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五大国戦記  作者: 我滝 基博
第1章 忠義の騎士と怠惰な皇弟
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1-6 舌戦

 フィリペによる拒否。それに場が完全に凍り付く。


 意図があからさまなのだから断りたいのは(わか)るが、堂々と言うなど殺せと言っている様なものである。


 実際、フアン帝は怒りに震え、激情のあまり立ち上がった。



「貴様ぁあっ! 愚弟の分際で余の勅命を蔑ろにするかぁあっ‼︎」



 皇帝から怒号を浴びせられたフィリペだったが、その顔は眠そうに平静を保っていた。



「いえ、敵王都陥落など無理ではありませんか? 敵本土にどれ程の兵力があると御思いで? 特に領主の私兵などは必死に抵抗すること必定でしょうに……」


「つまり、命令には従えぬと申すか……?」



 怒りに震えていたフアン帝の表情が不敵に歪む。自分の命令を蹴られた事で、フィリペを殺す口実が出来た事に気付いたのだ。



「そうか、残念だ……仕方がない。仕方がない事なのだ。貴様がこの国の絶対権力者の意に背いたのがいけないのだ……」



 「不味い!」と、カルロスから冷や汗が流れ落ちる。このままでは兄に死刑宣告書が渡され、夜には首だけとなって城門前に晒される事だろう。


 早く弁明させなければ、フィリペの人生は間違いなく詰む。


 カルロスが早く兄に弁明させようと、催促しようと口を開こうとした時、その兄が改めて言葉を発し始める。



「そもそも今回の作戦、本当に勝つ気があるのでしょうか? 明らかに()()()()()()()()としか思えません。敵王都をたった二万ぽっちで()とせとは、戦術と戦略も知らぬ()()()()()したものであるとしか思えません。まさか……この様な策を高貴なる皇帝陛下が御考えになった訳では御座いませんよな?」



 肩をすくめ、不敵な嘲笑を浮かべ、無能という言葉を強調するフィリペ。その瞳は先程まで眠そうに緩んでいた物とはうって変わった、獲物を見る狩猟者の様に鋭いものであった。



「無能な者が立てた策、無能な者の功績にしかならぬものに、何故、私が行かねばならぬのでしょう。しかも、私の様な愚弟が総司令官など、負けよと言っている様なものではないでしょうか!」



 フィリペの口撃は止まらず、周りからも止める気配は無い。フアン帝も口元は引きつらせながらも、怒号を言い淀んでいる。今回の策が無理難題である事は皇帝も自覚しており、別視点から見れば無能な策と言えるからだ。それに、此処(ここ)で怒りを表に出せば、自分がその無能だと自負する羽目になる。



「私は愚かな男です。長年外に出ず過ごしていた愚物です。その様な者が戦で勝利など出来ましょうか! いや、出来ない‼︎ しかも無能な策でなどと……これでは出兵を命じられる皇帝陛下の顔に泥を塗る事になりましょうぞ!」



 演技めいた口調で、仕草で、上手い言葉を、上手い言い回しで、ペラペラと事実を織り交ぜ、臆する事なく口にするフィリペ。自分を卑下する言葉を織り交ぜているのも効果的で、皇帝や御歴々は反論する口実がない。


 最早、舌戦はフィリペが完全に掌握していた。余りにも上手く過ぎて、隣のカルロスは失笑を抑えるので精一杯だった。


 愚弟に舌戦で一方的に惨敗するフアン帝。その怒りは最早爆発寸前で、この場で口実も思慮もなくフィリペを斬り殺したい願望で一杯になりつつあった。


 しかし、それをグッと皇帝は我慢すると、威厳を保って言葉を連ねる。



「なるほど……貴様の言にも一理ある。だが……余は、貴様が思っているより、血の繋がった弟達は皆信頼しておる。お前の実力ならば二万の兵だけで連合王国王都を()とせると確信しておるのだ。だからこそ、この策をお前に授けたのだよ。(わか)ってくれるか……?」



 苦し紛れも良い所だろう。先程、愚弟を連呼していた事を突かれればどうするのか。それ以外でも、このまま言い負かせる言葉を数十通り頭に浮かばせたフィリペだったが、口に出す事は止めた。


