6.嘘つき(その8)
一方、ルイスは厳しい表情で、手放し損ねた二枚を手札に戻している。野ウサギは唇を噛みながら、彼と自分に言い聞かせるように思った。
……まだ、大丈夫だっ……。出そうとした二枚が戻ってきただけ……。場にカードが溜まってたわけじゃないんだ。損はしてない……。ううっ、いや、嘘だっ……。ダウトされなければ、普通は一手番に最低でも一種類、手札を減らせるところ……。それが全くできなかったっ。一歩分、確実に足踏みだっ……!
「さあて……!」と、ここでロリーナが言った。「また私の番ね。フフッ、それじゃあ……。Jよッ……!」
彼女は二枚を伏せて、テーブル中央に出した。ルイス・キャロルは顎に手を当てながら、札とロリーナの顔を交互に見つめ、やがて落ち着いた声で言った。
「……スルーします」
聴衆から嘲りや挑発の声が上がるが、彼は構わず続ける。
「というわけで、またまた私が出す番ですね。……では……」
ルイスは自分の手札から二枚を拾い、直前にロリーナが出した札の上に重ねると、微笑みながら言った。
「7が二枚です」
法廷のあちこちからざわめきが聞こえた。ロリーナ・リデルは不敵な笑みを浮かべつつ、ルイスの顔を見つめて考える。
……嫌らしいやり方。さっきと全く同じ宣言とはね……! でも、相手に極力情報を与えないためには、こうするのがベスト……。チャールズが7を二枚手札に持ってるのは間違いない……。問題は、それを今回は本当に出したのか、それとも懲りずにまた嘘なのか……。
彼女は再びルイスの顔を凝視すると、やがて嘲笑うようにこう言った。
「どうやら今度は本当に7のようね。フッ……! いいでしょう。それじゃあ私は……」
聴衆たちがざわつく間もなく、ロリーナはカードを場に二枚出した。
「8よッ……!」
決闘者両名の視線は、あたかも火花を散らすようにぶつかり合う。その様子を見て、トカゲのビルは脂汗を流しながら思った。
……ううっ、胃が痛ぇ……! お互いスルーが続いて、場に六枚溜まった……! ダウトが出れば、それが一遍にどっちかのもんになるっ……! こんなプレッシャー、見てるだけで耐えられねえっ……!
法廷内の全ての者が、彼と同じ思いで身を強張らせていた。やがてその衆人環視の中、ルイス・キャロルは宣言した。
「ダウトしますッ。8の二枚は嘘ッ……!」
聴取たちがざわめく。ナンチャッテウミガメは重そうにひれを持ち上げ、ロリーナが出した二枚の札をめくった。
「……8っ……! ムハッ! 確かに二枚とも8であるっ! カジノ潰しのダウトは失敗ッ!」
歓声と罵声、あるいは悲鳴が、法廷に湧き上がる。ロリーナはルールで定められた通り、抜き札を一枚指定して確認しつつ、これ見よがしにほくそ笑んだ。
……フンッ……! 私が出したのは8が二枚と、その前も宣言通りにJが二枚だった。だから六枚押しつけたとは言え、彼の中で同じ数字が四枚揃って、実際の被害は大した事がないという事もありえる……。収穫は、この抜き札の「6」ね……! これで抜き札六枚の内、A、5、6、7が分かった……!
さて、ルイス・キャロルは増やされた手札をついたての陰で混ぜると、大きく深呼吸した後、ゆっくりと手札を拾い上げ、そして言った。
「4が、三枚です……!」
聴衆たちがどよめいた。帽子屋も皮肉めいた口調で言う。
「三枚出しは初めてだな。お互い小さく出して、様子を見ていたようだったが……。カジノ潰しめ、流石に焦ったか……! しかしその行動こそ、手札のバラ札を一気に減らしたい事、即ち嘘をついている事の証明だッ……!」
「あるいはそう思わせて、ダウト失敗を狙ってるか……!」
野ウサギは帽子屋に挑戦してそう言ったが、内心は気が気でない思いだった。当のルイス・キャロルはポーカーフェイスでロリーナを見据えている。そしてロリーナは目と瞳孔を異常なまでに開いてルイスを凝視し、やがて言った。
「ダウトよッ……! 彼は嘘をついている!」
一同が息を呑む中、ウミガメは札を開く。
「……ム、ハッ……! 4では、ないっ……! 7が二枚と5が一枚ッ……! 真っ赤な嘘だッ! ブラックレディーのダウト、成功ッ!」
法廷は湧き上がり、ごく一部の者たち、即ちドードーやビルたちは苦痛に悶えた。野ウサギも呻くように呟く。
「……どうして分かるんだ……。どうして女王は、ルイスさんの嘘がっ……! あの人はどう見てもポーカーフェイスっ。鼓動一つにさえ、動揺を感じさせないのにっ……!」
これに白兎メアリーも反応して言う。
「アタシも驚いてるよ……! あんた、女王の心音も探ってみたかい? 彼女の方でも、昂ってるとはいえ、鼓動に妙な変化はない。イカサマをしてる様子じゃない。……おそらく、これは第六感に限りなく近いもの……。つまり、究極までに研ぎ澄まされた、『女の勘』ってやつなのさッ……!」
野ウサギは唇を噛み締めながら、密かに思った。……これは……、馬鹿にはできない……! 女王、つまりあのロリーナ・リデルは、子供の頃からずっとルイスさんを見てきているんだ……! それが真心かどうかは別として、愛の目で持って、長い間見つめてきたっ……! だからこそ、彼の嘘を見抜けると……! ううっ、なんて皮肉だッ……!
