1-10 シーブリーズ上陸作戦
成歴八九三年六月五日
ニューポート辺境伯領シーブリーズ岸沖。現在、海上に巨大な蛇を顕現させたが如く、フィリペを総司令官とする上陸部隊の第一陣、約一万を乗せた帝国の大艦隊が鎮座していた。
陣形は単縦陣、艦隊側面を海岸線と平行に保ち、各艦の横腹からは十八程の筒が海岸の敵部隊を狙っている。
その筒こそ、エスパニア帝国のみが保有する兵器"大砲"であった。
五大国にはそれぞれ固有の技術が存在し、エスパニア帝国に於ける技術こそ、鉱物や薬物に長けた奇蹟"【錬金術】"であった。
この技術によって、火薬が生まれ、それを元に大砲が開発された訳である。
兵器技術の差では圧倒的に帝国が上であり、それだけ見れば優勢、勝利は盤石だと言える。
"連合王国にも同等の奇蹟などが無ければ"
「まったく……これは面倒そうだな……」
甲板からシーブリーズ海岸を眺め嘆息した、(流石に無精髭を剃った)フィリペ。視界奥の砂浜にて、上陸する敵を迎撃するように、ニューポート軍約二千が展開を完了。防衛陣地が設置され、此方を睨んでいた。
「兄上!」
「カルロスか……アレを見ろ。見事なまでに敵の準備は完璧だ。まぁ……兵力は少ないだろうが、こっちは侵略戦、あっちは防衛戦。苦戦するだろうなぁ……」
「しかも、連合王国には"アレ"もあります」
「はぁ……面倒極まる……。初戦でこれとは、本当に勝てんのかねぇ……」
弱気を吐くフィリペに、カルロスはやれやれと肩をすくめる。
「既に賽は投げられました。文句を言っても仕方がないですよ」
「そうだな。まぁ……俺は御飾りだ。指揮はお前に任せて、俺は悠々と惰眠を貪るさ」
「あの時の様な辣腕は振るわれぬと?」
「あん時は例外だ。基本、面倒臭い。ふあぁ……眠いから俺は寝る。出来るだけ、砲声で起こすなよ」
「それは無茶というものですよ」
去り行くフィリペの背中を眺めつつ、カルロスは少し残念そうに苦笑する。
「フィリペ殿下は相変わらずですなぁ」
背後から聞こえた嗄れた声。それにカルロスが背後を振り向くと、そこには白髪が目立つ老人の姿があった。
「サラゴサ将軍」
ヴィクトル・サルゴサ。齢七十を越す帝国の宿将で現役を退いた筈の将軍であるが、まだ足腰は元気そうで歩き方には若々しさが残っている。
「カルロス殿下も御大変そうで。フィリペ殿下をやる気にさせるなど骨が折れるでしょう」
「まったくです……〔トゥルエノの戦い〕の時が如く活躍なされば、勝機もあるのですが……」
「儂が生涯最後の戦として赴いた戦い、あの時の事は鮮明に覚えております。フィリペ殿下が居られなかったら儂は此処に立ってはおりますまい。まぁ、この隠居ジジイがまた戦場に出れるとも思いませんでしたがな」
コロコロと笑うサルゴサ将軍。今回、動員されたフィリペ、カルロス以外で参戦する将軍は三人。サラゴサ将軍もその内の一人であったが、彼等全員、皇帝や大臣、官僚達に疎まれている者達であった。
今回の戦いは敗北が確実と考えられており、あわよくば戦死、出来ずとも敗戦の責による処刑により消そうと画策されていたのだ。
「いやはや……この老骨すらも目障りとして始末しようとする。帝国も変わってしまったものじゃ。我が若かりし頃の帝国は、民も潤い、活気に満ちた良き国であったと言うのに……」
「将軍……」
「いや、殿下に御見苦しい事を……申し訳ありませぬ」
そう、昔のエスパニア帝国は素晴らしかった。
栄華を誇り、民が幸せに暮らしていた大国。
時が経ち、朽ち始めてしまった強国。
醜く、腐って行く祖国。
だから思ってしまうのだ。
こんな国に守る価値はあるのかと。
