1-3 騎士の誓い
漸く幼き主君の下へと戻れるランスロットだったが、その表情には躊躇いが見て取れる。これから親愛なる姫君に一時の別れを承諾させねばならないのだ。彼だって離れたくはないから、彼女の心痛を理解出来てしまう。
「しかし……言わなければならない……」
意を決し、姫君が待つ部屋へと戻ったランスロットは、アン王女の温かな笑顔に迎えられる。
「ランス、お帰り!」
年相応に無邪気に寄ってくる王女。この方とひと時も離れたくない。一生側で御守りしたい。"あの日から"ずっとランスはそう思って来た。
しかし、今、国は窮地にある。敵が迫っている。このままでは大切なこの姫君にまで危害が及んでしまう。
だからこそ、彼女と一時離れなければならない。戦場に赴かねばならない。うら若き姫君を欲深き者達の巣窟に一人置いていかねばならない。
ランスロットは堪えるように唇を噛み締め、淡々と言葉を紡ぐ。
「殿下……一つ、御願いしたき事と、謝りたき事が御座います」
「なに?」
アン王女は、ランスへと首を傾げる。
そんな、無垢な、か弱き主君の姿に、ランスロットの胸は締め付けられ、堪えるように奥歯が噛み締められる。
「一時、殿下の身を離れ、戦場へと赴く事を御許し下さい……」
その瞬間、アン王女から笑顔が消えた。
「どう、して……?」
姫君の黄金の瞳から、無色の雫が流れ落ちる。
「お父様も死んで……それに、ランスまで居なくなったら、わたし独りぼっちになっちゃうよ……」
「殿下……」
「駄目! 行かないで! わたしを一人にしないで‼︎」
涙をポロポロ流しながら、アン王女はランスの服を握り締める。縋るように、離さないように。
この瞬間、ランスロットは唐突に己が失態を自覚した。
(ああ……何と自分は愚かなのだろう。泣き止んだ殿下を見て、自分はどこか安心していたのだ。だから、宰相閣下の出兵要請に応じたのだ。父を失ったばかりの少女が、一日も経たずに立ち直る筈がないのに。こんな簡単な事にも気付けないとは、私は何と愚かなのだろう……)
ランスロットはその華奢な主君の身体をぎゅっと抱き締めた。
「申し訳ありません、殿下……私の思慮が足りませんでした」
「じゃあ、行かない?」
「……いえ、戦場へは赴きます」
それでもランスロットは譲らない。自分の過ちを自覚しながらも譲れない。譲る訳にはいかない。
それに、アン王女の悲しみは増大していく。
「何で……? 何で言うこと聞いてくれないの? 何で一緒に居てくれないの⁈ 何で……⁈ 何で…………?」
唇が結ばれ、ランスの服を握る彼女の手が強まる。
「わたしの事、嫌いになったの…………?」
「とんでもない!」
「じゃあ、何で……?」
ランスロットは口を噤んだ。自分が何故、戦場に行くのか。答えは敵を撃退し、我が主君に向く脅威を取り払う為だ。
しかし、そんな事を言っても、彼女は納得などしないだろう。絶対に行かせはしないだろう。
だから、この一言だけを告げる。
「"貴女を護る為"です!」
ランスロットの行動理念は全てこれだ。
王女の為、王女を護る為、王女が笑顔で暮らせる様にする為。彼は彼女に全てを捧げている。己が命を犠牲にしようとも、彼女の笑顔を護り通すと誓ったのだ。
だからこそ、彼女の害となり得るものは何だろうと排除する。その為に、戦場へ赴かねばならない。
「殿下……私は貴女が幸せである為に戦場へ行きます。貴女が好きだから、戦場へ行きます。……いえ、違いますね……全ては私の為です」
ランスロットの口元にニコリと微笑が浮かぶ。
「私は貴女が笑ってる姿が好きです、幸せである姿が好きです。今、そんな貴女を害する者達が迫っています。ですから……それから貴女を護らせて下さい。貴女の幸せな姿を私に見続けさせて下さい。こんな私のワガママを聞いては頂けませんか……?」
慈愛に彩られたランスロットの言葉。これを聞けば、彼の心の内に居る者が、王女自身なのだと流石に彼女も気付く。彼の意思の強靭さにも。
アン王女は新たな涙の生成を止めると、ランスの服を掴む手を緩めた。
「一つだけ約束して……?」
「何ですか?」
「絶対に帰ってきてね? また、わたしと一緒に居続けて?」
此処で、またしても、ランスロットは己が失態に気付いてしまう。
「王女の笑顔の為に命を捨てる覚悟がある」。そう思った彼だったが、捨ててはいけないのだ。
自分が死ねば彼女の味方が居なくなる。彼女が本当に孤独になってしまう。
そうだ、自分は生きねばならない。生きて、このうら若き姫君の側に在り続けねばならない。
自分の真の使命を痛感したランスロットは、生きて帰るという約束だけでは足りない気がした。
「はい、約束致します。ですが……私からも提案をして宜しいでしょうか?」
「なに……?」
「このままの約束だけというのは少々芸がありません。なので……もし、私が戻った時、貴女が立派な王女に成られた姿を御見せ頂けたなら、私が貴女の願いを一つ、叶えて差し上げましょう」
ランスロットの提案、それにアン王女は面食らう。
「立派な王女……? なれたら、ランスは何でも願いを叶えてくれるの……?」
「はい!」
「どんな願いでも……?」
「はい!」
「でも……立派な王女ってなんだろう……?」
「それは御自身で御考えになってみて下さい。貴女の父君は何をなされていたか、どの様な姿だったか。本や歴史書、自伝に記された偉大な方々はどんな風だったのか。それ等を見て、読んで、知って、自分が王女としてあるべき姿を考えるのです!」
「難しいよぉ……」
「なら、約束は無しにしますか? 私は構いませんよ?」
なかなか意地悪かもしれないが、王位に就く少女が、何も知らないでは駄目だ。只、神輿になるなど駄目だ。
彼女が自分で立ち、歩き、進んで政治に関わる事。そして、そんな主君をランスロットが護る。それが理想の姿である。
だから、アン王女には成長して頂く。これは彼女の為にもなる筈だ。
「殿下……いかが致しますか……?」
ランスロットの提案。十一歳の少女にはやはり酷な試練だろう。
しかし、彼女にとって、その困難より、魅力的な見返りがあった。
アン王女はランスから離れると、涙を拭き、彼へと笑みを浮かべて向き直る。
「ランス……うんうん、サルフォード卿。貴公の提案を受け入れます!」
早速、次期女王らしき言葉使いで告げられた返答に、青年騎士は跪き、臣下の礼を取る。
「アン・イングレス・ユニオン第一王女が騎士、ランスロット・サルフォード! 殿下との約束、しかと果たして御覧に入れましょう‼︎」
この日、一人の騎士が戦場へと向かう事が決まった。
ブリテン=ノースエリン連合王国次期第九代女王アン・イングレス・ユニオン。彼女に仕えた騎士として名を馳せる、"《忠義の騎士》"の英雄譚。その始まりを報せたのである。
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