1-23 内通者
成歴八九三年六月二十四日
三日間の間、明確な軍事衝突は確認されないまま、小さな戦闘が散見される程度の状態が続いた。
帝国軍は小勢相手に『大精霊』の術を使わせれば御の字であったが、やはり淡い期待でしかなかったらしく、結局は動きを推し量る程度の役割しか果たせなかった。
しかし、一方で、そろそろ連合王国には強い警戒心が生まれ始めていた。帝国軍は本国と離れ、兵站線が長く、物資も時間経過と共に少なくなっている。王都を目指すのであれば、良い加減、此処を突破しておきたい筈である。
「ベリー将軍、いよいよ動き出しますかね……」
「だろうな。このまま無為に兵力を削るのも愚策だ。短気でなくとも、痺れを切らし動き出したくなるだろう」
ランスロットとベリー将軍が睨む先にて、遂に帝国軍は一部予備兵力を残し、右翼と左翼まで含めたほぼ全軍での行軍を開始した。
だが、やはり馬鹿正直に攻めて来る気は無さそうである。流石というべきか、ランスロットの【精霊術】の対策を講じてきた。
「部隊を二手に分けて来やがったな。一見すれば兵力分散の愚を犯しているが……」
「敵は我々が攻略出来ていない重装歩兵を主力としています。そこを兵力を分けて、離れさせ、私の【精霊術】で片方しか潰せない様に工夫されている。このまま【精霊術】を片方にぶつけて兵力を半減させれば良いのですが……」
「それが狙いだろうな。兵力は敵が二倍、片方の部隊だけも此方と互角だ。しかも、重装歩兵半数ずつに分けてもいやがる。片方を潰しても、此方に勝てる戦力は残せる訳だ」
「使い所が重要ですね。合流の隙を狙うべきでしょうが……」
「しねぇだろうな。間違いなく、両翼を先ず潰しに来るだろうよ」
となれば此方も兵力を分けねばならないが、当然、二正面での戦闘を強いられる。妥当なのは各個撃破だが、軽々しく選択出来る兵力差となっていない。別れた敵の両部隊共に此方と互角の兵力なのだから。
しかし、取れる道は、残念ながらこの一本道しかなさそうである。
「ベリー将軍、ニューポート軍に左から迫る敵を足止めさせているうちに、残り全軍で右から迫る敵を叩きましょう」
「結局、各個撃破となっちまう訳だ。だが、それしかねぇな」
こうして練られた作戦に基付き、ベリー将軍率いる本隊はカークウォール軍と合流し、ニューポート軍は、二〇〇〇の兵力で一万を誇る敵との交戦を強いられる事となった。
幸いなのは、左から迫る帝国軍はカルロスとウエルバ将軍が指揮を執っており、『錬成武器』有するブルゴス将軍がカークウォール軍の方に向かっていた事だろう。
「敵は約一万、此方は二〇〇〇、一時間程持たせられれば御の字だな」
嘆息するニューポート辺境伯。仕方がない、どう考えても部の悪い賭である。【精霊術】を駆使した時間稼ぎも敵重装歩兵には余り意味が無い。土属性の【精霊術】による嫌がらせが限度である。
普通に戦えば、塵芥の様に踏み潰されるだろう。
そう、普通に戦えば。
「漸くだ……邪魔な援軍も来ない。これで後腐れ無く、ベリー将軍共を始末出来る!」
ニューポート辺境伯の口元が細く歪む。
「まったく……せっかく奴等の目を欺く為、多くの駒を死なせたというのに……水泡に帰したら元も子もない。昨日はヒヤリッとさせられた。まさか、クライヴの小僧が援軍に来るとは……お陰で帝国軍との合流、後の側面攻撃が叶わなかった。つくづく余計な事をしてくれたものだが……まぁ、全て丸く収まれば関係などあるまい」
国王が死に、幼い子供、しかも女が次期王などと聞いた時、ニューポート辺境伯の国家への忠誠心は無残に砕け散っていた。
今まで、国の盾として尽くして来ながら、与えられのはただの賛辞と僅かな褒賞のみ。命懸けで働いた臣下に対しなんたる仕打ちだ。
だが、政府が一部の貴族共による専横で腐敗しているのは知っていた。だから、次代の国王がそれを一掃してくれる一縷の望みに賭けていたのだ。
にもかかわらず、小娘が君主になるなど、専横貴族が増長し、自分の扱いはますます悪化するに決まっている。
こんな腐臭臭い国に居て溜まるものか。なら、連合王国を裏切り、帝国に媚を売り、出世の道を歩く方が遥かに良い。
「こんなふざけた祖国など早々に滅ぼしてやる! 滅ぼさなければならない‼︎ そして、散々俺を使い捨ての道具がごとく扱って来た腐った貴族共を皆殺しにし、あの血統のみで玉座を牛耳ようとする小娘も捕らえ、貼り付けにして市中に晒してやる‼︎」
下卑た笑いを浮かべ、未来の道先を照らす栄光に魅入られるニューポート辺境伯。本来、彼の性格は劣悪ではない筈だった。
彼を動かすのは復讐心。忠誠を裏切り続けた祖国への恨みだった。
