6.嘘つき(その9)
ウミガメの声が法廷に響いた。聴衆たちの多くは息を呑んで言葉が出せず、ロリーナやルイスに対して上がった声は、ごく僅かであった。そんな中、涙にむせびながら、トカゲのビルは言う。
「ウウッ……、そうだ……。オイラだ……。オイラなんだ……! オイラの人生……、オイラの物語……、オイラ自身を生きてるのはっ……、このっ、オイラなんだっ! ろくでなしのオイラのっ、ろくでもねえ人生だとしても……! 他の誰のモンでもねえっ! こいつぁ、オイラだけの話なんだっ!」
その傍らで、料理人も泣きながら声を漏らした。
「あたいだけの、人生……! そうさっ……、だからこそっ、他人のせいにしちゃあいけないんだ……! あたいの心は、あたい自身で決めなくちゃいけないって事なんだ……!」
ドードー鳥も野ウサギも、そして今やカジノ潰しを敵視していた者さえも、その目から涙をこぼしつつあった。しかし一方で、帽子屋やグリフォン、そしてロリーナ・リデルは、まるで毒虫でも見るかのような目で、ルイス・キャロルを睨んでいる。ロリーナが出されたカードを荒々しく掻き集めたところで、ルイスはあっけらかんとして彼女に言った。
「いやはや、『三度目は魔法』というやつでしょうか。上手く行かないなんて言った途端に、念願のダウト成功です……!」
ロリーナは噛みつくようにしてルイスに言う。
「お次はなんて言うつもりかしらッ? 『人生山あり谷あり』? それとも『磔刑なくして王冠なし』とでも言うつもりッ?」
ルイスは切なそうに顔を歪めるのみで問いには答えず、間もなく手札を拾って静かに言った。
「……ゲームを進めましょうか、ロリーナ……。ハイ、7が二枚です……!」
ロリーナはルイスを睨みつつ、歯を食い縛って考える。
……私の嘘を見抜いたか、それともたちの悪い偶然か……。いずれにせよ、今のチャールズのダウト成功は、大きな痛手になったわ……。最初に私が出したQ三枚、彼が宣言通りに出していた6二枚、そして今の6と7……。合計七枚も戻ってきた……。三種とも当然、四枚揃いにはならない。これで私の手札は……。
A222333556667TQQQKK
……九種十九枚に後退……! 抜き札は六枚中、A4567が分かっている。という事はチャールズの手札は……。
AA2344457788889999TTTJJJJQKK
……ここから抜き札の最後の一枚を除いた、二十七枚と考える事ができる。四枚揃いが二組から三組。それを無視して考えると……。チャールズの手札は、八種から十種ッ……! 私より先を行っている可能性があるッ!
彼女はここで、自分の手札に視線を落した。
……私がこの九種十九枚を通すには、最低でも七手かかる……。一方、もしも私がチャールズの嘘を全て見過ごしたとすると……。彼はこのターンを含めて、最短五手、いや、六手で上がる可能性があるッ……! おまけに抜き札に関しても、彼はさっきの私の捨て札から、6と7について判ってしまったはず……!
彼女が長考している間に、聴衆たちのざわめきは強まっていた。ルイス・キャロルは哀れみをたたえた目でロリーナを見つめている。ロリーナは再び彼を睨んで、こう考えた。
……焦っては向こうの思う壺……! 気持ちを落ち着かせるのよ……! 彼の嘘の全てを見抜く必要はない……。ここぞという時に場に溜まった札を押し付けられれば、私は勝てる……! 私になら、それができるはず……! 今のこの「7二枚」にダウトを掛けるのは、リスクは少ないけどメリットも少ない……。単に二枚突き返すだけに終わりかねない。
ここで彼女はテーブルに肘を突いたまま、黙って右手をひらひらと振った。ナンチャッテウミガメがそれを見て言う。
「ムゥ……。ブラックレディーはスルー……!」
聴衆たちも低い声でざわめくが、ロリーナは構わず考える。
……ここはこれでいいわ。そして私の番……。ここよ……! ここで私の持っている「情報」を活かすッ……! 抜き札の内、私だけが見て、チャールズが知らない「A」……! 私の手札にはそれがバラで一枚、チャールズの方では二枚持っている。合計は四枚だから、彼は私がAを、「二枚」持っていて当然だと思っている。即ち……、ほとんど疑いようもなく、「これ」は通る……!
「Aが二枚ッ……!」
ロリーナ・リデルはそう言って、『Aと7』の札を伏せて場に出した。ルイスは彼女をじっと見つめた後、淡々とした口調で言った。
「ふむ……、スルーしておきましょうか。では私は……。どうぞ、10が二枚です……!」
ロリーナは密かに胸を撫で下ろす間もあらばこそ、再びルイスを凝視し、やがて言った。
「スルーよッ……!」
法廷のざわめきが、どよめきに変わる。三手続けてのスルーはゲーム開始以来初めてであり、テーブル中央に溜まったカードはこの時点で六枚。実際にはこれ以降にダウト宣言が為された場合、更に多くの枚数が、ルイスかロリーナどちらかの手元になだれ込む事になるのだ。
「フッ……、フフフフフッ……!」
一同が驚いた事に、ここでロリーナ・リデルは不気味な笑い声を漏らした。
「フフフフフッ……! お互い、いよいよ本当に苦しくなってきたわね……! ポットは膨らみ続け、おそらく次にミスをした方は致命的な痛手を被るわ……! フフッ! 勝者の物語にとっては必要な試練、はらはらドキドキのスリルでしょうね。幸せなシーンばかりじゃお話にならないもの。……でも、負ける方にとってはどうかしら? 彼は苦難から学んで強くなるの? いつか苦しかった時を思い出して懐かしむの? フフフッ! 死んで、物語が終わった後に?」
「……ロリーナ……」
彼女の狂気染みた表情に、ルイス・キャロルは呟く事しかできなかった。ロリーナはここでおもむろに手元からカードを二枚拾うと、場に叩きつけながら刺々しい声で言った。
「Kよッ!」
聴衆たちは皆一様に息を呑み、法廷を重い沈黙が満たした。ルイス・キャロルは唇を引き結んでロリーナを見据え、居たたまれない程の時間が経った後に、遂に口を開いた。
「ダウトしますッ……! 先程同様、これはKではないッ……!」
どよめきが湧き上がるのと同時だった。ロリーナ・リデルはその表情に、恐ろしい程の笑みを浮かべたのだ。気付いたウミガメは目の色を変えて捨て札をめくり、そして結果を宣言した。
「っ捨て札は二枚ともKっ! 確かにKだっ! ダウトは失敗ッ! 失敗であるッ!」
法廷は騒然となった。が、そんな中でも耳に突き刺さる程のヒステリックな大声で、ロリーナ・リデルはルイスに言った。
「アハハハハッ! ほらどうッ? 苦しいでしょうッ? 本音じゃやめたいんでしょうッ? 罵声を浴びせて突っぱねて、一刻も早く楽になりたいんでしょうッ? これでも物語だから受け入れようって言うの? こんな人生が物語だって言うなら、一昔前のゴシックホラーでもありえない程の悪趣味だわ! ただただ惨めで苦しいだけッ! 苦しいだけの物語よッ!」




