1-21 裏切りの影
成歴八九三年六月二十日
再び睨み合いを始めた両軍だったが、やはり帝国軍に動く気配は無い。ランスロットの【精霊術】を警戒しての事だろう。
「動きませんね……やはり、『大精霊』の【精霊術】を恐れてのことでしょうか?」
「だろうな。お前の【精霊術】は、やはり彼方としても予想外だったのだろう。まぁ、今日は動かないで欲しいがな」
ベリー将軍の危惧、これはランスロットが大規模な【精霊術】を使用してまだ一日も経過していない事に由来する。先の会議でも言及していたが、大規模な【精霊術】を使ったランスロットは、まるまる二日【精霊術】自体が使えなくなるのだ。つまり、帝国重装歩兵への対応策を持ち合わせていないという事になる。
「お前が【精霊術】を使えぬ以上、帝国重装歩兵はどうしようもない。明日の半ばまではこのままであって欲しい」
「今日一杯は大丈夫でしょう。彼方はその事を知りませんから」
「確かにな。もし攻めて来ても、積極性は無いだろう」
帝国軍が、警戒すべき事も無いと、戦術を入れた数での押し切りなどしてくれば、地の利がある連合王国軍とて無事では済まない。まして、彼方は重装歩兵、此方は軽装歩兵と『精霊術師』と僅かな騎兵。押し負ける危険がある。
「何にせよ、平穏無事に今日が過ぎれば万々歳だがな……」
そう願ったベリー将軍だったが、願い通りに事が運ぶなど稀である。結局、彼の願いも、稀以外の物に含まれてしまう事となる。
帝国軍主力が遂に、連合王国軍へ向け進軍を開始したのだ。
今回は、昨日の戦いで痛手を負った両翼を残し、本隊の大半を加えた、サラゴサ将軍を指揮官とする一万の兵が、微かな水が流れる川を越え、勾配を上り、数十個のテストゥドの陣形を重装歩兵に組ませ、その中に十数名ずつの軽装歩兵が隠れ、余った者達が彼等の遥か後方から追随する。
静かに、ゆっくりと、鎧と盾を擦らせ、音を鳴らし、向かってくる敵の箱々に、ベリー将軍の眉はしかめられた。
「どうなってやがる……敵は何の警戒もせずに、速度も落とす事なく迫ってくるぞ! 昨日あれだけやられておきながら、『大精霊』が怖くないのか奴等⁈」
不味い事になった、とベリー将軍は慌てて本隊に防御態勢を取らせ、両翼にも防御を固めるように通達した。
「まさか……今、『大精霊』が使えないのがバレたのか? あり得ん! こんな簡単に発覚するなど……」
状況が整理出来ずに冷や汗を流したベリー将軍に、隣のランスロットは冷静に一つの結論を導き出す。
「"内通者"が居るのでは……?」
「内通者だと⁈」
「味方の誰かが、『大精霊』について、敵に情報を密かに流したと考えれば、辻褄は合います」
「確かにそうだ、だが……」
「証拠は無いですし、危険な憶測です。部隊に疑心暗鬼の種を蒔きかねません」
ランスロットの話が事実だと仮定すれば、確かに現状は理解出来る。しかし、判断材料としてはまだ薄く、断定するには早急過ぎた。
「この話は後日改めて再考しよう……今は目の前の窮地を処理せねばならん」
ベリー将軍の意見にランスロットが首肯し、これで話を収めたが、やはり無視出来ぬ議題ではない。
裏切りによって負けた戦いは少なからず存在するのだから。
帝国軍本陣、サラゴサ率いる兵士達を見送りながら、フィリペはやはり不安気に眉をひそめていた。
「本当に大丈夫なのか……? 昨日の『大精霊』による術で痛手を被ったのは無視し辛いぞ?」
「大丈夫ですよ。アレだけの大規模な【精霊術】ともなれば二日に一回が限界。二日間は使えないのですから」
「なら、何故お前は、昨日の会議でその事を言わなかったんだ……?」
「今日の朝、思い出したのですよ。昔、チップ島の帰還兵から《チップ島の守護者》の弱点について聞いていたのを忘れていました」
「おいおい……重要な情報を忘れるなよ……」
「普通は、呆れられるのは逆な筈なのだがな」と細めた目を弟へ向けたフィリペは、まぁ良いと、改めて敵陣地を見上げた。
「確かに、アレさえ無ければどうとでもなる。二日間は使えないとなれば、今のうちに敵の兵を大分削っておきたい。やっぱ、騎馬隊が無いのは痛いけどな」
飄々と述べたフィリペの口に対し、その目は鋭く前線の戦況を見詰めていた。
こうして、第二幕が開かれた〔カーム川の戦い〕。当初、連合王国軍本陣を狙うかに思われた帝国軍だったが、一部部隊を残し途中で侵攻方向を変えた。
「クソッ! あっちは数が少ないニューポート軍だ! 奴等、弱い所から潰す気か⁈」
帝国重装歩兵の七割近くがニューポート軍へと方向転換したが、そう簡単に追わせてくれそうには無かった。残り三割が連合王国軍本隊の足止め態勢に入っていたのだ。
「サルフォードの坊主の【精霊術】があれば……」
悔やんでも仕方がない。今は目前の敵を蹴散らし、後にニューポート軍の援護に回るしかない。
こうして、連合王国中央本隊は、敵足止めの殲滅へ向け動き始める。
一方、帝国主力の猛攻を受ける羽目となったニューポート軍では、辺境伯が苦々しく舌打ちを零した。
「全軍、敵重装歩兵へ向け、炎の【精霊術】を放ち牽制しつつ、土の【精霊術】で壁を作り足止めをせよ‼︎」
命令に従い、炎を雨霰のごとく帝国軍に振らせるニューポート軍だったが、やはり手厚い装甲に阻まれ傷を与える事すら叶わない。幸い、土の壁がある程度進軍を阻めてはいるが、やはり数が足りず穴だらけ。ジワジワと敵に詰め寄られていく。
「やっぱり効かないか……にしても動きが速い」
サルフォード卿の【精霊術】の弱点を見破られたのだろうか? にしても対応が早過ぎるだろう。何より、後腐れが無く、攻撃が積極的過ぎる。
このままでは数が不利なニューポート軍が壊滅させられてしまう。ニューポート兵達から冷ややかな嫌な汗が流れ落ちる。
しかし、どうやら帝国軍にとっての誤算が生まれた様である。他を足止めしていた部隊が、逆に連合王国軍本隊に全て足止めされた事で、カークウォール軍への備えを手薄にしてしまったのだ。
「辺境伯、御無事ですか⁈」
駆け付けたクライヴに対し、ニューポート辺境伯は安堵の吐息を吐くと、感謝の会釈をする。
「クライヴ、助かった。やはり、シーブリーズでの敗戦が痛手らしい」
「無理もないでしょう。初戦は侵略側が勝つ。初撃の主導権が彼方に帰する以上、防衛側はどうしても後手に回らざるを得ないのですから」
「たが、二度は負けん! 初戦の雪辱は果たしてやらねば!」
「残念ながらそう上手くもいかない様です 」
クライヴが帝国軍を見ると、彼方は部が悪いと悟ったのか、直ぐに撤退を開始していた。
「退き際が良いですね……なかなか有能な将と見えます」
「雪辱の機会を逸したか……まぁ良い。まだ次の機会もあろう」
帝国軍の撤退により、二回目の戦いも連合王国軍の勝利に終わったが、大した正面衝突は起きず、両者共に一〇〇未満の犠牲に留まり、一日を終えた。