彼は憎かったのだ。自分が何をしようと、何も返さず、何も変わらず、堕ちて行く祖国が。己が献身を食い潰そうとする貴族共が。変革を齎そうともしない王家が。
ただただ憎かった、恨めしかった。だからこそ、破壊してやろうと思った。
戦い前から敵と内通し、バレない様、シーブリーズで無様な敗戦を着し、同僚に愛想笑いを振り撒き、頭を下げ続けた。
ベリー将軍の近くには監視を置き、全ては無理でも、戦い最中の行動は逐次把握し、会話も一言一句逃さぬよう耳の良い奴を監視とした。お陰で、帝国軍に対してどんな戦術を用いるのか簡単に把握出来た。
全ては良きタイミングで裏切って、同僚共を一掃し、帝国軍と共に王都へ破滅を手見上げに凱旋する為、復讐を果たす為。
「帝国軍と接触し次第、合流し、ベリー将軍共を挟み撃する‼︎」
高揚感を湧出させ、瞳をギラつかせ、目前に迫る輝かしい未来のみを見詰める。
「よしっ、全軍、連合王国軍本隊に向け‼︎」
「やはり、馬脚を現しましたか……辺境伯」
冷たき声、自分を糾弾する声。
聞き覚えがあった。忘れるべくもなかった。
会議の際に同席した騎士。指揮官でも無い青年。
されど、『大精霊』の加護を持つが故に、無視出来ぬ存在となった『精霊術師』。
「ランスロット・サルフォード! 何故、此処に居る⁈」
「何故? 決まっているではありませんか。貴方が裏切り者だと気付いていたからですよ。監視はもう少し厳重にした方が良い。偶にベリー将軍に撒かれていたでしょう?」
ニューポート辺境伯の額から冷や汗が滲む。
「馬鹿な……欺いた、欺いていた筈だ……いつだ、いつから気付いていた⁈」
「初めからですよ。戦う前から、貴方が裏切るだろう事は予測していました。だから、ベリー将軍とクライヴ殿には口裏を合わせて、気付かれないよう、この戦い中全て、演技をして貰っていたのですよ」
「最初から、だと……?」
どの様に⁈ どうやって⁈ 帝国との連絡は入念に入念を重ねた筈。戦う前からバレるなど有り得はしない筈。
(まさか、帝国内に間諜を潜り込ませているのか……⁈)
これなら頷ける。権力者なら他国に手持ちの駒を置いておく事も可能であり、情報収集の為にもそうするだろう。
まして、ベリー将軍は多数の部下を抱えている。彼なら間諜を帝国に送れ、その情報を密接な関係にあるサルフォード卿と共有する事も可能だ。
運が悪かったとしか言い様がない。ベリー将軍が放った間諜にバレるなどという小さな確率を引き当ててしまったのだから。
おそらく、今、計画を実行しても、既に警戒され、大した損害は与えられないだろう。
しかし、まだ手はある。此処でサルフォード卿を殺してしまえば、連合王国軍に切り札はない。更に、【精霊術】を使わせても、切り札を当分封じれる。
幸い、此処は自陣営。対して、サルフォード卿は間抜けにも一人だけ。
勝てる! 帝国軍を勝たせ、連合王国を滅ぼせる‼︎
「俺の思惑がバレた以上、本隊を叩くのは難しい。だが、貴様さえ殺せば、『大精霊』の加護は無く、戦況は一気に帝国軍に傾き、連合王国滅亡の足掛かりとなろう!」
ニューポート辺境伯が剣を抜き、切っ先をランスロットへ向けた事で、周りのニューポート軍兵士達もランスロットを取り囲む。
「サルフォード卿、此処で死ねぇえええっ‼︎」
ニューポート辺境伯の号令と共に、取り囲んでいた兵士達が一斉に動き出し、ランスロットへと襲い掛かる。
多勢に無勢、後の事を考えれば【精霊術】も使えない。
「勝った‼︎」、そうニューポート辺境伯が確信した時、ランスロットは静かに嘆息する。
「最初から演技をしていたと言ったでしょうに……」
その瞬間、ランスロットの周りに大量の水が集まり、彼が横に剣を振った瞬間、円状に水が刃となって広がり、周りの兵士の胴と腰を真っ二つにした。
「ば、馬鹿な……【精霊術】を少しでも使えば、切り札すら使えなくなる筈⁈」
「嘘ですよ。確かに、アレだけ威力の高いものは二日に一度しか使えませんが、だからといって他の【精霊術】が使えなくなる訳ではありませんし、逆もまた然りです。さて……」
ニューポート兵から出来た血溜まりを踏み、ニューポート辺境伯を含め、怯えて立ち竦むニューポート軍を睨みながら、ランスロットは切っ先を彼等へと向ける。
「連合王国を裏切り、殿下に反旗を翻そうとした罪を贖って貰おうか、ニューポート軍!」
ギリギリっとニューポート辺境伯の奥歯が悲鳴を上げ、憤怒と怒りが瞳から滲み出る。
「奴をぶち殺せぇえええっ‼︎」
大挙してランスロットへと襲い掛かるニューポート軍だったが、彼等にとっての悲劇の幕を、自身で開いた事となった。
ランスロットによる殺戮劇を、彼等自身で味わう事となったのだから




