1-エピローグ
成歴八九三年七月十九日
アン王女の名の下、正式にフィリペ等新帝軍と連合王国間による同盟が成立し、協力関係が結ばれる事となった。
王都の横では新帝軍が陣を張り、連合王国からの補給を受け、フィリペ達は束の間の休息を味わう事が出来たのだ。
「終わったな……」
「ええ、ですが新たな始まりでもあります」
新帝軍を眺め、物思いに耽るフィリペとカルロスは不意に微笑を零す。
「連合王国王都を陥とす為に祖国を出た筈が、まさか連合王国を味方とし、祖国に攻め込む事になるとはなぁ……妙な話だ」
「我々にとっては命に関わる話なので、笑えはしませんがね」
「だな」
兄であるフアン帝に無理難題な勅命を与えられ、成功不可能と思われ連合王国王都攻略。あの日、亡命を考えたフィリペに、命令完遂の道を示したのはカルロスだった。あの日から既に、この光景をカルロスは予知していたのだろう。
面倒事を押し付けられはしたが、結果を見れば確かに最適解、最善であった訳だ。暫くは弟に頭が上がらなくなりそうだと、フィリペは苦笑する。何せ、弟は"新帝"となるのだから。
「まぁ、今後は更なる苦労を強いられる訳だ。⦅無数の島々⦆に帝国軍の大半が割かれているとはいえ、防衛戦力はある程度は健在。帝位簒奪の道のりは中々に長いからな」
「ですね、終わってからも更に大変ですが……」
「お前はそうだろうな。俺は終わったら今まで通りゴロゴロ出来るが、皇帝になるお前は重責を担う訳だからな」
「いえ、皇帝になるのは兄上ですよ」
「…………は?」
フィリペは思わず面食らい、一瞬言葉を失った。
「ちょっと待て……お前が新帝になって、兄上を打倒する気なのだろう?」
「いえ、フィリペ兄上を新帝に、フアン兄上を打倒するのですよ」
フィリペの背をヒヤリッと悪寒が駆け抜ける。
「待て待て待て待て‼︎ お前、前、皇帝になったら俺をこき使うとか脅して来ただろう!」
「それは、もし私が皇帝になったら、の話であって、私が皇帝になるとは一言も言った覚えはありません」
フィリペは今までの記憶からカルロスとの会話をほじくり出したが、確かにそんな話をした記憶が無い。よく思出せば、自分が無駄に深読みした結果であった。
「いやいやいや! 怠惰と名高い俺だぞ⁈ 俺なんぞよりお前が皇帝になんのが相応しいだろう! 何よりブルゴス、ウエルバ両将軍が納得しない筈だ‼︎」
「いえ、この戦いに於ける兄上の活躍ぶりを見て、ブルゴス将軍は「それはそれで面白い!」と、ウエルバ将軍は「フアン帝より良いだろう」と、二つ返事で了承しましたよ?」
「マジかよ……」
駄目だ、不味い、このままでは今世紀最大の面倒事を押し付けられそうだと、フィリペは冷や汗をダラダラと流し始めるが、残念ながら既に手遅れであった。
「あの交渉の際、兄上を新帝にってアン王女に宣言しちゃいましたからねぇ〜」
「いや、アレは弟のお前より兄の俺の方が説得力があるからって!」
「私はそんな事言っていません。これも兄上が勝手に深読みしただけです。それに……もう兄上名義の新帝軍として連合王国とは同盟を結んでしまいましたから、変えるのは無理ですよ?」
「テンメェ……まさか最初っから俺を嵌めるつもりで!」
「途中で気付けなかった兄上が悪いですよ。前から言っているではありませんか、私は兄上を尊敬しているのだと。尊敬する人を差し置いて、皇帝にはなれません」
完全にカルロスにしてやられた。逃げ道はもう無く詰んでいた。
知らぬ間に皇帝への道しか残されていなかったという事実に、フィリペはもう項垂れるしか無い。
「チキショウ……俺の悠々自適な引き篭もり生活が…………」
儚く散った夢に、大きく溜め息を零したフィリペは、この後、戦線布告にエスパニア帝国第六代皇帝と名乗る事になり、正統エスパニア帝国軍が此処に組織された。
《怠惰な皇弟》は不本意ながら《偉大なる新帝》となり、〔エスパニア内戦〕を経て、弟のカルロスと共に帝国の全盛期を作り上げる事となる。
王都セントクロス王宮の執務室にて、少しずつ政務を始めたアン王女。コヴェントリー宰相を始め、多くの官僚、貴族を排除した事で、人手不足となっていた事もあり、次期女王即位の為、侍女のメーベル、傷がある程度回復した騎士ランスロットに助けられながら、彼女は着実に仕事をこなしていく。
「殿下、カークウォール侯爵から、人員を派遣するとの通達が御座いました」
「解ったわ、メーベル。侯爵に感謝の手紙といくつかの返礼品を見繕っておいてくれるかしら」
「畏まりました」
アン王女に頭を下げた後、メーベルは執務室を退出し、ランスロットも丁度いくつかの決済を終わらせた。
「殿下、此方は終わりました」
「ランス、ありがとう。こっちもお願い出来るかしら」
