1-1 王の死
成歴八九三年四月十二日
大陸北方に位置するブリテン=ノースエリン連合王国を統治した一人の王が、この日、この世に別れを告げた。
連合王国第八代国王アーサー二世は、王室の豪奢なベッドに横たわりながら、身体を凍る様に冷たくし、只、瞳を閉じた。多くの重臣達に見守られながら、王は静かに息を引き取ったのである。
そんな亡骸となった王の側で、シルクの様な白銀色の髪を靡かせ、神秘的に輝く黄金の瞳から濁り無き純粋な雫を流す、一人の少女の姿があった。
「おとうさまぁ……おとうさまぁ…………」
ベッド横で崩れ、へたり込み、王の手を握り締めながら、ポロポロと止まらなぬ涙を流す少女。連合王国第一王女たる姫君がそこに居た。
アーサー二世の娘アン・イングレス・ユニオン。王の只一人の娘で、只一人の子供。つまり、次の連合王国の王となる存在であった。
しかし、彼女を見た者達は、その事実を信じられないと感じるだろう。
その見た目は、明らかに、十歳程の小さな子供の姿だったのだ。
実際、アン王女の年齢は未だ十一歳。満足のいく執政など出来る筈は無く、一部貴族達の傀儡となるのは目に見えていた。
こんな幼い内に、王女は実の父と別れながら、母である王妃とも幼い時に死別し、兄弟も居ない。
彼女にとってアーサー二世の死は、世界に取り残される様な孤独感に襲われると同義と成り得てしまうのだ。
悲劇の演目を否応無く見せ付けられる王女だったが、それを慰める重臣は誰も居ない。
年端もいかない少女が次期王となる事に不安を感じるが故、
この隙に実権を握る算段を立てているが故、
王女の夫に己が子を据えようと画策するが故、
彼女に思いやりなど抱かず、重臣達は、ただ己が欲だけ考え、打算的な計算のみに没頭していたのだ。それが、彼女の孤独を更に増長させているなど眼中にも無く。
次期王となるのが確実である以上、王女は、こんな、権利という汚れに満ちたヘドロの海に、自分の意思に関わる事なく、既に片足を入れてしまっていたのである。
まさに漆黒の未来しか無い様に思われるうら若き姫君だったが、どうやら暗闇を照らす光が一筋も差し込まれていない訳ではなかった。
「殿下、そろそろ涙を御拭い下さい。余り悲しまれますと、陛下が貴女を御心配になって、天国へ行くに行けなくなってしまいます」
片膝を着け、アン王女へそっと白いハンカチを手渡した若い青年。口元に優し気な微笑を浮かべ、ふと安心する暖かな口調で告げられた彼の言葉に、若き姫は止まらぬ涙を瞳に浮かべ、振り向き、少し安堵するかの様に名を呼んだ。
「ランスぅ……」
同時にランスと呼ばれる青年の胸に飛び付いたアン王女は、彼の腕の中でワンワンと声を張り上げ、絶え間なく湧き出す涙を溢れさせる。
ランスと呼ばれる齢十八の青年。名をランスロット・サルフォードと言い、輝かしい黄金の髪と、慈愛と優しさを秘めた穏やかな青い瞳を持ち、立ち振る舞いは紳士的で騎士の様である。
実際、彼は騎士であり、王女直属の護衛であり、王女が気を許す数少ない人物であった。
自分の胸の中で泣き続ける主君に対し、ランスロットは優しく彼女を抱き止める。
「殿下、大丈夫です……貴女は一人ではありません。少なくとも、私は殿下のお側に居りますから……」
「ランスぅ……ランスぅ……うわぁあああん‼︎」
部屋を満たす声量で泣き始める主君に、ランスロットは、ただ黙って彼女の頭を撫で続け、泣き止むまで、落ち着くまで、ずっと寄り添い続けた。
そうして、少しアン王女の気持ちが落ち着いたのを見計らって、共に別室へと移ったランスロットは、彼女を椅子へと腰掛けさせ、先程のハンカチで涙を拭かせ、その前で目線を合わせる様に跪いた。
「ごめん、ランス……ハンカチ、こんなに濡らしちゃって……」
「いいえ、逆に光栄です。貴女の悲しみの涙を減らせたのだ、そのハンカチも本坊ですよ」
ちょっとキザ過ぎた、と照れ臭そうに苦笑するランスに、アン王女からフフッと笑いが零される。
「まるで、ハンカチも生きてるみたいに言うんだね?」
「もしかしたら本当に生きているかもしれませんよ? 私達の基準では解らぬモノは、この世に沢山ありますから。王国を見守る『精霊』とか、ですね」
「やっぱり、ランスと話してると楽しい」
あどけない楽し気な笑顔を浮かべるアン王女。どうやら、気恥ずかしい物言いをした甲斐はあったらしいと、ランスロットは安堵感により細く微笑を浮かべた。
「どうやら、少しは御元気になられた様ですね」
「うん……ランス、ありがとう!」
「貴女の騎士として、当然の事をしたまでです」
アン王女は首を横に振った。
「いつも、ランスには助けて貰ってる。ランスが居なかったら、多分今まで、ずっと辛かったと思うの。だからランス……いつもありがとう」
「殿下……」
アン王女にとって血縁者は父である国王アーサー二世だけであった。父との関係は良好だったが、彼は国の絶対権力者であり、執務に追われ滅多に構っては貰えない。
更に、王宮に居る貴族達も王女の友人にと子供を送って来てくれるのだが、次期女王に対し、我が子を許婚にしよう、今の内にパイプを作らせよう、という薄汚い魂胆が見え隠れしていた。純粋な友達を作る、という行為を彼女は出来なかったのだ。
しかし、そんなある日に、護衛としてやって来た一人の少年だけは違った。
だだの一護衛としてやって来た彼だったが、彼女が願いを言うと真摯に叶えてくれた。
一緒に遊んでくれたり、お話を聞かせてくれたりと、打算無しに接してくれたのだ。
その少年こそランスロットであり、アン王女にとって彼は、少し歳の離れた兄の様な存在だったのである。
「ランス……これからも、わたしと一緒に居てくれる?」
少し不安気に紡がれた言葉に、ランスロットは再び優しく微笑むと、右手拳を床に着け、臣下としての礼節を持って深々と頭を垂れた。
「私は殿下の騎士であり、貴女に永遠の忠誠を誓った身。この身尽き果てるまで貴女と共にあります」
臣下として正しい振る舞い。それに、アン王女から少し残念そうな微笑が浮かべられる。
「これからもよろしくね、騎士さん」
「仰せのままに」
深々と頭を下げ続ける騎士とそれを上から見守る王女。主従の関係としては理想的な姿であったろう。
しかし、アン王女にとっては、少し不本意な姿であった。




