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五大国戦記  作者: 我滝 基博
第1章 忠義の騎士と怠惰な皇弟
10/33

1-7 花園で

 五年程前まで、彼は孤独であった。


 生まれた時から特殊な力を発揮した彼は、周りの者達から将来を期待され、嘱望(しょくぼう)され、渇望された。


 しかし、その力の得意性故に、欲や悪意に晒される事となった。


 彼を己が手中に収めようと大人達が暗躍し、謀略を巡らせ、潰し合う。それ程までに()()()()は魅力的であったのだ。


 そんな、大人達が広げる血みどろの戦い。まだ子供だった彼でも、何が起きているのかは瞬時に察知できた。


 "それが自分の能力のみに向けられているのだという事も"。


 彼の事などどうでも良い、彼の人格などどうでも良い、彼の能力のみ価値がある。そんな空気に触れ続け、彼の心は次第に荒んでいった。


 いつしか彼は、国の象徴たる『精霊』を、この力を与えた『精霊』を恨み、怒り、()の存在が生んだありとあらゆるものを憎む様になっていった。




 ある日、父に連れられ王宮を訪れた彼は、一面に花が咲き誇る庭園へと向かったが、色とりどりに大地を彩る花壇の花々に、怒りが湧いた。


 花々もまた、『精霊』が生んだ物とされているからだ。



「こんなもの!」



 彼は一輪の花を踏み付けた。



「クソ! クソ‼︎」



 また一つ、また一つと花を踏み潰し、足元を無残に散った花弁と茶色の土が支配する。



「こんなもの! こんなもの! 『精霊』が何だ! 能力が何だ! 俺は俺なんだっ! なのになんで……」



 彼は拳を強く握り締めると、目下にあったまだ蕾の花へと足を延ばす。



「『精霊』なんぞクソ喰らえだぁあっ‼︎」



 彼の足が、蕾の花を踏み潰そうと迫る。



「ダメぇえええええええええええええ‼︎」



 足の裏が蕾に接触する直前、彼は一人の小さな女の子に突進され、抱き着かれ、その勢いに押され、石畳に尻餅を着いた。



「痛ってぇなっ! 何しやがんだガキ‼︎」


「ダメ! お花を傷付けちゃダメ! 痛い事しちゃダメぇえっ‼︎」



 彼の動きを抑えるように抱き着く女の子。銀色の長い髪が特徴的で、服も少し豪奢。名家の令嬢だろうか? 年齢は七歳前後だろう。彼とは五歳、いやもっと離れていそうである。



「クソ! 離せっ!」



 抱き着き続ける女の子を、彼は、彼女の両腕を掴み、強い力で引き離しに掛かる。



「ダメ! 離したらお兄さん、お花さん達に酷い事するでしょ?」


「お前に関係ないだろう‼︎」


「関係あるもん! お花さん可愛そうだもん‼︎」


「いい加減、離せ‼︎」


「嫌だっ‼︎」



 頑なに離れようとしない女の子に、彼は精一杯の力を込めるが、無理な体勢という事もありなかなか離れない。


 髪を引っ張れば簡単に解決しそうだが、令嬢相手に暴力を振るうのも不味いし、何より少女相手には気が引けた。


 二、三分に及ぶ攻防の末、結局彼は諦め、力尽き、石畳にグッタリと仰向けになった。



「あ〜っ、わかった……もう花は踏まない。だから離れろ……」



 石畳にグッタリとなったお陰で、女の子の体重がダイレクトに掛かる。重いと口走らなかったのは、彼の細やかな配慮であった。


 彼から戦意が失われた事を確認した女の子は、言われた通り離れ、立ち上がると、腰に両手を当て、プンプンと頬を膨らませる。



「お兄さん、もうこんな事しちゃダメだよ? お花さんを虐めるなんて、いけない事なんだからね?」


「わかったわかった……もうやりません」



(歳下の子供に怒られる自分て何だろう……)


 小っ恥ずかしそうに頭を掻きつつ起き上がった彼は、あらゆる馬鹿馬鹿しさから、一時的にだが『精霊』への怒りが消えていた。



「あ〜っ、まったく……何でそこまで俺の邪魔したんだガキ。お前自身が被害を被る訳じゃねぇだろう」


「だってお兄さん、いけない事してたんだもん! したらダメな事だったら止めなきゃダメでしょう?」


「ガキだな……」



 彼の無粋な物言いに、女の子は更に不機嫌に頬を膨らませる。



「お兄さん、さっきからガキガキって、わたしにもちゃんとした名前があるもん!」


「知らない名前をどう呼べと?」



 的確な指摘だったが、女の子としては少し屈辱だったのだろう。更に憤慨し、軽く地団駄を踏んだ。


 正に子供と呼ぶべき行動に、彼はクスリッと笑いを(こぼ)す。



「本当にガキだな、お前……」


「だからガキじゃないもん‼︎」



 女の子はプイッとそっぽを向く。



「お兄さんに『精霊』さまの罰が下ればいいんだ!」


「俺は『精霊』が嫌いだ。怖かねぇよ……」



 彼の表情が暗く沈んだ。その変化に気付いた女の子は、頬の膨らみを戻すと、不思議そうに首を傾げる。



「お兄さん……『精霊』さまが嫌いなの?」


「ああ嫌いだね! 俺にこんな面倒なもん押し付けやがった奴等だ。そんで俺の人生を最悪にした奴等だ!」



 彼は苦々しく拳を握り締める。



「俺は特殊な力を持っている。いや、()()()()()と言った方が正確か……それはとても誇らしく素晴らしい力なんだそうだ。で、周りの奴等は俺を何て言っていると思う?」



