6.嘘つき(その10)
ルイス・キャロルは体を椅子にうずめ、歯の根も合わぬ様子で愕然としつつ、その視線をロリーナから離せずにいた。彼女の気迫には周りの者たちさえ圧倒され、口をつぐまざるを得なかった。
しかし、間もなくの事だった。聴衆たちの内、ロリーナの表情がうかがえる者の中から、低いざわめきの声が上がり始めたのである。訝しんだウミガメは改めて彼女の顔を見下ろし、そして驚きの声を漏らした。
「ムゥっ……、お主……!」
ベールの下の女王の頬に、一筋の涙が伝っていた。その目は雫を湛えながらも大きく見開き、正面のルイス・キャロルを凝視している。
「ほれっ、ブラックレディーっ! ダウトは失敗なのだっ。抜き札の確認をっ……!」
ナンチャッテウミガメは取り繕うように促すが、ロリーナは動こうとしない。法廷には動揺の声が広がり、メアリー・アンも眉をひそめながら呟いた。
「……女王が……、また、泣いて……。どういう事だい……? さっきから話し振りだって……、まるであの二人が、ずっと前から互いの人生を知ってるみたいじゃないか……」
すると彼女の又隣から、野ウサギが低い声で言った。
「……知っているんだよ……。何年も前、あのスペードの女王……、いいや、ロリーナ・リデルが、子供だった時から……。彼らはずっと親しくしていたんだ。そしてまたルイスさんは、彼女の妹である、アリス・リデルとも親しかった……。憶えてるだろ? 昔この国に現れた不思議な少女、あのアリスさ。そしてルイスさんはアリスと――姉のロリーナではなく、妹のアリスと――、二人で力を合わせて、正真正銘、このワンダーランドを創り上げた……! この世界はルイスさんの想像力と、アリスの魂が結びついてできたものなんだ……! だからこそ、ルイスさんは命に代えてもこの世界を救いたいのだし、反対にあのロリーナ・リデルが、狂ったようにこの世界に執着するのは――」
「嘘だッ!」
と、ここで帽子屋が怒鳴り声で割り込んだ。
「あんな男がっ、造物主であってたまるものかッ! っあまつさえッ、あの方が小娘一人のためにっ……! それではまるでっ、あの方がっ……」
丁度その時、傍聴席側でロリーナの涙に気付いた料理女が、訴えるように声を上げた。
「スペードの女王ッ……! あんたっ……、あんたっ、殺したくなんかないんだろっ? ホントはあんた、その人の事っ……、ホントのホントは、愛しているんだろっ? あたいには分かるよっ、だって――」
彼女が言い終わるを待たず、法廷は激しいどよめきの声で満たされた。その中で、帽子屋は歯ぎしりして表情を歪め、野ウサギもまた顔をしかめて、自らに言い聞かせるように呟いた。
「……愛じゃ、ない……。愛じゃ……」
一方、注目の中心にいたルイス・キャロルは、一度その顔を伏せた後、再びロリーナを伏し目がちに見つつ、騒ぎの中、苦しそうに彼女に言った。
「……ロ、ロリーナ……。私は改めて……、君に、謝ります……。私がアリスを贔屓にしたばかりに……、君を、途方もなく苦しませてしまった事を……! 先日の、城の中でもっ……。私は怒りのあまり、君の気持ちも考えず言い過ぎました……! ロリーナどうかっ、この私を赦してくださいッ……! 確かに私はアリスを特別扱いしてきました。ですがそれは恋愛感情ではなく――」
「アッハハハハハハッ!」
ルイスの哀願を遮って、ロリーナ・リデルは出し抜けに笑った。
「嘘つきッ! あなたは蛇よッ!」
法廷中に聞こえるような声を張り上げた後、彼女は手早く涙を拭い、代わりにその顔に嘲りを浮かべて言った。
「フッ……! チャールズ・ドッドソン。やり方が姑息ね……! 痛恨のミスで敗色濃厚になった途端、悲痛に顔を歪めて赦しを乞うのかしらッ?」
「ロ、ロリーナっ……、私はそんなッ……」
否定しようとするルイスの声を振り払うようにして、スペードの女王は周囲を見渡し言った。
「それでッ? いったい誰かしら? 私がこの男を愛してるなどと言ったのはッ……! 今になって白状すれば、確かに私は、この男と知らない仲ではありません。だけどそれは、あくまで彼が、私の子供の頃の友人だったというだけの話! 気紛れに哀れみの涙を流しこそすれ、今の二人の間に、愛などありません! あるはずがないッ! それをこの男はッ、馴れ馴れしくも上から目線で、私たちの革命をッ、私たちの正義を否定しようとしている! 私たちの、正しく真っ当な怒りと希望をッ!」
聴衆たちのざわめきに、にわかに再び異様な敵意が戻ってくる。スペードの女王はここで再びルイスに向き直ると、その開ききった瞳孔で彼を凝視し、突き刺すような大声で叫んだ。
「それも間もなくッ、間もなく裁かれるわッ! さあッ罪人さんッ! 続けましょう? 終わらせましょうッ? 苦しい苦しい、苦しいだけの物語をッ!」
法廷内は興奮に沸き、ロリーナは先の勝負で出された札の山を、絶望で顔を歪めるルイスに向かって押しのけた。
ほとんど同時に、彼女は傍らの抜き札に手を伸ばし、三枚目となる一枚を選んで確認する。中身は10であった。
既に一手前のルイスの宣言が10二枚であった事から、手札と照らし合わせて彼女は10が抜き札であると推測している。かくして推測は裏付けられ、ロリーナ・リデルは抜き札六枚、その全ての情報を手中にし、密かに狂喜したのである。
一方、ダウトに失敗したルイス・キャロルが新たに抱え込む事になった札は、実に八枚。重い手付きでその内訳を確認していく彼の姿を見て、帽子屋はほくそ笑みながら言った。
「フフンッ! カジノ潰しの手札は、これで三十一枚。対してあの方は、十五枚ッ……! これは完全に勝負あったなッ!」
これに対して、野ウサギはうろたえながらも必死で頭を巡らせ反論する。
「いっ……、いやっ……! 四枚揃ったカードは実質ゼロなんだっ。見掛けほどの差は付いてないっ……! まだルイスさんは負けてないっ!」
けれども帽子屋は嘲笑するのみで、その隣のメアリーも、野ウサギに向かって同情の視線を投げ掛けていた。野ウサギは歯を食い縛ると、再びルイス・キャロルの方に向き直り、祈るように小声で言った。
「……負けてない……。負けないんだ……! ルイスさんは負けないんだ……!」