「兄上が亡命を考える理由も解る。もし、この戦いに勝ち、粛清を免れたとして、自分達の身の危険が去る訳ではない。やはり……」
カルロスの脳裏をある計画が過ぎる。それが後に、この戦いのみならず、帝国の未来を決定付ける物になると、彼以外に知る者は居ない。
帝国による⦅無数の島々⦆大規模侵攻に並行して進められたフィリペを総司令官とする連合王国本土侵攻作戦。後に〔ルゴス戦役〕と呼ばれる戦いは、帝国艦隊の砲声と共に始まった。
第一射は全砲門により一斉砲撃で、各砲門から無数の火花が散り、数多の砲弾が宙を舞った。
「敵斉射、来るぞぉおおおおおおおおっ‼︎」
シーブリーズ海岸に展開したニューポート軍が敵の攻撃を察知し、防御態勢を敷き始めた瞬間、彼等の中から言葉の羅列が複数聴こえて来る。
「「「『汝は四肢を持たぬ獣、強靭なる盾と成りて、我等を守護せよ』」」」
その瞬間、ニューポート軍の前に巨大な土の壁が出来上がり、帝国艦隊からの砲弾を防いで行く。
「アレが連合王国お得意の"【精霊術】"か……やっぱり厄介だ」
カルロスが甲板から少し苦味混じりに賛美した敵の奇蹟。連合王国固有の技術"【精霊術】"。四大元素を操る奇蹟であり、扱える人間自体が少数であるとされながらも強力な技術である。
先程ニューポート軍が使ったのは、〈グランドウォール〉と呼ばれる土属性の【精霊術】であり、砲弾の悉くが土壁に衝突し、敵兵を殺傷出来ずに動きを止めていく。
その後も帝国軍は執拗に砲弾を放ち、ニューポート軍へと急襲させるが、全て〈グランドウォール〉に阻まれる。
「仕方ない……このまま小舟を下ろし、上陸作戦を開始せよ!」
このままでは埒があかないと考えたカルロスは、半ば強行手段ながらシーブリーズへの上陸を結構する。
各艦船からは兵士数人を乗せた小舟が次々と下され、海岸へと向かっていく。
「敵が接近して来ます!」
「よし! 弓兵、水及び炎の『精霊術師』を前に出し、上陸部隊を足止めせよ!」
ニューポート軍指揮官の命令が電波し、弓兵が弓を構え、土壁の合間から顔を出し、帝国の小舟目掛けて矢が放たれていく。
矢は曲線を描いて帝国兵を串刺しにし、水面へと落としていく。
当然、それで終わりではない。
「「「『汝は姿無き剣、口を開き、害意の足を止めよ』」」」
その瞬間、小舟団とシーブリーズ海岸との間に無数の渦が現れ、帝国小舟を海中へと引きずり込む。水属性〈メイルシュトゥルム〉が発動されたのだ。
「「「『汝は平和無き咆哮、果て無き怒りを解き、敵を殲滅せよ』」」」
その瞬間、ニューポート軍から炎の玉が発射され、帝国小舟を強襲。木製舟ごと兵士達を焼き尽くした。炎属性〈ファイヤーカノン〉が放たれたのだ。
ニューポート軍による水属性、炎属性の『精霊術師』により帝国の上陸部隊は次々と海の藻屑と消え、辛うじて上陸した者達も圧倒的物量で押し潰されていく。
しかし、カルロスに焦りはない。憤りはあるものの、シーブリーズ上陸は元から成功すると解っているからだ。
「此方には一万近い大軍が居る。見た所、敵は約二千と言った所だろう。普通に大軍の利を生かせば上陸は容易い。だが……」
カルロスの悩みは尤もだった。確かに大軍の利を活かして力押しすれば上陸は叶うだろうが、大量の犠牲が生産されるのが目に見えている。
これは初戦に過ぎない。この後、敵王都までの道のりで、数多の戦いが繰り広げられるだろう。その為にも兵は沢山温存しておかなければならない。
「サルゴサ将軍、何か知恵はありませんか……?」
「ふむ……儂としましても、最善策は大軍で押し切るです。奇策は思い浮かびませぬな」
「そうですか……」