 彼の表情が怒りに歪む。



「"《大精霊の加護持ち》"。それしか周りの奴等は呼ばない、俺の名を決して呼ばない! 知っているのに呼ばない! 俺はたったそれだけの男なのか! 俺の他の物は全否定か‼︎ クッソ……」



 彼は自分を見て欲しかった。特殊な力を持った子としてでなく、彼自身を見て欲しかった。


 能力の事などどうでも良い。そう言ってくれる者が欲しかった。


 しかし、そんな者は誰も居なかった。


 能力が無ければ何もない。そう彼は突き付けられている様で、辛く、孤独だった。


 だからこそ、自分の事を何も知らない女の子に、年端もいかぬ女の子に、歳下の女の子に、つい、溜め込んだ感情を吐露してしまったのだろう。



「あ〜っ、俺は何言ってんだ……こんなガキに弱気を吐くなんて、見っともねぇったらありゃしねぇ……」



 バツが悪そうに顔がしかめられ、頭が掻かれる。



「ガキ……今の忘れ、」



 途端に、地面に座り込んだままの彼の視界を、綺麗な布地が覆った。女の子が彼の頭を抱き締めていたのだ。



「ガキ、何して……?」


「辛かったんだね……? 怖かったんだね……?」



 優しく紡がれる女の子の言葉。それ等に彼は目を丸くする。



「お兄さんは、一人になるのが怖かったんだね……? 好きな人が居ない世界が怖かったんだね……?」



(何を言ってるんだこのガキは?)



「本当の自分を認めてくれる人が居ない。本当の自分を好きだと言ってくれる人が居ない。好きだと言ってくれる人が居なくて、自分が好きになれる人も居ない」



(おい、いい加減離せよ……言ってる意味がわからない)



「怖いよね……好きな人も、好きと言ってくれる人も居ないのは、怖いよね……」



(理解出来ない。訳がわからない。的外れも良い所だ)



「だから……」



(聞いちゃいられない。本当に良い加減……)



()()()()()()()()()()()()()()()……?」



 この時、彼の目が見開いた。



「人を好きになれない自分が嫌いで、人が好きになれない自分が嫌いで……苦しくて苦しくて、誰に怒って良いかもわからなくて、『精霊』さまに八つ当たりしちゃったんだよね?」



(違う違う違う‼︎ 全て『精霊』が悪い‼︎ 『精霊』が全てを狂わせた‼︎ 俺は『精霊』を恨むべきなんだっ‼︎)



「お兄さんは自分が嫌い。精霊さまは悪くないって、気付いてるんだよね……? だから……」



(言うな‼︎ もう何も言うなっ‼︎)



()()()()()()()()()?」



 決定的だった。真意を突かれた。そうだ、彼は自分が嫌いだった。


 こんな自分に生まれたから、人は自分を真に好きだと言ってくれない。


 こんな自分に生まれたから、自分は人を好きになれない。


 こんな自分に生まれたから、ずっと孤独だった。


 自分が嫌いだ。恨めしい程に嫌いだ。憎くて憎くてしかない。


 だからこそ、もう無理だった。



「好きになれる訳ねぇだろ……長年嫌いだったものを、そう簡単に好きになれる訳ねぇだろ。だからもう離せ……もうどうしようもないんだ。離せ……」


「離さない……」


「離せ……」


「離さない……」



 女の子は更にぎゅっと抱き締め、彼は忌々しく唇を噛んだ。



「どうしろって言うんだ……どう好きになれって言うんだ……俺を誰も好きだと言ってくれない。誰も俺を見てくれない……人が好きになれない自分を、どう好きになれって言うんだよ……」



 また弱音が溢れる。


 もう無理なのだ。


 他人が好きだと言ってくれない。


 自分を好きだと思えない。


 それが延々と続き、刷り込まれた今、もう修復などしようがないのだ。


(だから、もう、どうしようもない……)


 そんな彼の弱音、絶望に、女の子はそっと身体を離すと、穏やかに微笑み、彼の瞳を凝視する。



「じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()!」



 彼の目がバァッと見開かれる。



「わたしがお兄さんを好きになって、わたしがお兄さんの全てを知って、その全てを好きになり続ける。そしたら、もう辛くなくなって、自分をどうやって好きになるかもわかると思うの。だから……」



 女の子は胸に手を当て、輝かしくも、眩しくも、慈愛に満ちた愛おしい笑みを彼に向けた。



「お兄さんも、自分を好きになってね?」



(あぁ……何て美しい子なのだろう。何て輝かしい子なのだろう)


 救いだった。孤独だった彼に差し込んだ光だった。


 綺麗に輝く美しい灯火に、彼は涙を流す。



「好きになって、くれるのか……?」


「うん!」


「《大精霊の加護持ち》じゃなく、俺を好きになってくれるのか…………?」


「うん!」



 思いが止まらない。感動が溢れる。涙が止まらない。止めれない。


 彼は目頭を押さえ、更に見っともない姿だけは、女の子から僅かながらも隠した。



「ありがとう……ありがとう…………」



 (こぼ)された感謝の言葉に、女の子はまたニコリッと微笑むと、彼の頭を優しく撫でるのだった。




 この後、女の子がアン第一王女だと告げられ、両親からこっ酷く叱られたのは、彼自身の記憶に刻まれている。


 己が最愛の主君にして、忠誠を誓った相手、アン・イングレス・ユニオンへ、ランスロット・サルフォードが明確な忠誠を誓った日なのだから。

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