 これ以上、皇帝を怒らせれば即座に首を飛ばされかねないのは明白だったし、嘆息だけに留め、また跪き臣下の礼を取る事にしたのだ。



「皇帝陛下の温情がそれ程までとは……承知致しました! このフィリペ・アブスブルゴ・マドリード。陛下の信頼にしかと応えて見せましょう!」



 最後には何とか思惑通りに事が運び、場の一様は肩を撫で下ろし、怒りに苛まれていたフアン帝からも安堵の吐息が(こぼ)された。




 玉座の間を後にしたフィリペとカルロスだったが、疲労感で肩を落とすフィリペを他所(よそ)に、カルロスの機嫌は上々といった感じであった。



「流石、兄上! 皇帝陛下をああも言い負かすとは……周りの御歴々まで反応に困り、怒りに肩を震わせつつ、文句を言う口実すらないので、苦虫を噛み潰す仕方ない。見事に滑稽極まりましたよ!」


「お前は水を得た魚か? 俺の事でよくそんな喋れるなぁ……」


「当然です! 何せ……」



 カルロスは誇りように、自慢気に、嬉しそうに笑みを浮かべる。



「私は兄上が好きですし、尊敬しているのですよ!」



 何とも純粋な言葉を正面から受けたフィリペは、怪訝に眉をひそめる。



「俺に尊敬される価値は無いと思うが……」


「何を言ってるんですか! あの時の事を私は鮮明に覚えております! "〔トゥルエノの戦い〕"で兄上は!」


「あ〜……聞きたく無い! あの事は忘れろ‼︎」



 強く弟の口から漏れる固有名詞を引っ込めさせたフィリペ。彼にとって〔トゥエルノの戦い〕は忌々しい記憶らしい。



「カルロス……俺は怠惰な愚弟だ。それで良いと思ってるし、尊敬されようとも思わん。何せ……堂々と惰眠を貪れるかな!」



 本当にだらしの無い兄に、カルロスは溜め息を(こぼ)すが、やはり、慕うべき兄らしい。先程の命令を思い出し、苦々しく拳を握り締める。



「兄上……この国は腐り切っております。皇帝や御歴々は欲に溺れ、国庫を私的に使い込み、財政破綻寸前まで引き起こしている。民を豊かにするに使うべき国庫をです!」



 エスパニア帝国、この国もまた腐臭が漂い始めていた。


 皇帝を始めとした権力者達は、己が権威が当たり前だと思い込み、金を使い込み、足りないからと言って民に重税を課し始めていた。まるで、金がなる木であるかのように。



「己が金の浪費が、民をどれだけ苦しめ、どれだけ国を荒廃させるか(わか)っていない! いっそ、他国に亡ぼされるべきだと思う程に……」



 皇族として生まれたカルロス。彼は帝国という国を愛している。だからこそ、権力者達に食い潰される今の祖国を、憂うしか無い。


 こんな無様な姿であるなら、滅ぼされてしまうべき、そう思える程に。


 そんな、過剰な、国家反逆に繋がりかぬない弟の発言を、フィリペは眠そうな瞳のまま聞き入った後、告げる。



「カルロス……()()をしないか?」



 唐突な言葉に、カルロスは面食らう。



「兄上、何を……‼︎」


「お前も気付いているだろう……皇帝は俺達を殺す気だ」



 そう、皇帝はフィリペとカルロスを殺す気だ。政敵となりかねない彼等を殺す気だ。


 現在、皇帝達による重税への不満で、民が蜂起し、治世に亀裂が走り始めていた。


 そんな中、民は新たな皇帝に、反乱の身旗に、皇族たるフィリペかカルロスを立てる可能性が高い。


 己が玉座を脅かす二人を、皇帝は直ぐにでも殺したかったのだ。



「まったく……愚弟の俺を、何で殺したがるねぇ……将軍の地位にあり人望もあるカルロスならいざ知らず……」


「兄上……だからといって、亡命など……⁉︎」


「なら黙って死ねって言うのか? こんな一部の欲による無価値なもので? お前もさっき言っていただろう。こんな国滅びれば良いと……」


「それは、言葉のあやと言いますか……」


「それに……俺の抹殺は確定だ。この戦いは勝てない。負ければ戦死するか、戻っても敗戦の責で処刑。先程、上手く死は避けようと言葉で反撃してみたが……やっぱ権力には勝てんかった。そして……俺の次はお前だろう。人望があるお前を殺す方法、それが見つかり次第、皇帝はお前を殺す」



