1-26 衝撃の報
成歴八九三年七月二日
連合王国王都セントクロスの王宮、アン王女は自室にて図書館から持ってきた歴史書を読み、ランスロットとの約束を果たすべく、立派な王女を目指して邁進していた。
「殿下、紅茶を御入れ致しました。スコーンも焼いておきましたので、どうぞお休みになって、御召し上がり下さい」
「ありがとうメーベル。でも此処だけ読ませて? ランスが帰って来る前に、立派な王女になっておかなくちゃいけないから!」
律儀に約束を守ろうとするうら若き姫君に、メーベルは微笑ましそうに笑みを浮かべる。
「きっとサルフォード卿も、貴女のその御姿を見られたら、とても喜ばれる筈です」
「そう、かな……?」
「ええ、間違い御座いません」
父上であるアーサー二世の死後、ランスロットとの約束を果たそうと、立ち直り、頑張り始めてからの殿下の成長は著しい。約束させた彼ですら、おそらく此処までの成長は予想していなかっただろう。
驚くのは間違いない。間違いなくアン王女は、次期女王に相応しい姿になりつつある。
これは、国の未来を憂う必要などなくなるかもしれない。成長した殿下をランスロットが支える。素晴らしい姿である。
「これは、本当にサルフォード卿が御戻りになる時が楽しみですね」
クスリッ笑うメーベルだったが、廊下からドタバタと騒がしく駆けて来る足音に、ふと目を鋭くする。
「何かあったのでしょうか……?」
足音が止み、断りもなく開かれた部屋の扉。アン王女はビックリして本から顔を上げ、メーベルは、「無粋だ!」と、乱入者に叱責しようとしたが、直ぐに言葉を引っ込めさせられた。入って来たのがコヴェントリー宰相であったからだ。
「殿下……一大事です!」
突然入ってきた宰相に驚き固まったアン王女だったが、本を閉じると、姿勢を正し、次期女王としての風格を醸し出す。
「コヴェントリー宰相、何があったのですか?」
一ヶ月前とは別人の様な王女に、コヴェントリー宰相は一瞬、目を疑ったが、直ぐに思考を戻し、目を伏せ、言葉を詰まらせそうになりながら、告げる。
「エスパニア軍の迎撃に赴いていたベリー将軍率いる軍が……"惨敗"したそうです」
メーベルの目が驚愕に見開かれたが、直ぐに戻され、それは咄嗟に幼き主人へと向けられる。
アン王女は黙っていた。黙るしかなかった。
何故なら、惨敗した部隊に、親愛するランスロットが居る筈なのだから。
「宰相……本当、なのですか……?」
震える声で紡がれたアン王女の問いに、コヴェントリー宰相は静かに頷く。
「事実確認中です。ベリー将軍麾下の伝令が駆け込み、伝えられた事ですので、正確な把握は出来ておりませんが……定時連絡が届いていない事から見ると、可能性は極めて高いかと」
アン王女を目眩が襲う、視界が白くなる。
しかし、倒れるのだけはグッと堪え、意識を繋ぎ止めた。まだランスが死んだと決まった訳じゃない。彼が帰る時まで、自分は立派な王女でなくてはならないのだ。
「コヴェントリー宰相、現在、帝国軍はどこまで来ていると思われますか?」
「おそらく到着まで二十日の距離に。此処まで来るのに二つの貴族領を通らねばなりませんから、最短でそれくらいかと」
「解りました。周辺の領主に王都防衛に援軍を派遣する様に要請を。王都の守備隊は、大半が島々の防衛に回しているので、一〇〇〇近くしか居りません。このまま帝国軍を相手にするのは不可能です」
「しょ、承知致しました殿下……直ぐに支度致します」
反論する余地の無い指示に、コヴェントリー宰相は恭しくアン王女に頭を下げると、部屋を後にした。
途端に、緊張が抜けたアン王女は、椅子からズルリッと滑り落ち、メーベルに抱き止められる。
「殿下⁈」
「大丈夫……少し疲れただけだから……」
平静を装っているが、やはり顔色は優れない。ランスロットの事が心配で堪らないのだ。
