終わらぬ戦い
ケイタ・コンドウは、その後も活躍しメジャーリーガーとして大成した。他チームからの移籍話も何度もあったが、家族の事を配慮して、ニューヨーク・ヤンキースに残り続けた。目立った怪我もなく、43歳で引退するまでの25年間で積み上げた本塁打数はメジャー最多の1234本塁打。通算安打数もピート・ローズを抜き5500安打を放った。
「ケイタ・コンドウ、メジャーリーガーとして一番思い出に残ったシーンはありますか?」
「息子のコンドウJr.イサミの球を受けた事ですかね。」
イサミがメジャーデビューしたのは、ほんの数年前。ヤンキースにドラフト3位で入団したイサミは、貴重な左の中継ぎとして活躍する事になる。息子とプレー出来たのは三年ほどだったが、ケイタにとっては、とても幸せな時間だった。
アメリカに未練はない。そう判断したケイタ・コンドウは、長女リンダの大学卒業を期に日本へ帰国した。スーパースターの凱旋帰国に、様々なプロ球団からスカウトを受けたが、それを断り母校の新潟県立松浜高等学校の監督に就任した。
古豪と化していた名門松高を復活させる為に、メジャーでの経験を生かして、就任わずか二年で松高を春選抜優勝に導いた。それからは毎年、松高を甲子園常連校に導き、多くのプロ野球選手を輩出した。
二人の子供を立派に育て上げた聖子は、今何か新しい事に挑戦したくなっていた。
「私、漫画家になる。」
ケイタは疑いもせず彼女のやりたい様にやらせる事にした。何故なら一番身近で、ケイタを支えて、文句の1つも言わなかった妻のやりたい事に反対など出来る訳がない。
聖子は、高校生のスクールラブコメや、野球部のマネージャーの漫画を二作品出したが、ちっとも売れなかった。すると今度は詩を書くと言い出してポエマーになってしまった。還暦間近の女性とは思えないエネルギッシュな女性かと、ケイタら感心した。
松高はケイタ・コンドウが就任してからは県内で、無敵の強さを誇り、一度も負けなかった。それも20年近く。北信越大会や甲子園で涙を飲む事はあったが、毎年、日本文理高等学校や開志国際高等学校と言った強豪私立を練習量で圧倒して、勝利をモノにしてきた。マツゾノさんやヤマナさんは等の昔に一戦を退き隠居していたと言う。下山元監督もケイタが指揮をとる等の昔に異動になっていた。
だから今は元NPB組の松高黄金世代である、ミナガワやホシノといった名バイプレーヤーがケイタの脇を固めてくれている。
「一人で甲子園なんて水くせえぞ。相棒も隙してんだからさ、ちゃんと呼んでくれよ!」
「よし、皆集合!」
「皆、円陣組め。これから松高の気合いの入れ方を教える。一回で覚えろよ。」
「松高ーーファイオシ!!」
悠々流れる 阿賀野川 そこに集いし 健児達 越えよ 越えよ その困難
「良いか?良い投手ってのは、捕手との共同作業だと理解している選手だ。」
あーあ 松浜 あーあ 新潟 ここに我あり
松浜高等学校。(新潟県立松浜高等学校校歌一番) 完




