6.嘘つき(その14)
「……ロリーナ、そろそろ……、続きを始めませんか……?」
尚しばらくの時が経過した末に、ルイス・キャロルは静かに促した。傍らに立つナンチャッテウミガメも、女王を畏れつつ、目ではルイスに同意している。聴衆たちのざわめきにも、今や不満の響きが漂い始めていた。
「フー……! フー……! フッ、フッ、フッフフフフフフ……!」
怒りと混乱で息を荒らげていたロリーナ・リデルは、ここで出し抜けに笑った。
「フフッ! アッハッハッ! 必死のポーカーフェイスといったところね、チャールズッ! だけどそれもお見通し! 久々に嘘を通して手を稼いだからといって、それがなんだと言うのッ? 私の勝利は、もう決まっているというのにッ!」
法廷はどよめき、ルイス・キャロルは僅かに体を強張らせた。彼の味方たちの顔も青ざめるが、その中で野ウサギだけは咄嗟にこう声を上げた。
「っブラフだッ! 苦し紛れのハッタリだっ!」
「……けど……、」とメアリーが横から口を挟む。「女王の心音は乱れてない……。この土壇場で、カジノ潰しと同じ境地に立ったのかもしれないけど……」
ルイス・キャロルは口元だけで微笑み、肩をすくめた。一方、ロリーナは狂気じみた笑みを浮かべると、遂に自らの手札を手に取り、ルイスに向かって大声で言った。
「フフフッ! さあッ! いよいよ審判の時よッ、チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソンッ! 泣いても笑っても、間もなく全てが終わるッ! 間もなくよッ! 覚悟はいいッ? あなたの心が、遂に暴かれるのよッ!」
そして彼女はカードをテーブルに叩きつけた。
「2が三枚よッ!」
聴衆たちは一転して押し黙り、決闘者二名の表情をうかがう。ルイス・キャロルは厳然たる目付きでロリーナを見据え、そのロリーナは不気味に微笑んでいる。そうしてしばしの時間が過ぎた後、ルイス・キャロルは毅然として言った。
「スルーします……!」
低いどよめきの声が広がり、遅れてちらほらと罵声が飛んだが、それも最早空しく響いた。ルイスとロリーナ、この二人を包み込む空気が、既に何者をも寄せ付けない程に張り詰めていたからである。
そんな中、ルイス・キャロルはおもむろに手札を手に取ると、それをテーブル中央に重ねて言った。
「ハイ……! 9が三枚です……!」
法廷内に再び若干の声が漏れる。9の数字はこのゲームにおいて初出であり、そこに何らかの意味を読み取ろうとしたのである。ロリーナ・リデルも目を見開いてルイスを凝視し、かなりの時間を思考に費やす。
「……フッ……、フフフッ……! スルーよ……!」
引きつった笑みを浮かべつつ、ロリーナは言った。聴衆たちは皆一様に息を呑む。これで場に出されたカードは合計十二枚。四手分溜まるのは、ゲーム開始以来、これが初めてである。ルイス・キャロルも僅かに唇を引き結び、次番のロリーナも歯を食い縛って手札に視線を落とす。
そうしてしばしの後、ロリーナ・リデルは再び異様な笑顔になると、手札を取って大声で言った。
「6が三枚ッ! フフッ! 『666』ッ! 獣の数字よッ! これはあなたにこそ相応しいわッ!」
ここで聴衆たちは再びどよめき、トカゲのビルはいきり立って言った。
「こけおどしだッ! 旦那にダウトしにくくさせて、嘘を通すつもりなんだッ!」
けれども隣から料理番は言う。
「いやいやっ、んな事ないよっ! 嘘をつくなら目立たない数字に隠したいってもんさ! こいつは罠だッ! スルーだよッ、お前さんッ!」
同様にあちこちから相反する意見が出るものの、当のルイスの耳に入っている様子はない。彼は口をきつく結んだまま、身じろぎもせずロリーナを見詰めている。既に彼の額にもまた、苦悩を表す汗がにじんでいた。
「……スルーします……!」
長考の末、ルイス・キャロルはそう言った。法廷には低い唸り声の他、呻くような悲痛な声まで聞こえてくる。その一つは野ウサギのこんな声であった。
「ううっ……! なんて苦しいんだ……! ダウトを外せば、おそらくもう、その時点でゲーム終了になる……。例え高確率で嘘だと見抜けたとしても、そうそうダウトできるものじゃない……! ルイスさんも、女王も……!」
これを聞いて、彼の隣の帽子屋が言った。
「フ……、フハハ……! カジノ潰しは、特にな……! 奴はここまで、既に何度もダウトを失敗している。その苦痛の記憶が、奴の脳には刻み込まれているはずだ……! まして奴は、命を賭けている……! カジノ潰しは苦しい……! そしてあの方の言う通り……、ここから先も、奴は苦しむだけだッ……!」
野ウサギの心は暗然となったが、メアリー・アンは嘲り気味に言う。
「ここからどうなるかなんて、分かるもんか。最後までダウトされなかったとしても、ビビッて嘘をつけないようなら手が遅れて負ける。あの二人の様子を見ても、おそらくお互い、自分の方が有利だとは思ってない。……もっとも、カジノ潰しの方がダウトが苦しいってのは、当然アタシも同意だけどね……」
このような会話や、あるいは味方の祈りが届いたのか、手札を検討していたルイス・キャロルはここで不意に顔を上げると、歪んだ笑みを浮かべていたロリーナに向かって、小さな微笑みを投げ掛けた。彼女の表情はにわかに固まる。その直後、ルイスは手元からカードを拾うと、場に出しながらはっきりと言った。
「ハイッ……! Kが三枚ですッ……!」
ロリーナ・リデルの瞳が、一瞬きらりと光った。けれどもその目はすぐにルイスを睨みつけるものへと変わり、彼女は歯を食い縛って一心不乱に頭を働かせ始めた。その様子はこれまで以上に鬼気迫っており、思考の内容こそ分からぬものの、聴衆たちにもゲームが遂に最終盤に入った事が察せられた。
そうして地獄の責め苦の如き長い時間が過ぎた後、ロリーナ・リデルはようやく口を開いた。
「フッ……、フッフフフフ……! フフッ……! 決めたわ……! ここは、スルーよッ……!」
ルイス・キャロルは厳しい顔付きでロリーナを見据えたままで、動きもなければ反応もない。聴衆たちは一人また一人と大きく息をつくと、堰を切ったように喋りだした。
「っまたスルーだっ……! 連続六回っ……!」
「手持ちが四枚揃いだけになったら、その時点で上がりを宣言していいんだろっ? 二人共、まだそこまで行ってねえのかっ?」
「いつまで続くのっ? いったいどっちが優勢なのよっ!」
「女王のカードは後六枚のはずだッ……! 決着が近いのは間違いないッ! 次で終わる可能性だってあるッ!」
「もう早く終わってッ……! 見ているだけで息が苦しくなる……!」
しかしながら彼らのざわめきは、程なく再び静まる事となった。手札に視線を落としていたスペードの女王が、意外な程早く顔を上げたからである。彼女は例によって瞳孔を見開き、狂気染みた笑みを浮かべて、身を強張らせるルイス・キャロルに言った。
「フフフフフッ……! アハハハハッ! 苦しいわね、チャールズ……! 本当に苦しい……! 苦しい苦しい、苦しいだけの物語ッ……! だけどそれも、後ほんの数ページで終わる……! 私がこの手で、終わらせてあげる……! あなたとアリスの、二人の物語をッ……!」
そして女王はカードを手に取り、勝ち誇ったようにこう言った。
「Q三枚よッ!」