シーブリーズ上陸。敵地への上陸は言わば攻城戦に等しい。多くの犠牲が出るのはやむを得ず、此方は攻城に必要な兵力を持っているので、一番犠牲の出る正攻法たる力技になるのは仕方がない。
「出来れば、砲で敵に打撃を与えてから上陸させたいが……」
「あの巨大な壁を作りだす【精霊術】ですな。 何度か砲撃を浴びせれば壊れますが、すぐに直されます。厄介ですな」
「何か策は無いのか……!」
焦燥に駆られ、カルロスは顔をしかめて頭を掻き毟る。
「あ〜っ、うるせぇ〜寝れねぇ〜」
カルロスの悩みなど無視する様に、フィリペが眠そうに、呑気に欠伸をしながら、頭を掻いて甲板に現れた。
「砲声で起こすなっ言ったよな? カルロス……」
「無茶を言わないで下さい、とも言った筈ですよ、兄上。しかも、それどころじゃ……あっ、そうだ!」
カルロスは妙案を思い付く。とは言っても、丸投げという言葉が正しいが。
「兄上、何か策はありませんか? 犠牲を少なくしつつ上陸させたいのですが……」
「俺は御飾りだっ言ってんだろ? てか、面倒臭い」
「そこを何とか御願いします!」
「はぁ……いや、無理だろう。これ以上、良い策は無い」
「そう、ですか……」
流石に期待し過ぎたとカルロスは反省する。フィリペも万能では無い。奇跡を生み出す箱だと、何処かで思い込んでいた自分が恥ずかしくなる。
「やはり……大軍による消耗戦しかないのですね……」
「そうだな。上陸作戦は消耗戦だ。例え、船を海岸に突っ込ませて座礁させ、船を要塞化しても、兵士は死ぬからなぁ……」
「……ん?」
聞き捨てならない発言に、カルロスは目を丸くする。
「兄上……座礁し、船を要塞化、とは……?」
「あ? いや……シーブリーズは砂浜なんだから何隻か船を突っ込ませて、座礁させれば、こっちが逆に船を要塞と化して防衛戦敷けるだろう。その隙に他の艦船の兵を上陸させれば多少は犠牲が少なく済む。……つうか、それやってんじゃねぇの?」
フィリペが告げた作戦。それに、カルロスは呆気に取られ、隣のサルゴサ将軍は流石殿下とコロコロと笑い出す。
小舟にわざわざ兵を移し上陸するのではなく、艦船ごと上陸する。確かに船の損失覚悟で行えば有効な奇策と言える。
いや、攻守が逆転するという利点を見れば、此方の犠牲が減る最適な作戦と言えるのだ。
そして、この作戦に砲戦は別段必要としなくても良い。
「まさか……とは、思いますが……最初から、この策を思い付かれていたのですか……?」
「ん? あぁ……てっきりお前も考え付いていたとばかり思ってたがな。艦船失うのは痛手だが、こっちは勝利に命が懸かっている。艦船数隻ものの数じゃないだろう」
この時、カルロスは兄の策謀に感嘆せざるを得なかった。
誰が船を犠牲にして上陸させようと思うだろう?
誰がこんな奇策を思い付くだろう?
発想力、機転の利き方、戦術、戦略眼において、この人は優れた能力を有しているのだ。
「やはり、兄上は尊敬に足る御仁だ……」
カルロスは、一層の羨望の眼差しをフィリペへと送り、より深い敬愛の念を彼へ抱いたのだった。
その後、帝国軍は、炎属性の【精霊術】による痛手を受けながらも、艦艇数隻をシーブリーズ海岸へと座礁させる。
それに対し、ニューポート軍は【精霊術】を主軸とする攻城戦を繰り広げ、少なからず帝国軍へと損害を与えるが、その隙に帝国兵ほぼ全軍の上陸を許してしまう。
結果、勝算無しと見たニューポート軍は後退を開始。シーブリーズ海岸は帝国軍の手に渡った。
帝国軍死者一一八〇名、ニューポート軍死者五三〇名。〔ルゴス戦役〕初戦、フィリペ達にとって苦味のある勝利で全てが始まった。




