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6.嘘つき(その18)

 金髪のアリスは、すぐに笑って言った。

「フフッ! 分かったわ、ドッドソンさんッ!」

 その直後、彼女の体から光がほとばしり、続けて法廷が揺れ動いた。アリスとルイス以外は地震かと怯えるが、動いているのは地面ではなく、裁判所の壁や天井の無数の石材である。それらはミシミシと音を立て、間もなく天井に亀裂が入ったかと思うと、石材は火山が噴火したかのように空へと舞い上がった。

 雪を降らせていた灰色雲は一瞬にして掻き消され、代わって辺りに陽光が降り注ぐ。そしてそれと共に、舞い上がった石材が怒涛の如くうねりながら裁判所の中庭へと急降下し、みるみる積み上がって何かを形作っていく。それはゴシック様式の塔のようであった。やがてその高さが二百フィートに迫ろうかという時、新たに形成された白いガラスの円盤を見て、野ウサギたちは声を上げた。

「これは……、時計……! 時計台だっ……!」

 そうして間もなく、『それ』は完成した。いや、『彼』と言うべきだろうか。ロンドンのウェストミンスター宮殿北西に付属し、内部に大鐘ビッグ・ベンを収めた、あの荘厳たる時計台である。

 民衆はほとんど跡形もなくなった法廷から這い出て、呆然とその時計台を眺めている。ルイス・キャロルは今や髪色の戻ったアリスと顔を見合わせて笑うと、顔を上げて大きな声で言った。

「彼こそ時を司る者、時計台のティムですッ! ティム! 初めまして! どうぞ宜しくッ!」

 するとティムはその三百フィート以上ある石造りの体をよじった。同時に見える二面に付いた大時計が、まるで爬虫類の目のように見える。彼は地上を見下ろしてルイスらの姿を認め、こくりとうなづいたようだった。

「……フフッ……」

と、ここでロリーナが苦笑いをしながらアリスに言った。

「まったく……、あなたには呆れるわ……。元気になった途端、こんな事までできちゃうなんてね……」

 続いて彼女はルイスに言う。

「ドッドソンさん……。私は、一足先に行くわ。あなたに教えてもらった事……、万が一忘れてしまったら困るもの」

「……ロリーナ……」

 ルイスは言葉を詰まらせた。アリスは彼と姉を交互に見て訝しむ。ロリーナは無言で彼らに、あるいは専ら時計台に夢中の国民たちに向かって頭を下げると、顔を上げて再び言った。

「それじゃあ、ね……」

 そこでロリーナ・リデルの体は輝く霧に包まれたかと思うと、数秒後にはもう、自ら支配した世界から消え去っていた。

「さてさて……! それでは……」

 ルイス・キャロルはそう言ってから、切なそうに顔をしかめつつ、アリスに向かって囁いた。

「早いとこ、済ませましょうか。あんまり引き伸ばしても、彼らも別れが辛くなりますから……」

 アリス・リデルは優しく微笑む。それからルイスは口元に手を当て、時計台のティムに届くように言った。

「ティムッ! それではお願いします! 時の流れを逆向きに! 世界が変わり果てるその前に! どうか私たちを帰してくださいッ!」

「あっ! ルイスさんっ!」

 時計台の麓にいた野ウサギたちはルイスの声に気付くと、慌てて二人の所へと駆け出した。けれども、次の瞬間。

 キン コン カン ゴーン キン カン コン キーン

 時計台の中から、突如として大きな鐘の音が聞こえてきたのである。民衆たちは身をすくめ、野ウサギたちも思わず立ち止まる。

 コン キン カン ゴーン ゴン カン コン キーン

 一連のメロディーに区切りが付き、不意に訪れた静寂に、皆が再び動き出そうとした、その直後だった。

 ゴ ォ ー ー ン … … !

 大鐘ビッグベンが、その重厚にして厳かなる轟音を響かせたのである。

 ゴ ォ ー ー ン … … !

 不思議の国の住民たちは皆動きを止め、瞬き一つできなくなった。

 ゴ ォ ー ー ン … … !

 三度目の鐘が鳴った直後、世界はめまいに襲われたかのようにぐらりと傾いた。

 ゴ ォ ー ー ン … … !  ゴ ォ ー ー ン … … !

 ゴ ォ ー ー ン … … !  ゴ ォ ー ー ン … … !

