1-7 花園で
五年程前まで、彼は孤独であった。
生まれた時から特殊な力を発揮した彼は、周りの者達から将来を期待され、嘱望され、渇望された。
しかし、その力の得意性故に、欲や悪意に晒される事となった。
彼を己が手中に収めようと大人達が暗躍し、謀略を巡らせ、潰し合う。それ程までに彼の能力は魅力的であったのだ。
そんな、大人達が広げる血みどろの戦い。まだ子供だった彼でも、何が起きているのかは瞬時に察知できた。
"それが自分の能力のみに向けられているのだという事も"。
彼の事などどうでも良い、彼の人格などどうでも良い、彼の能力のみ価値がある。そんな空気に触れ続け、彼の心は次第に荒んでいった。
いつしか彼は、国の象徴たる『精霊』を、この力を与えた『精霊』を恨み、怒り、彼の存在が生んだありとあらゆるものを憎む様になっていった。
ある日、父に連れられ王宮を訪れた彼は、一面に花が咲き誇る庭園へと向かったが、色とりどりに大地を彩る花壇の花々に、怒りが湧いた。
花々もまた、『精霊』が生んだ物とされているからだ。
「こんなもの!」
彼は一輪の花を踏み付けた。
「クソ! クソ‼︎」
また一つ、また一つと花を踏み潰し、足元を無残に散った花弁と茶色の土が支配する。
「こんなもの! こんなもの! 『精霊』が何だ! 能力が何だ! 俺は俺なんだっ! なのになんで……」
彼は拳を強く握り締めると、目下にあったまだ蕾の花へと足を延ばす。
「『精霊』なんぞクソ喰らえだぁあっ‼︎」
彼の足が、蕾の花を踏み潰そうと迫る。
「ダメぇえええええええええええええ‼︎」
足の裏が蕾に接触する直前、彼は一人の小さな女の子に突進され、抱き着かれ、その勢いに押され、石畳に尻餅を着いた。
「痛ってぇなっ! 何しやがんだガキ‼︎」
「ダメ! お花を傷付けちゃダメ! 痛い事しちゃダメぇえっ‼︎」
彼の動きを抑えるように抱き着く女の子。銀色の長い髪が特徴的で、服も少し豪奢。名家の令嬢だろうか? 年齢は七歳前後だろう。彼とは五歳、いやもっと離れていそうである。
「クソ! 離せっ!」
抱き着き続ける女の子を、彼は、彼女の両腕を掴み、強い力で引き離しに掛かる。
「ダメ! 離したらお兄さん、お花さん達に酷い事するでしょ?」
「お前に関係ないだろう‼︎」
「関係あるもん! お花さん可愛そうだもん‼︎」
「いい加減、離せ‼︎」
「嫌だっ‼︎」
頑なに離れようとしない女の子に、彼は精一杯の力を込めるが、無理な体勢という事もありなかなか離れない。
髪を引っ張れば簡単に解決しそうだが、令嬢相手に暴力を振るうのも不味いし、何より少女相手には気が引けた。
二、三分に及ぶ攻防の末、結局彼は諦め、力尽き、石畳にグッタリと仰向けになった。
「あ〜っ、わかった……もう花は踏まない。だから離れろ……」
石畳にグッタリとなったお陰で、女の子の体重がダイレクトに掛かる。重いと口走らなかったのは、彼の細やかな配慮であった。
彼から戦意が失われた事を確認した女の子は、言われた通り離れ、立ち上がると、腰に両手を当て、プンプンと頬を膨らませる。
「お兄さん、もうこんな事しちゃダメだよ? お花さんを虐めるなんて、いけない事なんだからね?」
「わかったわかった……もうやりません」
(歳下の子供に怒られる自分て何だろう……)
小っ恥ずかしそうに頭を掻きつつ起き上がった彼は、あらゆる馬鹿馬鹿しさから、一時的にだが『精霊』への怒りが消えていた。
「あ〜っ、まったく……何でそこまで俺の邪魔したんだガキ。お前自身が被害を被る訳じゃねぇだろう」
「だってお兄さん、いけない事してたんだもん! したらダメな事だったら止めなきゃダメでしょう?」
「ガキだな……」
彼の無粋な物言いに、女の子は更に不機嫌に頬を膨らませる。
「お兄さん、さっきからガキガキって、わたしにもちゃんとした名前があるもん!」
「知らない名前をどう呼べと?」
的確な指摘だったが、女の子としては少し屈辱だったのだろう。更に憤慨し、軽く地団駄を踏んだ。
正に子供と呼ぶべき行動に、彼はクスリッと笑いを零す。
「本当にガキだな、お前……」
「だからガキじゃないもん‼︎」
女の子はプイッとそっぽを向く。
「お兄さんに『精霊』さまの罰が下ればいいんだ!」
「俺は『精霊』が嫌いだ。怖かねぇよ……」
彼の表情が暗く沈んだ。その変化に気付いた女の子は、頬の膨らみを戻すと、不思議そうに首を傾げる。
「お兄さん……『精霊』さまが嫌いなの?」
「ああ嫌いだね! 俺にこんな面倒なもん押し付けやがった奴等だ。そんで俺の人生を最悪にした奴等だ!」
彼は苦々しく拳を握り締める。
「俺は特殊な力を持っている。いや、借りられると言った方が正確か……それはとても誇らしく素晴らしい力なんだそうだ。で、周りの奴等は俺を何て言っていると思う?」
彼の表情が怒りに歪む。
「"《大精霊の加護持ち》"。それしか周りの奴等は呼ばない、俺の名を決して呼ばない! 知っているのに呼ばない! 俺はたったそれだけの男なのか! 俺の他の物は全否定か‼︎ クッソ……」
彼は自分を見て欲しかった。特殊な力を持った子としてでなく、彼自身を見て欲しかった。
能力の事などどうでも良い。そう言ってくれる者が欲しかった。
しかし、そんな者は誰も居なかった。
能力が無ければ何もない。そう彼は突き付けられている様で、辛く、孤独だった。
だからこそ、自分の事を何も知らない女の子に、年端もいかぬ女の子に、歳下の女の子に、つい、溜め込んだ感情を吐露してしまったのだろう。
「あ〜っ、俺は何言ってんだ……こんなガキに弱気を吐くなんて、見っともねぇったらありゃしねぇ……」
バツが悪そうに顔がしかめられ、頭が掻かれる。
「ガキ……今の忘れ、」
途端に、地面に座り込んだままの彼の視界を、綺麗な布地が覆った。女の子が彼の頭を抱き締めていたのだ。
「ガキ、何して……?」
「辛かったんだね……? 怖かったんだね……?」
優しく紡がれる女の子の言葉。それ等に彼は目を丸くする。
「お兄さんは、一人になるのが怖かったんだね……? 好きな人が居ない世界が怖かったんだね……?」
(何を言ってるんだこのガキは?)
