴィはティーカップを持ち上げてから、落葉が中に入っているのを見て、そのまま置いた。
秋のテラスは肌寒く、私たちの他に誰もいない。
「私の飲みます?」
「やめてよミラ、お行儀が悪い……心配してたけど損したかしら」
アイヴィがガラス向こうの食堂をちらりと見た。視線の先に、桃色の髪の少女とそれを囲む男子生徒たちが楽しそうに談笑している。
件の彼、コリウス殿下が恋するのは子爵令嬢のリリアンナさんだ。可憐な彼女は下は下男から上は宰相の息子に魔術師の卵まで、さまざまな殿方から思いを寄せられている。
「殿下もいい加減諦めたらいいのに」
「すごく一途で健気じゃないですか」
アイヴィは半眼になった。
「関係ないみたいなふうに笑ってるけどね、もし、殿下があなたのことを好きになったらどうするのよ」
「え、ありえませんよ!」
ないないと笑うわたしに、アイヴィが言い募る。
「だってあなた、はたから見ると恋い慕う婚約者に振り向いてもらえない可哀想な人に見えるわよ。それに殿下が絆されることだってあるかもしれないじゃない」
「そういうのではないんですってば」
「いいから頑張って想像してみて」
「そう言われても困りますよう。リリアンナさんに恋してる殿下がすきなんですもん」
言葉に詰まったアイヴィがなにかを言いつのろうとして、ぴたりと口を閉じた。背後でギィと扉があく音がした。
「こんなところにいたのか」
「殿下!」
立ち上がったわたしを手で止め殿下がやってくる。
「いかがなさいましたか?」と首を傾げると、氷の様な青い瞳に睨まれた。
「学内パーティに向けてダンスを練習すると言っただろう。部屋の予約までしたのに忘れてたのか?」
「確かにお聞きしましたが……」
ダンスを練習するから部屋を予約すると、確かに殿下は数日前に仰っていた、けれども。
(殿下はリリアンナさんと練習するのだと思ってたのだけど)
断られてしまったのかしら、と頰に手を当てて殿下を眺める。
多方面から懸想されているリリアンナさんは多忙だ。ダンスの誘いも他の殿方に先を越されたのかもしれない。
それに、パーティで最初の一曲は婚約者と踊ることになるのだ……殿下がどれほど嫌がろうとも。
(リリアンナさんもいるところで、わたしが相手とはいえ下手なダンスは見せられないですもんね……さすが殿下、涙ぐましい努力だわ!)
「ええ、そうでしたわ。練習して、パーティで素晴らしいダンスを披露しましょう!」
ファーストダンスを嫌がりながらも完璧に踊る殿下を想像して、おもわずにやけてしまう。
「分かってるならさっさと行くぞ」
顔を背けると、わたしの手首を掴むなり、殿下は歩き出した。耳が赤いのはやはり怒っているからだろうか。
殿下にぐいぐい腕を引っ張られて、わたしも慌てて足を動かした。
投げやりに手をふるアイヴィを残して。
「美しい愛をながめていたい、ねえ……そううまくいくかしら?」
人の心は移り変わるものだけど、という彼女の呟きはわたしには届かなかった。でも、もし聞こえたとしても大して意味を成さなかったに違いない。
血迷った殿下に「あなたがすきだ」と言い出され、絶望するそのときまで、まだしばらくの猶予があったので。