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五大国戦記  作者: 我滝 基博
第1章 忠義の騎士と怠惰な皇弟
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1-28 交渉のテーブル

 連合王国側から帝国軍へ、王都無血開城に関する提案が届けられ、フィリペとカルロスは一瞬、動揺した。



「まさか、あっちから先に交渉を持ち込んで来るとはなぁ……なかなかに(したた)かな御仁が居るもんだ」


「ええ。しかも、交渉開始の条件に市民の避難を盛り込んでいます。抜かりがありませんね」


「確かに、王都を簡単に()れるなら、市民など無視出来る。虐殺などして、後世に無駄な汚名を残す必要もないからな」


「では、応じるという事で」


「ああ……勿論、王女と宰相が交渉に参加するのを条件に、な」


「それで、此方(こちら)の名義は私ではなく兄上にしておいて下さい」


「兄である俺を長とした方が説得力があるからな。仕方がない……名義は貸してやるよ」



 軽く手を振って同意書にサインしたフィリペは、次にふと背後を振り返り、鎖に繋がれたボロボロの青年騎士を眺め、眉をひそめる。



「しっかし……ここまで痛めつける必要があったのか?」


「仕方がありません。それが、ベリー将軍等の要望でしたから。何か思惑でもあるのでしょう」


「しゃあねぇ。俺達は目的さえ達成すれば良い。そしたら、カルロスの帝位簒奪作戦を始められっからな」


「ええ……」



 一瞬、カルロスはフィリペを見て、何処(どこ)か悪戯を企む様な不敵な笑みを浮かべていた。




 連合王国による交渉の提案は、王女と宰相が交渉のテーブルに着くという条件を加わえられて帝国軍に受理され、王都に残されていた市民は全て脱出させられた。


 こうして整えられた交渉の席。王都城門の正面、連合王国軍と帝国軍の戦闘中立地帯にて、王都からは複数の護衛を連れたアン王女とコヴェントリー宰相、帝国軍からは同じく複数の護衛を付けたフィリペとカルロスが相対した。



「御初に御目に掛かります。ブリテン=ノースエリン連合王国第一王女アン・イングレス・ユニオンに御座います」



 ドレスの端を摘んで上げ、軽やかなお辞儀をするアン王女は、まさしく令嬢の名が相応しい気品を醸し出していたが、やはり年相応の恐怖心に手を震わせていた。


 これに、総司令官の代理としてカルロスが口を開こうとするが、フィリペが手で制した。



「エスパニア帝国遠征軍総司令官フィリペ・アブスブルゴ・マドリードだ。お会い出来て光栄だ、王女殿下」



 礼を重んじ、フィリペは深くお辞儀をし、敵国の姫への最大の敬意とした。


 互いに顔を上げ、(しばら)く見詰め合った二人だったが、アン王女が遂に口火を切る。



「早速、交渉の方に……」


「失礼、先ず最初に、殿下に合わせたい御仁が居る」



 始まって即座に話の腰を折ったフィリペは、護衛に一人の青年を引きずらせ、前に放り投げた。



「うそ……」



 両目を見開き、口に手を当て、嘆くようにアン王女から(こぼ)された一言。


 彼女は、青年に心当たりがあったのだ。


 忘れる筈もない、知らない筈はない。


 待ち焦がれていた、ずっと帰りを待っていた。



()()()……」



 両手両足を鎖で繋がれて、鎧を脱がされ、シャツに沢山の血が付き、全身傷だらけとなったランスロットの姿が、そこに転がっていた。



此奴(こやつ)は殿下の騎士であると聞く。交渉が無事に済み次第、返そうと思ってな。勿論、無事に済めばの話だが……」



 明らかな人質だった。ランスロットを盾に、フィリペ達はか弱き姫君からより良い交渉材料を引き出そうというのだ。


 アン王女に怒りが湧いた、悲しみが湧いた。でも、表に出す事を我慢した。


 此処(ここ)で感情を表せば、交渉が相手のペースに乗せられてしまう。


 彼女は気持ちを抑え、気丈に振る舞い、次期女王としての風格を醸し出す。



「早速、交渉に移りましょうか、フィリペ殿」


「そうだな。其方(そちら)の要求は、王都を無血開城する代わりに、自分達を無事に逃がす事、だったな」


「ええ、その通りです」


「魅力的な提案ではあるが……少々足りない」



 フィリペから不穏な空気が流れる。



「足りない、とは……?」


「殿下、()()()()()ですよ」



 不意に告げられた恐るべき要求に、コヴェントリー宰相が怒りに震える。



「貴様ぁあっ‼︎ 自分が何を言っているのか(わか)っているのかぁあっ‼︎」


「部外者は黙って頂こう。私は王女殿下と話しているのだ」



 フィリペに睨まれ、萎縮したコヴェントリー宰相に、アン王女も首を振って制する。



「宰相閣下、此処(ここ)は私に任せて下さい」


「しかし、殿下……」



 有無を言わせぬ王女の瞳に、コヴェントリー宰相は渋々引き下がった。



「フィリペ殿、御自身が何を仰られているのか理解しておいでなのでしょうか……?」


「理解しております。次期国家元首を国から引き剥がす行いだということは」


「ならば、到底受け入れられぬ事と御存知の筈」


「確かに……だからこそ、私は更なる提案をしようと考えます」



 フィリペは両手を大袈裟に広げ、不敵に笑う。



此方(こちら)からは私が連合王国へと赴き、人質交換とするのです。つまり、我等()()()()()()()()()()()()=()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うのです! いや……正確には私が率いる"新帝国"と、貴国との同盟、といった所でしょう」