「ランス、大丈夫だよね……?」
「きっと大丈夫です。前にも言いましたが、彼の方が殿下を残して死ぬ筈はありません」
「わかってる……わかってる…………」
自分を抱き留める侍女の手を握り締めながら、アン王女は溢れ出そうな涙を必死に堪えた。
成歴八九三年七月六日
王宮に新たな急報が齎される。ベリー将軍率いる残兵達が王都へ帰還したのである。
「あっ! 殿下!」
メーベルの手を振り切り、コヴェントリー宰相の下を訪れているというベリー将軍へ会う為、彼と共に居た筈の己が騎士に会う為、アン王女は王宮内を駆け抜けた。
(ランス……)
会いたい。早く会いたい。思いが先走り、足の自制はもう効かない。
宰相室に着き、衛兵の制止に気付かず、扉を開け、アン王女はコヴェントリー宰相の前に跪くベリー将軍を視界に入れる。
「殿下⁈」
驚く二人の顔を見て、ふと自分の姿を顧みたアン王女は、はやる気持ちを抑えて、気丈に振る舞う。
「ベリー将軍、よく戻られました」
「敵に敗北しながら命永らえ、オメオメと帰還してしまいました。面目次第も御座いません……」
次期女王へと向き直り、深々と頭を下げるベリー将軍に、アン王女はそっと働きを讃える様に、彼の肩に手を置いた。
「無事に帰ってきてくれたこと、喜ばしく思います。貴重な忠臣を喪わずに済みましたから」
「殿下……」
ベリー将軍は顔を伏せ、歓喜の涙を堪える様に顔をしかめた。
「将軍、早速、何があったか教えて下さい。戻って直ぐに酷とは思いますが」
「いえ、宰相閣下にもこれからお伝えする所でした」
立ち上がり、姿勢を正し、ベリー将軍から告げられた窮状。
ニューポート辺境伯の裏切り、行方不明になったクライヴ、何よりアン王女の心を騒つかせたのはランスロットについてだった。
「突如、帝国軍は休戦を申し出て、話し合いの場を持ち出してまいりました。これ以上の戦いは、ただ犠牲を出すだけだとして、交渉人を派遣して欲しいと言われたのです」
「その交渉人にサルフォード卿を選んだのですね?」
「正確には彼が立候補したのです。止めはしたのですが、聞き入れられず、渋々送り出した結果……サルフォード卿は敵に捕まり、それを機に帝国軍が此方の混乱を突いて総攻撃を仕掛けて来ました。結果、我々の奮戦虚しく、数の差には逆らえず……惨敗を喫した次第です」
悲痛な面立ちでベリー将軍から告げられた内容に、アン王女は一瞬、血の気が引いた。
敵に捕まるとはどういう事か。しかも、ランスロットは王女付きの騎士、次期女王に仕える騎士。貴重な情報を聞き出そうと、拷問を受け、最悪殺されている可能性がある。
また目の前が真っ白になっていく。グッと踏ん張って意識を保つのも辛くなって来た。
言葉を失い、立ち竦むアン王女を他所に、コヴェントリー宰相は更にベリー将軍を問い質す。
「味方は幾ら残っている?」
「僅か三〇〇〇余り……対して、帝国軍は新たに派遣された援軍含め、三万近くです」
「周辺の領主共がまた兵を出すのを渋って、今王都には一〇〇〇の兵力しか居らん」
「合わせて四〇〇〇……守りが強固な王都とはいえ、守り切るのは難しいですね……」
「こんな緊急時に貴族共め……自分さえ良ければ良いと考えておるらしい」
「更に良くない報せが。途中通過しました領地の領主達も、領都に立て篭もり、傍観の構えを取っております」
「この国はそこまで腐ってしまったというのかっ‼︎」
コヴェントリー宰相は堪らず机に拳を叩き付け、再びベリー将軍へ視線を向ける。
「ベリー将軍、貴殿に四〇〇〇の兵全てを預ける。帝国軍の補給限界まで王都を守り抜くのだ!」
「はっ! 必ずや、雪辱を果たして御覧に入れましょう!」
恭しく頭を下げながら、一瞥し見えたアン王女の悲しげな顔に、ベリー将軍の口元がニヤリッと黒い笑みに歪められた。