 鐘の音だけが鳴り響く中、世界はその形を歪め――伸び縮みし――引っ繰り返り――掻き回され――そして――。

 やがて何事もなかったかのように、裁判所の建物の前に、ルイス・キャロルとアリス・リデルだけが佇んでいた。

「首を刎ねよッ! 被告人の首を刎ねよッ!」

「お前や、その前にまず評決じゃ!」

 裁判所の中から、声が聞こえてきた。金切声はハートの女王で、しわがれた方の声は王様に違いない。ルイスたちがそう思っていると、敷地の外からも騒ぎ声が聞こえてきて、見れば大勢のトランプ兵が、クロケー用と思しきフラミンゴたちを追いかけていた。その更に後ろには、浮かんだ頭だけのチェシャ猫が、にやにや笑いながら付いていく。

 周りの植木は白いバラで、空は晴れ渡り、大気は黄金色の光に満ちている。時計台のティムの姿は、今や陽炎(かげろう)のように薄れつつあった。アリスはルイスの手を取ると、屈託のない笑顔になって言った。

「ああ、ステキッ! ドッドソンさん! 戻ってきたわ! 元通りよ! 私たちの不思議の国(ワンダーランド)だわッ!」

 ルイス・キャロルはその目に涙を浮かべて、天使のように笑うアリスを、胸が締め付けられる思いで見詰めていた。

「どうしたの、ドッドソンさん?」

 アリス・リデルが何気なく尋ねる。ルイス・キャロルは取り繕うように笑って言った。

「フフッ、い、いえ、アリス……。そろそろ、うちに帰りましょうか」

「ええ、分かったわ。また一緒に来ましょうね」

 アリスはそう言うと、改めてルイスの手を握り締めた。すると二人の体が光り輝く霧に包まれ始め、アリスは名残惜しそうに不思議の国(ワンダーランド)を眺めた。その時。

 ルイス・キャロルは消えつつある時計台のティムに向かってウインクをすると、不意に頭を屈め、そしてアリスの唇に小さく口づけをした。

「っドッドソンさん?」

「……これは夢ですよ……。ただの夢ですから……、アリス・プレザンス・リデル……」


 ♠ ♥ ♣ ♦


 暖炉の薪の爆ぜる音が、広い寝室に響いた。冬の昼下がりの黄色い光が、窓ガラスを通してぼんやりと部屋を照らしている。

 ベッドの中に少女が一人。そしてそばのテーブルに、フロックコートを着た一人の紳士が、椅子に座って突っ伏している。テーブルの上には彼の頭と腕の他に、一冊の本が広げて置かれていた。

「ン……。う~ん……」

 ベッドの少女が声を漏らしながら目を覚ます。同時にテーブルの紳士もゆっくりと頭を起こした。ベッドの少女、即ちアリス・リデルはルイス・キャロルの姿に気が付くと、にわかに取り乱し気味になって言った。

「ドッドソンさんっ? えっ、あれっ? えっと、私……」

 ルイス・キャロルは髪を直しつつ、笑って言った。

「フフッ。お目覚めだね、アリス。気分はどうですか?」

「ドッドソンさん、私……。ああ……! 私、とっても不思議な夢を見ていたわ!」

 アリスは未だ夢の中にいるかのようにまくし立てる。

「ワンダーランドに久しぶりに行くのだけどね、妖精が自分に間違った魔法を掛けたのがきっかけで、国中滅茶苦茶になってしまっているの! 最初はとっても恐かったわ。けど、素敵な魔法使いの王子様が現れてね、知恵と勇気で元通りにするのよ。最後は王子様が私にキス……」

 そこまで言って、アリスは頬を赤らめた。

「いやだわっ……、馬鹿馬鹿しい……! 私もう十三なのに……。けど……、とっても楽しい夢だったわ……! ドッドソンさん、途中がまた出鱈目で可笑しくってね――」

 子供のように喋り続けるアリスを、ルイス・キャロルは優しく微笑みながら見詰めていた。そしてそうしながら、彼はこの少女の、これから先の物語を想像したのである。

 もちろんこの先、彼女の人生には苦しいエピソードも幾度となく現れる事だろう。けれど彼女は年を重ねても、子供の頃の素直で愛情に満ちた心を持ち続けるに違いない。

 ルイス・キャロルは改めて思う。彼女は小さな子供たちを周りに集めては、変わった物語を沢山語って、その子たちの目を輝かせて止まないだろうと。ひょっとするとその内の一つは、かつての夢の不思議の国(ワンダーランド)かもしれない。そして彼女は子供たちの素朴な悲しみに同じように胸を痛め、彼らの素朴な歓喜に自らの喜びを見出すだろう。その時彼女は、思い出すに違いない――ルイス・キャロルはそう思った――。彼女自身の子供時代を。そしてあの幸せな夏の日々を。


 THE END



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