「本当の自分を認めてくれる人が居ない。本当の自分を好きだと言ってくれる人が居ない。好きだと言ってくれる人が居なくて、自分が好きになれる人も居ない」
(おい、いい加減離せよ……言ってる意味がわからない)
「怖いよね……好きな人も、好きと言ってくれる人も居ないのは、怖いよね……」
(理解出来ない。訳がわからない。的外れも良い所だ)
「だから……」
(聞いちゃいられない。本当に良い加減……)
「自分が嫌いになっちゃったんだね……?」
この時、彼の目が見開いた。
「人を好きになれない自分が嫌いで、人が好きになれない自分が嫌いで……苦しくて苦しくて、誰に怒って良いかもわからなくて、『精霊』さまに八つ当たりしちゃったんだよね?」
(違う違う違う‼︎ 全て『精霊』が悪い‼︎ 『精霊』が全てを狂わせた‼︎ 俺は『精霊』を恨むべきなんだっ‼︎)
「お兄さんは自分が嫌い。精霊さまは悪くないって、気付いてるんだよね……? だから……」
(言うな‼︎ もう何も言うなっ‼︎)
「自分を好きになって?」
決定的だった。真意を突かれた。そうだ、彼は自分が嫌いだった。
こんな自分に生まれたから、人は自分を真に好きだと言ってくれない。
こんな自分に生まれたから、自分は人を好きになれない。
こんな自分に生まれたから、ずっと孤独だった。
自分が嫌いだ。恨めしい程に嫌いだ。憎くて憎くてしかない。
だからこそ、もう無理だった。
「好きになれる訳ねぇだろ……長年嫌いだったものを、そう簡単に好きになれる訳ねぇだろ。だからもう離せ……もうどうしようもないんだ。離せ……」
「離さない……」
「離せ……」
「離さない……」
女の子は更にぎゅっと抱き締め、彼は忌々しく唇を噛んだ。
「どうしろって言うんだ……どう好きになれって言うんだ……俺を誰も好きだと言ってくれない。誰も俺を見てくれない……人が好きになれない自分を、どう好きになれって言うんだよ……」
また弱音が溢れる。
もう無理なのだ。
他人が好きだと言ってくれない。
自分を好きだと思えない。
それが延々と続き、刷り込まれた今、もう修復などしようがないのだ。
(だから、もう、どうしようもない……)
そんな彼の弱音、絶望に、女の子はそっと身体を離すと、穏やかに微笑み、彼の瞳を凝視する。
「じゃあ、わたしがお兄さんを好きになる!」
彼の目がバァッと見開かれる。
「わたしがお兄さんを好きになって、わたしがお兄さんの全てを知って、その全てを好きになり続ける。そしたら、もう辛くなくなって、自分をどうやって好きになるかもわかると思うの。だから……」
女の子は胸に手を当て、輝かしくも、眩しくも、慈愛に満ちた愛おしい笑みを彼に向けた。
「お兄さんも、自分を好きになってね?」
(あぁ……何て美しい子なのだろう。何て輝かしい子なのだろう)
救いだった。孤独だった彼に差し込んだ光だった。
綺麗に輝く美しい灯火に、彼は涙を流す。
「好きになって、くれるのか……?」
「うん!」
「《大精霊の加護持ち》じゃなく、俺を好きになってくれるのか…………?」
「うん!」
思いが止まらない。感動が溢れる。涙が止まらない。止めれない。
彼は目頭を押さえ、更に見っともない姿だけは、女の子から僅かながらも隠した。
「ありがとう……ありがとう…………」
零された感謝の言葉に、女の子はまたニコリッと微笑むと、彼の頭を優しく撫でるのだった。
この後、女の子がアン第一王女だと告げられ、両親からこっ酷く叱られたのは、彼自身の記憶に刻まれている。
己が最愛の主君にして、忠誠を誓った相手、アン・イングレス・ユニオンへ、ランスロット・サルフォードが明確な忠誠を誓った日なのだから。




