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新規ファンを獲得したのは良かったのですが……


 1982年4月。

 こんな私も無事に高校生になりました。

 勉強嫌いの私でも受け入れてくれる公立高校があったのには感謝しました。とはいえ、私を受け入れてくれたのは、名古屋の自宅から電車とバスを乗り継きぎ1時間半もかかる遠く離れた県立高校しかありませんでした。

 まぁ、勉強というものから距離をとっていましたから自業自得ですけどね。

 

 中学時代は洋楽一辺倒で、邦楽といえば【ラウドネス】を始めとするジャパニーズ・メタルぐらしか聴かなかった私でしたが、高校生ともなるとロック系ではありますが様々な邦楽も聴くようになり、また、念願だったバンドを組んだりもして、そしてそして、生【QUEEN】をこの日で見たりなんて経験をしたりもしましたので、今回からはその辺りの話に進んでいきたいと思います。


「なんでお前、髪が長いんだ。お前、ツッパリだらあ」

「ちゃうて。ってか、なんでみんな坊主頭なんだて」

「ほんなもん、中学では皆が坊主だったからに決まっとるじゃんねぇ」

「そんなん俺の中学は決まっとらへんかったて。ってより、なんで『だらあ、だらあ』言うんだて」

「言っとらへんだらあ」

「言っとるがや」


 入学式で隣に座った、後に生涯の友になったムッチャン(仮名)との最初の会話がそれでした。


 当時、県内でも名古屋市以外の公立中学は、男子は坊主頭と校則で決められた学校が多くありました。なので入学式では私以外の新入生は全員が坊主頭だったのです。

 ごく普通の髪型だった私は、ごく普通の生徒なのに目立ってしまうという可笑しな状況になり、上級生から「新入生のくせにあいつ生意気」など思われたらどうしようなどと心配をしたりもしたのです。

 ですが、さすがに田舎高校だ゙けあってそんな心配は無用でした。

 私が通った高校は本当に平和で、校内暴力やツツパリなどの言葉は遠い存在で、自転車通学ではセーラー服は上着だけでスカートの代わりにジャージという、なんとも違和感のあるスタイルで皆が登校するのに誰も文句を言わないような学校だったのです。

 おまけに同じ県内なのですが、名古屋弁とは違った方言がなんとも新鮮であり違和感もあって、もちろん私以外の同級生は私が名古屋弁を話すことが面白いようでもあり……

 中学時代、東京からの転校生だったカンタロウの標準語に違和感があったのと同じような感じだったのかもしれませんね。

 話を進めます。


「なんだぁ、お前名古屋から来たんかて。ほんで髪が長いんかて。やっぱそんな気がしたじゃんねぇ。なんにしてもよろしく」

「こっちこそよろしく」


 間違いなく日本人なのになぜかアフリカ大陸的な顔立ちをしたムッチャンては、非常に人懐っこく愛婦があり、いつでも笑っているような人物でした。

 同じクラスになったムッチャンとは、双方共に音楽好きと言うことで初日から話が盛り上がりました。

 ムッチャンは基本的に【矢沢永吉】の大ファンでもあるのですが、音楽的に無節操なところがあり、フォークソング、日本のロック、アイドルに詳しいだけじゃなく、なんと詩吟を習っていたという変り者でもありました。


「なんだて、ムッチャンは永ちゃんのファンなんかて」

「おう、ヨッシーの言う【QUEEN】とか【レインボー】とは知らんけど、永ちゃんは最高じゃんね」

「ムッチャンは邦楽が詳しいようだで、色々と教えてくれよ」

「おお、ヨッシーはあれだろ、邦楽っちゅうと【レイジー】【ラウドネス】【アースシェイカー】辺りを聴くんだろうて」

「そうそう、その辺り。あと、たまに【YMO】かな」


 で、このムッチャンには邦楽の良さを入学式の当日からとことん教えられ……


「なるほどな。ほんじゃあ、ちょっと古いけど【甲斐バンド】や【サザン・オールスターズ】なんか好きんなると思うじゃんね」

「まぁ、その辺りは聴かんこともなかったけど、そんなにハマらんかったわな」


 【甲斐バンド】【サザン・オールスターズ】……確かに聴きましたが、そこまではハマらなかったのです。いえいえ、決して嫌いとかそういうのじゃなくてですね……ファンの人、すみません。


「じゃぁ、あれだな、洋楽のロック好きならハマショウだな」

「なんだてハマショウって」

「【浜田省吾】って知らんの?」

「ああ、浜省ね。知っとる知っとる。あれだろ、カップヌードルの宣伝の人だろ」

 

 中学生時代、カップヌードルの宣伝で、【浜田省吾】の【風を感じて】という曲がかっていました。さわやかな曲だと思い気にはなったこともありましたが、洋楽一辺倒だった私はそのまま拘ることもなかったのです。


 ですが、この後、ムッチャンの強烈な勧めで、浜省こと【浜田省吾】に目覚め、初めて組んだバンドでは浜省のコピーバンドだったりもして……

 まぁ、この話はおいおいと……


 入学式から数日経過し、他のクラスメイトとも話をするようになっても、やはりムッチャンといることが多くありました。

 音楽の話で盛り上がるとともに、ムッチャンからは浜省のLPを、そして私はムッチャンに【QUEEN】のLPを貸したりしもしました。

 結果、私は浜省にハマり、ムッチャンは【QUEEN】信者になったのです。


 もちろん、【ザ・ゲーム】までのアルバムを聴かせた結果ですので……


「ヨッシー、この前貸してくれた【JAZZ】に入っとる【ドント・ストップ・ミ一・ナウ】って最高じゃんねぇ。なんでもっと早よう教えてくれんの」

「慌てんでもまだあるて。順番に持ってくるで待っとりゃあ」

「分かった。そういえば【QUEEN】って新しいアルバムがでるんだらぁ」

「あ、ま、まぁな」

「ヨッシー、買うんだろう。買ったら貸してくれよな」

「お、おう」


 そうです。82年の5月といえば、【QUEEN】のニューアルバムが発売された時期です。

 あの迷作【ホット・スペース】がです。


 【ホット・スペース】の噂は発売前から有名でした。

 【ザ・ゲーム】以上にシンセが多用され、そしてまさかのダンスナンバーが入っているとの情報が飛び回っていました。それは先行シングルの【ボディランゲージ】からも想像出来、新作はどんなアルバムなのかと各方面で話題になっていたのです。

 その話題は悪い方が多く、発売前ではある筈なのに、多くのメディアで叩かれていました。

 雑誌では【QUEEN】のメンバーが今までと違う路線だけど気に入ってもらえる筈だとかなんとか、なんだか売れない前提なのかというような記事が載っていたりもしました。


 まぁ、私も【ボディランゲージ】を聴いたときはぶっ飛んだ方でありまして、あのアルバム全てが同じような曲調だったらどうしたものかと、まあ、そんなことを思ったものです。

 ですからせっかく【QUEEN】のファンになったムッチャンに聴かせるのは、果たしてどうなのだろうかと発売前から心配をしたのです。


 そうはいうものの、楽しみにしていたのは事実で、近所のレコード店には予約まで入れて購入をしたわけでありまして……


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