 帝国の絶対権力者、皇帝フアン・トレド・マドリード。彼が皇帝である限り、彼の治世たる帝国にいる限り、フィリペとカルロスは必ず殺される。



「だから……何処(どこ)かに亡命しよう。そうすれば、少なくとも生きる事は出来るだろう」



 亡命。祖国を裏切り、捨てる行為である。まして二人は皇族だ。許されざる所業だろう。


 しかし、このままでは二人共死ぬ。それを打開するには祖国を裏切るしか無い。フィリペの浮かんだ解決策はそれしかなかった。


 カルロスはそんな兄の意見に戸惑いはしながらも、妥当だと思った。立ち向かっても潰されるのだと判明している以上、死地から逃げるのが残された道しかない。


 だから、フィリペの提案にもカルロスは揺れた。


 しかし、首は縦には揺らず、横に振る。



「亡命は出来ません……」


「そうか、仕方ない……」


「なので()()しましょう! ()()()()()させれば良いのです!」



 唐突な弟の提案に、今度はフィリペが面喰らい戸惑った。



「何を言ってるんだお前は……無理だから困っているんだろう」


「やってみなくては(わか)らないではないですか! もしかしたら、勝って勝って勝ち進んで王都を()れるかもしれません。いえ、()るんです! ()って皇帝陛下の鼻っ柱を折り、戦々恐々と陥れてやるのです‼︎」



 カルロスの言う事は魅力的だ。それが最適解ではある。


 しかし、現実的ではない。だからこそ、フィリペは亡命を考えたのだ。



「カルロス、無茶を言うな……俺にそんな奇跡を起こせる運も能力も無いし、何より人望もあるまい……こんな奴が軍を率いて勝てるとでも?」


「勝たせてみせますとも!」



 カルロスは拳で自分の胸を叩く。



「不肖、エスパニア帝国将軍カルロス・ハプスブルク・マドリード。兄上の麾下(きか)に加えて頂く所存です!」



 意表を突かれたフィリペだったが、直ぐに嘆息を(こぼ)した。



「お前は頭が良いと思っていたのだがな……お前が来たら、俺が戦死した時、お前が全責任を被せられて殺されるぞ」


「どのみち兄上が死ねば次は私です。それならば、兄上の死を阻止し続ければ、私の寿命も少しは伸びるでしょう」


「お前を先に殺す様になるかもしれんぞ?」


「その時は、まぁ……兄上の言う通り亡命しますよ。今回の戦いでも、負けそうならば連合王国に亡命すれば良いのです」



 饒舌に上手い言葉を返すカルロスに、フィリペはまた嘆息を(こぼ)すと、諦めた。



(わか)った……お前の話に乗ろう。面倒臭いが、一番それが良さそうだ。面倒臭いがな!」


「命が助かるなら良いじゃありませんか!」


「素直に亡命した方が楽なんだよ。はぁ……お前が一番、俺に面倒事を持ち込む。俺の一番の敵は案外お前なのかもな……」



 不本意にも襲ってくる面倒事。その多くは隣の弟が持ち込んで来ている様に思えてくる。何より、皇族という地位にある以上、権力闘争という面倒事の最たる物からは逃れられなかった。


 日頃から思っていた皇族に生まれた事への不満。それを胸に抱きつつ、フィリペは不幸を嘆きながら天井を見上げて黄昏る。



「あ〜っ、部屋でグータラしてぇ〜っ! 楽に過ごして〜っ! 戦場行きたくねぇええええっ‼︎」



 心底だらし無い親愛する兄の愚痴に、カルロスはやれやれと苦笑を(こぼ)すのだった。




 この日、一人の皇族が戦場へと向かう事が決まった。


 エスパニア帝国第五代皇帝フアン・トレド・マドリードの弟にして、当時"《怠惰な皇弟》"と罵られていた男の英雄譚。不本意ながらその一章目が綴られた瞬間だった。

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