1-5 命令
フアン帝から告げられた命令に、フィリペは眉をしかめ、カルロスは驚き声を漏らす。
「フィリペ兄上を総司令官に⁉︎ いや、その前に……遠征、何処かの国へ侵攻なさるおつもりですか⁈」
先程まで平静だったカルロスの慌てふためき様に、フアン帝は笑みを零し、宰相へと説明するよう促す。
「現在、我が国の北方、ブリテン=ノースエリン連合王国の王が危篤状態であるという情報が入りました。更に、現王には、未だ九歳の娘しか居らず、政治が不安定になっております。この気に乗じ、散々煮え湯を飲まされ為し得なかった、⦅無数の島々⦆奪還の好機なのです!」
帝国と連合王国間では島々の取り合りを旨とする小競り合いが頻繁に行われているのは先に述べたが、帝国ではその島々を勝手に⦅無数の島々⦆と命名していた。
「彼の島々は全て我が固有の領土であり、一部を連合王国が勝手に占領しております。失地回復のため、この機に乗じるのは必定でありましょう。謂わば、これは奪われた我等が領土を取り返す聖戦なのです!」
奪われた地と彼等は言うが、カルロスがその言葉に正当性を感じる事は無かった。
確かに、島々の幾らかは帝国領土で間違いない。長い間帝国人が住まい、連合王国人が祖国の地として足を踏み入れた事など歴史上存在しないからだ。
しかし、逆もまた然り。連合王国人が住まう島の多くに、帝国人が祖国として足を踏み入れた事は一度も無い。
国境線近くはよく境界線が変更され、両国の人々が混在して生活している為に取り合いとなるのは仕方ないにしても、島々全てが自分の物と言うには余りに欲をかき過ぎだろう。
そもそも、島々は両国の物では無く、各島民の物である筈だ。そこに住んだ事もない政府の者達が自分達の物だと言うのがおかしい話なのだ。
哲学的や人道面からして敵の島々に攻めるのは許容し難いには違いない。
しかし、そこに眠る資源を見た政治的な視点と相手の不幸を見た軍事的観点から見れば、この機に乗じる事自体は間違いではない。
「意味のある侵略ではあるか。しかし……」
侵略の意図を理解したカルロスだったが、何故、総司令官がフィリペなのかが解らなかった。
フィリペは生まれてこの方、九割を皇宮で過ごし、その更に七割は自室で生活している所謂引き篭もりである。だからこそ、権力者達に嘲笑われ、馬鹿にされ、疎まれている。
こんなカビの生えている様な人間を戦場に出し、しかも総司令官にするなど、兵を無駄死にさせるに等しい行為だ。勝つ気が無いと言わざるを得ない。
皇帝は何を考えているのか? 御歴々は何を考えているのか? カルロスは頭を捻り考えていると、意外にもフィリペが手を挙げた。
「陛下、一つ宜しいでしょうか……?」
何とも無気力に眠そうに目を細めるフィリペに、フアン帝は不快さを顔に出すが、口調は淡々と「何だ?」と返す。
「今回の作戦の概要を御説明頂きたい」
確かに総司令官に任じられる以上、作戦内容が気になるの当然である。戦術は兎も角、大まかな戦略は既に決している様子であったからだ。
フアン帝もそれは快く教えるようで、また宰相へと説明を促す。
「今回、我が軍は部隊を二つに分け、片方を島々の奪取に、もう片方を連合王国本土の上陸に当て、此方には王都を目指して貰います」
「王都を目指す。無茶を言う……」
嘆息を零したフィリペ。流石の彼でも、敵王都奪取の無謀さは理解しているのだ。
侵略は防衛より多大な兵力を有する。特に王都を奪るとなれば敵防衛力は凄まじく、士気も高いので、戦況が圧倒的優位でもなければ不可能。
現在、帝国と連合王国の戦況は拮抗しており、敵の情勢が不安定でも、王都奪取は無理と言わざりを得ない。
しかし、次の宰相から告げられた話の続きにより、作戦の意図が明かされる。
「島々奪取には十万の兵力を動員し、本土上陸には二万を持って当たって頂く」
つまり、本土上陸の方は囮なのである。本命は島々の奪取なのだ。
「別働隊が王都奪取をチラつかせ囮となる内に、隙を突いて本隊で島々を奪う、ですか……成る程、理に叶っている」
カルロスが珍しく真面な策を立てた皇帝に感嘆し、頷く。言及した通り、カルロスは将軍位に就いており、有能と呼べる将であった為、作戦の合理性にも気付いたのだ。
しかし、尚更フィリペを総司令官にする意義が見出せない。無能な将を就けて、負ける気にしか見えない。
そう疑問に苛まれたカルロスだったが、フアン帝が笑いを零している事に気付いた。その笑いは、カルロスが作戦概要を復唱した時から続いていた。
「カルロスよ……お前は勘違いをしている」
フアン帝は先程から宰相に代弁させていた口を、冷笑と共に開き、この作戦の根幹とも言える思惑を告げる。
「本隊は上陸部隊の方であり、此方は囮などではない。フィリペには王都を是が非でも奪取して貰わねばならないのだよ」
この瞬間、皇帝の、御歴々の思惑を、カルロスは瞬時に理解した。
彼等はフィリペを抹殺する気なのだ。
総司令官の地位にある者は本隊を率いるのが常であり。つまり、本土上陸二万の方に参加せねばならない。
更に、皇帝は王都を奪取して貰うと言った。つまり、王都を奪えという勅命なのだ。到底不可能だというにもかかわらず。
命令である以上、失敗は許さない。失敗すれば処断の対象になる。
皇帝はフィリペを作戦失敗の責で処刑するつもりなのだ。いや、あわよくば戦死して貰いたいと思っているのだろう。
"この王族の恥晒しでありながら、腐国と成り果てた帝国叛逆の旗頭にされない、この愚弟を"
余りに身勝手な皇帝達に、カルロスは怒りで拳を震わせる。
「実の弟に対し、何たる仕打ちだ……」
恐らくフィリペの次はカルロスの番だろう。皇帝は己が王の椅子を脅かす者を一掃したいのだ。
しかし、それ以上に兄、フィリペが不当な扱いをされるのが許せない。
愚鈍ではあるが、好くに値する美点を持つこの兄に、カルロスは死んで欲しくなかった。
それでも、自分達がエスパニア帝国の皇族である以上、皇帝からの無情なる絶対的権力に屈しなければならない。
「改めて余の口から言おう。フィリペ・アブスブルゴ・マドリード。貴公を遠征軍総司令官へ任命する! 連合王国王都を陥とし、我々に絶対的な勝利を齎すのだ‼︎」
不敵に笑みを浮かべる皇帝。その真は明らかだ。
命令をただ受け入れれば間違いなく死ぬ事になるだろう。
カルロスが必死に兄が死なずに済む案を思案する中、フィリペは静かに目を瞑った後、眠たそうだが決意に満ちた瞳で皇帝を見やった。
「"嫌です!"」
「「「…………はっ⁉︎」」」
絶対権力者の命令を、フィリペは事もあろうに足蹴にした。