 アン王女とコヴェントリー宰相は、その提案に驚愕した。



「新帝国……つまり、貴方は、現皇帝に叛旗を(ひるがえ)すおつもりなのですか?」


如何(いか)にも。それには当然、我々の兵力では到底、足りません。よって、此方(こちら)からは新帝となる私が人質となり、其方(そちら)からは殿下が人質となって、同盟を結び、現エスパニア皇帝を打倒する。これが私の提案なのです。勿論、帝位を簒奪せしめた暁には、⦅無数(インヌメラブレス)()島々(イスラス)⦆の領有権を全て貴国に渡し、失敗しても王都は返還し、殿下も解放すると約束致しましょう」



 大胆不適、壮大な物語、されど魅惑に溢れた物語。


 王都とアン王女を一時的に引き渡すだけで長年悩みの種だった島々まで手に入る。


 証拠にコヴェントリー宰相は一瞬、目を輝かせた程だが、落とし穴に即座に気付かない程耄碌(もうろく)もまだしていなかった。


 次期国家元首を引き渡す愚の方が明らかに高いではないか。


 だからこそ、呑める話ではないのだが、アン王女には迷いが生まれていた。


 もし、此処(ここ)で断ってしまったら、ランスは間違いなく殺されてしまうだろう。その恐怖が、未来に見えた喪失感が、拒否という思考を封じ込めていた。


 幼き頃から共に居た騎士、自分の数少ない心の拠り所だった青年、何より自分が想いを寄せる愛しい人。


 彼には死んで欲しくなかった。僅かな、嘘に塗れた希望だとしても、この手を伸ばして掴みたかった。


 でも、ランスを想うからこそ、アン王女は胸を両手でグッと抑え、フィリペへ威厳を持って告げる。



「お引き受けする事は出来ません!」


「ほぉ……? この騎士がどうなっても良いのか?」


「良くありません! 失いたくはありません! ですが……貴方方を信用する事は出来ない。私が無事に帰れる保証がない! 何より、私はこの国の王女であり、次期女王! 国を、国民を、皆を導く義務がある! それを放棄し、帝国で過ごすなどあってはならないのです!」



 アン王女は凛々しく、美しく、銀色の髪を(なび)かせ、黄金に輝く瞳をフィリペへ向ける。



「私はブリテン=ノースエリン連合王国第九代国王となる! まだ帝冠を持たぬ貴殿とそもそも釣り合いなど取れはしない! 身の程を弁えなさい、フィリペ・アブスブルゴ・マドリード‼︎」



 一瞬、フィリペですら見入ってしまった。あぁ、間違いなく、このうら若き少女は『王』なのだと、国を導く『王』なのだと、彼は感嘆を(こぼ)してしまう。



「本当に宜しいのだな? この騎士は死ぬ事になるぞ?」


「構わない。市民数千人の命ならともかく、騎士一人の為に、この命を危険に晒す事は出来ない! 貴殿ですら不釣り合いなのだ。騎士と私の命など比べるべくも無い筈だ!」


「うむ……なるほど……」



 不意に笑みを浮かべたフィリペ。此処(ここ)で上手く誘導出来れば、簡単に目的のアン王女捕縛は完了出来ただろう。誤差だった。まだ幼い少女と聞いて侮った。彼女がまさかこれ程とは思わなかった。



「承知した。なら、王都の無血開城と引き換えに、殿下等を無事に逃がすという、其方(そちら)の要求を飲み、この交渉はお開きとしよう。だが……最後に騎士との会話は許そう。せめてもの情けだ」



 カルロスと共に護衛の後ろに退()がったフィリペだったが、すれ違い様、護衛達に目配せし、予定の第二段階に移るよう指示をする。


 こうして、無事に交渉を終えたアン王女だった、緊張を解いた瞬間、騎士の下へ駆け、最愛の青年を抱き締めた。



「ランス、ごめんなさい……私、貴方を助けられなかった。見捨てる様な事をしちゃった。ごめんなさい……ごめんなさい…………」



 ポロポロと涙を(こぼ)し、抱き締めてくる敬愛する主君に、ランスロットはボロボロでありながら、ふと笑みを浮かべる。



「貴女が気に病む必要はありません。貴女は正しい、正しい選択をしたのです……。もし、貴女が騎士の身を優先したのなら、私はこの場でどの道自決しておりました。私にとって耐えられないのは、(まも)ると誓った貴女を(うしな)う事なのですから……」



 乱れた髪の隙間から、ランスロットの優しく慈愛に満ちた瞳が王女へ向けられ、彼の柔らかい手が、彼女の頬へと触れる。



「貴女と騎士で良かった。貴女に忠誠を誓って良かった。私との約束を守り、立派な王女へ成られましたね」


「うん、約束守ったよ……? 貴方との約束守ったよ?」


「ええ、私の予想以上でした。驚かされました。もう気兼ねを残す様なものはありません」



 アン王女の頬に触れた手で、その親指で、彼女の涙を拭った。



「だから……最後に、お願いをしても宜しいでしょうか……?」


「なに……?」



 ランスロットの口元が優しく緩み、次に瞳が正気に輝き始める。



()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 その時、ランスロットは両手両足の鎖を引き千切ると、王女を抱き寄せ立ち上がり、右手に水の剣を作り出し、水の刃を背後の存在へと放った。

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