「承知致しました」
アン王女から別の書類の束を渡されたランスロットは、それを片付けながら、ふと王女の姿を横目で見つつ、苦笑する。
本当に、立派になられたと感心しながらも、前みたいに甘えてくれなくなった事に、寂しさも湧いていたのだ。
王女が王冠を戴く様になる以上、大人となっていき、高貴な身の上の者と結婚し、自分から何れ離れるのは解っていた、覚悟もしていたが、いざそれが近付いているのだと実感すると、自分の手から子が巣立つ親にも似た気持ちを感じてしまう。
「殿下、カークウォール侯爵への手紙と返礼品の準備終わりました。確認をお願いします」
「必要無いわ。メーベル、貴女を信頼します。準備が終わったのなら、貴女の判断で発送しておいて」
「畏まりました」
今度、メーベルは退出せず、外に待機していた別の侍女に発送を頼み、再びアン王女へと頭を下げた。
「殿下、そろそろ一息お入れになられては。紅茶を淹れますので」
「……解ったわ。少し休憩しましょう」
書類から手を離し、椅子から立ち上がったアン王女は、ランスロットの隣に座り、ニッコリ笑顔で彼の左腕を抱き締め、彼を困惑させた。
「あの……殿下。作業し辛いのですが……」
「ランスも休むの」
「いや……しかし、まだ……」
「駄目……?」
上目遣いで訴え、黄金の瞳を少し潤ませて輝かせ、甘えてくるアン王女。どうやらまだ年相応なのだと、ランスロットの先程までの寂しさは未来へと逃走していった。
「わかりました、一緒に休みましょうか」
「やった!」
人懐っこい無邪気な笑みを浮かべ、寄り添ってくるアン王女に、少し気恥ずかしさを感じながら、ランスロットはメーベルから紅茶の入ったカップを受け取った。
「メーベル、ありがとう」
「いいえ」
貰った紅茶にランスロットが口を付け、メーベルはアン王女にも紅茶を淹れたカップを渡した後、ふと告げる。
「そういえば殿下、サルフォード卿への、約束のお願い事は何になさるのです? 立派な王女になられたのですから、約束を守った事になりますよね?」
「うん、勿論決まっているわ」
アン王女はランスロットの左腕を艶やかな笑顔と共に更に強く抱き締める。
「ランスには、私のお婿さんになって貰うわ!」
堪らず、ランスロットは口に含んだ紅茶を吹き出した。
「ちよっ⁈ 何を言ってるのですか殿下⁈ 一介の騎士と結婚など‼︎」
「どんな願い事でも聞くって約束したよね?」
「ですが、守れる約束と守れない約束はありますし……殿下の王位を盤石にするのに、私より相応しい家の者を迎えるべきです!」
「ランスは、私とは結婚したくないの……?」
また上目遣いで見てくるアン王女にランスロットは狼狽える。そもそも、アン王女はまだ幼く、成人すらしていない。こんな子と付き合いでも始めれば幼女趣味などと揶揄されてしまうだろう。
更に、外見的には可愛らしく、性格も純粋、成長すれば変わってくるだろうが、未来の姿に於いても魅力的な女性となるのは目に見えている。だからこそ、ランスロットにしても恋心が全くない訳ではないのだ。精神的な苦痛から解き放ってくれたのは彼女であるのだから。
このままでは色々な問題抜きに二つ返事してしまいそうだと思ったランスロットは、目の前の侍女へと助けを求める。
「メーベルからも何とか言ってくれないか?」
「別に良いと思いますが?」
「メーベル⁈」
「サルフォード卿は国で四人しか居ない『大精霊』の加護を持つ者。つまりは国に繋ぎ止めておくべき人材です。なら、政略結婚として、殿下とサルフォード卿が結ばれてもおかしくはありません」
的確な指摘だった。ランスロットは不敵に笑うメーベルをクウッと睨みながらも、反論も反撃も出来ず、もう一度可愛らしいアン王女の姿を見て、結局は肩を落として諦めさせられた。
「承知致しました……殿下の夫となり、側で支えましょう……」
「ランス大好き‼︎」
今度は胸に飛び込み、身体ごと抱き締めてくる主君ーー婚約者に、ランスロットは戸惑いながらも、ふと愛おしそうな優しい瞳と笑みを向けるのだった。
数日後、正式にアン王女とランスロットの婚約が発表され、ブリテン=ノースエリン連合王国内を一時騒然とさせたが、王女の王位継承式を経て、歓迎ムードへと変貌していった。
《忠義の騎士》は《誠実なる王配》として生涯アン王女を公私共に支える事となる。
〔ルゴス戦役〕を発端に、ブリテン=ノースエリン連合王国、エスパニア帝国に変革の時が訪れる事となった。
しかし、これはまだ物語の一章に過ぎない。
後に、他の三国に於いても、三人の英雄達を中心に歴史が動き出すのだから。
差し詰め次章は、西から東に舞台が移される。
神聖インペリウム帝国とアレマン大公国がこの時、既に戦火を交えていたのだから。




