1-27 包囲された王都
成歴八九三年七月十二日
連合王国王都セントクロス。遂に、その眼前に帝国軍が姿を現わす。
皇弟フィリペを総司令官とする総数二万六〇〇〇の軍が王都を半包囲したのである。
「いよいよだな……」
城壁から帝国軍を目下ろしたベリー将軍は、ふと笑みを浮かべ、到来を歓迎するかの様な表情を表す。
一方、王宮では官僚や法衣貴族達が恐怖で震えあがり、玉座に座る幼い王女を見ては、頼りないと嘆くばかりであった。
「殿下、王都には戒厳令を敷き、逃げ遅れた市民は家から一歩も出ぬ様にと通達しておきました」
コヴェントリー宰相の言に、アン王女は溢れる不安と恐怖を噛み殺しつつ、静かに頷いた。
「皆、静まれ! 殿下の御前であるぞ!」
コヴェントリー宰相の叱責に、貴族や官僚達は一斉に口を閉じ、そのまま宰相の話に耳を貸した。
「今、我々は窮地に立たされている! しかし、まだ負けた訳ではない! 強固な団結力と皆の協力あらば、必ず勝利が齎される事だろう!」
この言葉に対し、心に響くものは無かったらしく、貴族達の表情は暗いままである。
「敵は三万、味方は四〇〇〇、勝ち目は薄いが、過去逆転した戦いは少なからずあるっ! まして、敵は兵站線が長く、兵站も残り少ない筈! 数日持たせれば、必ずや敵は退いていく事だろうっ!」
今度は微かな希望が見えたのか、貴族達の顔が上がる。
「そもそも何を恐れる必要がある! 王都が陥ちようと、連合王国が滅びる訳ではないっ! 下水道や地下通路、王都から脱出する方法は幾らでもある! 落ち延び、辺境からでも再起を測れば良いだけの話だっ!」
未来に希望の光が差し込んでいく。
「連合王国万歳、我等が道行に栄光あらんっ‼︎」
「「「オオオオオオオオオオオッ‼︎」」」
貴族達の暗い顔は完全に消え、歓喜のみが彼等を包み込んだ。
そう、王都が陥ちたからといって連合王国自体が滅びる訳ではない。落ち延び、北にでも拠点を移し、王都奪還を目指せば良い。
まして、帝国軍の帰り途上にある領地は健在。奴等だけが孤立する事になる。
よくよく考えれば、帝国軍が自分で自分の首を絞めた様なものなのだ。
コヴェントリー宰相に示された事実に、貴族達の不安は払拭され、勝利への渇望のみが部屋中を埋め尽くす。
「本当に、それで良いのでしょうか……?」
透き通った声が王の間に木霊した。ずっと、居ない風に扱われていた姫君が、意を決して言葉を紡いだのだ。
「王都には沢山の市民が取り残されています。逃げ道があるなら、市民にそれを使わせるべきではないのですか? 何より、兵士達は命懸けて王都を守っているのに、それを無視し、見殺しにして逃げて良いのでしょうか? それなら帝国軍と交渉し……」
「殿下」
静かに、されど重々しく、一言で、コヴェントリー宰相はアン王女の言葉を封じた。
「サルフォード卿の出来事を忘れましたか? 奴等は交渉と仮託け、彼を拘束したのですぞ? 今更、交渉するに足る信用があるとでも?」
「ですが!」
「何より、我々は政府の役職に就く者です。王都が陥ちた後、迅速に国を纏めあげるには、我々が必要不可欠。特に殿下は、他を犠牲にしても、兵士を犠牲にしても、生き延びなければなりません」
「なら、せめて市民を先に……」
「此処で市民を逃せば敵に脱出路の事が気付かれます。市民も見殺しにせざるを得ないでしょう」
「そんな……それじゃあ……」
「殿下、サルフォード卿の事が気掛かりなのは解りますが、彼も貴女様が生き延びる事こそを望んでいるでしょう。一時の汚名を被ろうと、殿下は逃げなければならないのです」
コヴェントリー宰相に言い包められ、アン王女は反論する事が出来ない。
権力は時に非情でなければならない、というのは彼女自身も薄々感じていた。
しかし、だからといって、市民や兵士達を、彼等を護るべき王族が見捨てて良いものだろうか?
ランスが言う立派な王女とはそういうものなのだろうか?
違う気がした。ランスはそんな事を望んでいない気がした。
「私の命は見捨てて生き延びて下さい」、と彼は言うかもしれないけど、「市民や兵士を見殺しにしなさい」、などとは決して言ったりしない筈だ。
けど、「御自身の命と引き換えに他人を助けろ」、こそ彼は決して言わない。
なら、どうすれば良い。市民や兵士達を見捨てず、自分達も助かるにはどうすれば良い。
考え、思案し、ふと過ぎるランスの顔を思い浮かべ、アン王女は決断する。
彼女は玉座から立ち上がると、凛々しく立つ振る舞う。
「王都の即時を放棄を条件に、我々の脱出を交渉しましょう!」
若き姫君の提案に、貴族達はザワつき、コヴェントリー宰相は怪訝に眉をひそめる。
「私の話をお聞きになっていたのでしょうか、殿下……? 奴等が交渉を反故にする可能性が高いのですよ?」
「解っております。しかし、交渉をする条件に、事前に市民を脱出させれば、市民は無事に逃げられます。帝国軍は無傷で王都が手に入る訳ですし、それに比べれば市民を見逃すのは許容範囲でしょう。これで、抜け道などを明かす必要はありません」
「確かに……」
「更に、もし帝国軍が裏切るなら、それは交渉後の筈です。私を捕まえた所で王都が陥落するとは限りませんし、王都から私達が逃げた後、追撃し、捕まえた方が、私の捕縛と王都の無血占領が可能となるからです!」
「うむ……」
「しかし、王都維持にも兵力を割かねばならないのですから、追撃の数はおそらく三割程度。これなら、地形の有利な場所で迎え撃てば勝てるでしょう!」
意見を次々と告げていくアン王女に、貴族達は唖然と口を開いたまま固まった。ついこの間まで、只の無力な少女だったのが、今や微かに王の影が見え隠れしていたのだ。
「宰相閣下の言う通り、所詮は王都。なら、わざわざ護って味方の血を流す必要はない。渡してしまい、いずれ奪還すれば良いのです! 違いますか?」
ニコリッと浮かべられるアン王女の笑み、正しく策士と呼ぶに値するその笑みに、貴族達は魅入られ、真剣にその意見を吟味させられる。
結論は、数分足らずで導き出された。
「殿下の策を用いましょう! それが最善の様です!」
コヴェントリー宰相の言と共に、貴族達は首肯し、同意する。
この時、この瞬間、アン王女は無力な少女ではなくなったのだと、皆一様に認めざるを得なかった。




