1-15 待つ者、戦う者
成歴八九三年六月十五日
連合王国王都セントクロス。王宮にて、アン王女は、社交界への出席のため、侍女に髪の手入れをされていた。
「今頃、ランスは痛い思いとかしてないよね……」
目を伏せ、寂しそうに、弱々しく王女から吐露された不安に、年若い侍女のメーベル・ステインズは、彼女の銀色の髪を櫛で梳きながら、安心させる様な優しい口調で告げる。
「戦場に居るのですから、サルフォード卿でも、少なからず怪我は負ってしまうものですよ」
「わかってる! わかってるけど……」
「気になるんですね?」
「うん……」
「そう御心配なさる必要も無いと思いますよ? あの方は殿下を御一人になさって、何処かへ行ってしまう、なんて真似をする御方ではありませんから」
和やかに諭すメーベル。彼女もアン王女にとって、ランス程ではないが、信頼を寄せる心の拠り所であった。
そんな彼女が大丈夫と言うのだから大丈夫ではあるのだろうけど、やはり気が気では居られない。
「殿下、サルフォードと御約束なさったのではないのですか?」
その言葉でハッと思い出したアン王女は、勇気を振り絞る様に、胸の前で右手拳をぎゅっと握り締める。
「そうよね……こんな事で寂しくしてちゃ駄目だよね? これは立派な王女の姿じゃきっとない。これじゃあ、帰ってきたランスを失望させちゃう!」
アン王女は目の前の鏡に写る自分の今の姿を確認する。
「立派な王女……先ずは、それが何なのかちゃんと知らないと。沢山難しい本を読んだけどまだ解らなかった。だから、もっと調べて、立派な王女になる準備をしなくちゃ!」
決意を固め、アン王女は両手拳を目の前で小さく掲げる。
「よしっ、やるぞ〜!」
健気で微笑ましい幼き主君の姿に、メーベルは妹を見守る様に慈愛を込めた笑みを浮かべると、髪を整え終えたとして、彼女から手を離した。
「殿下、終わりましたよ」
そうして、完成された御披露目における姫君の姿。白銀の髪と類似した煌びやかな白を基調とするドレスに、銀色のティアラが頭に乗せられている。
実際の年齢より五歳は大人びて見え、最早、幼き少女は居らず、一人の淑女が姿を表した様だった。
「何度見ても、着飾った殿下は御美しい。もう少し大人になられたならば、どれ程になるのかと少し楽しみになります」
「なれるなら、私も早く大人になりたい。そうしたら……」
「ランスは私を女性として見てくれるかもしれないから……」そう、続きをアン王女は口にしようとしたが、内に潜めておいた。
此処で言っても何も起こらない。
彼は今、戦場に居るのだから。
「殿下、そろそろパーティー会場へ参りましょう。随伴の騎士も到着した様ですし。次は、またサルフォード卿にエスコートされると良いですね?」
「うん、本当にそうなって欲しいわ」
だからこそ、早く生きて帰って来て欲しい。切実な願いを持って、アン王女は、ランスが戦っているであろう南の方に、少し視線を向けたのだった。
カーム川を挟み、対岸に陣を張った帝国軍を眺めながら、ランスロットは今は遠き主君の顔を思い浮かべる。
「殿下は今頃、寂しい思いをされてはおられぬだろうか……? もしや、泣いてなど……」
結局、アン王女が心配で気が気でないランスロット。彼女と離れるなど何年振りだろうか? 長く共にあり続けた為に、少し過保護になり過ぎていた。
そんな若き騎士の様子に、ベリー将軍はまたか、と苦笑した後、彼の隣に並び立つ。
「過剰に殿下について考えても、神経がすり減るだけだぞ? お前の方が殿下に依存しとる様に見える。多少は殿下離れしてはどうか?」
「しかし、殿下はまだ幼き少女。いつ何が起こり、何者かに害される可能性も……」
「口説いな。殿下には成長して貰わねばならないと言ったのはお前だろう。一人で立つ事を覚えさせるのも大切ではないのか?」
「解ってはいますが……」
「殿下が成人なさり、御結婚でもなされたらどうする気だ? まだ側に居続けるつもりか?」
「その時は潔く……」
先程から言葉を濁してばかり。最後に至っては将来への嫌悪感が滲み出てしまっている。殿下が関わると、この騎士は驚異的に頼もしく立ち回るのだが、逆に過保護さ故に間の抜けた姿になる時もある。まるで父親の様だろう。
少々話も脱線し過ぎた事だし、ベリー将軍は対岸の敵を睨みながら、本題に入る。
「取り敢えず、現状として敵を倒さねば殿下に再会する事も叶わん。今は帝国軍を如何するかをのみ考えるべきだ」
「しかし、全ての仕込みは完了しており、今はただ相手が動き出すのを待つしかありません」
「そうだな。上手く引っ掛かってくれれば良いが……」
靴底が埋まる程度の水量しか流れていないカーム川を見下ろしつつ、ベリー将軍は眉をしかめ、ランスロットも危惧する様に目を細めた。
「彼方に動きが無いのが妙ですね。到着早々に攻めて来ると思いましたが、陣を張るとは……」
「まぁ、此処で長い事戦うなら拠点は居るし、もしくは彼方も何かしらの罠を仕掛ける気なのかもしれん。警戒はしておこう」
こうしてカーム川で相対した両軍の一日は、ただの睨み合いで終わり、暫くこの状態が続けられる事になる。
こうして無為な時間が経過し、四日目にして漸く帝国軍が腰をあげる事となった。