一方、今や苦しそうに手札に視線を落とすルイスを見て、ロリーナ・リデルは思った。
……フフフッ……! いいわ……! 一歩一歩、破滅へと近付いているようね、チャールズ……! あなたが577と出した事で、あなたが確かにそれを、バラで持っている事が分かった……! さっきもひょっとすると、私を撹乱するために、わざと255777と持っているところから「7を二枚」とコールして、2と5を一枚ずつ出したという事も考えた……。けど、今のでそれはありえない事が分かった!
ルイス一手目:手札255777-捨て札25=手札残り5777 ?
ルイス三手目:手札255777-捨て札577=手札残り257 ??
……255777から今のように577を出したのでは、257という風に残ってしまい、手札の種数が全く減らない! 邪魔な一枚単独札が増えるだけの大損ッ……! 私がダウトを掛ける保証もない。つまりあなたは、これまで開かれて見えたまま、本当に2と5はそれぞれ一枚だけ、7は二枚だけで持っている……!
ルイス一手目:手札2577-捨て札25=手札残り77
ルイス三手目:手札2577-捨て札577=手札残り2
……そしてこれはチャールズ自身はおろか、周りの連中にさえ分かる事だけど――フフッ、嘘に信憑性を持たせるためには、止むを得なかったのでしょうね――、今、チャールズが「4が三枚」とコールしたのは、初手に私から引き取った4が二枚と、他に自分の手札中に4を一枚持っていて、その合計が「4三枚」という事に他ならない……! 即ちッ、抜き札の内、新たに「4」が判明しッ、この私には今や六枚中五枚、A4567の情報が手の内にあるという事よッ!
ロリーナはその目を爛々と輝かせ、ルイスに向かって言った。
「フフフフフッ……! どう? 苦しいわね、チャールズ・ドッドソン? 争い、不公平、不運、そして挫折……! あなたが言った通りよ。それこそが世界の姿……! 運命はままならず、生は苦しい――!」
聴衆たちから戸惑いの混じったざわめきが聞こえてくるが、彼女は構わず、続けてカードを場に出した。
「Q三枚よッ!」
どよめきの中、ルイスは伏せられた三枚を見て微笑む。
「なるほど。運命の三女神モイライというわけですか……! ではでは、そうですねえ……」
彼はロリーナの目を見据えて考え、やがて言った。
「スルーです。運命を受け入れましょう」
これを聞いて、ロリーナは忌々しさを漂わせて言った。
「フンッ……! 野ウサギも言っていたわね。『どんな目が出ても受け入れる』とかなんとか……。ひょっとして、あなたが言わせたのかしら? ……どうなの、チャールズ? あなたはこのゲームに負けた時、本当にその結果を受け入れられるの? 自分の命も、大切なものも全て失って、それでも私と世界を呪わずにいられるの?」
ルイス・キャロルは黙ってロリーナを見つめた後、やがて声を落として言った。
「……受け入れます。そしてその時が来るまでは、私はサイコロを振り続けますよ」
聴衆たちのざわめきを掻き消すようにして、ロリーナは怒鳴る。
「嘘よッ! 馬鹿げてるッ! あなたは泣き喚いて歯ぎしりするに決まってるッ! 必ずそうなるッ! そうさせるわッ!」
ルイスは動じず、手元からカードを取り上げつつ言う。
「さてさて、どうでしょうか。ハイ、6が二枚です」
するとロリーナは一転して押し黙り、恐ろしい程の冷徹さでルイスを観察した。
「……これは嘘じゃない。スルーよ……!」
肩をすくめかけたルイス・キャロルに、ロリーナはすかさず続けて言った。
「フッ、その余裕面は嘘ねッ……! あなたは苦しい……! 人生は苦しい……! 受け入れるなんて馬鹿げてるッ……! 私たちにできる事は……、」
彼女はここで聴衆たちにも聞かせるように言った。
「希望を信じて、逆転のチャンスに賭ける事! そして――! 恨みを燃やしてエネルギーに変えッ、敵を倒して前へと進む事ッ! それができなければ負けるだけ! 苦しみ、涙し、最後は破滅するだけよッ!」
ロリーナは手元のカードを二枚引ったくると、勢いよくテーブル中央に叩きつけた。
「Kッ!」
聴衆たちは圧倒され、中には感極まって涙している者さえいる。一方で、ビルや野ウサギは拳を握りしめ、歯を食い縛って勝負を見守る。すすり泣きの声だけが聞こえる法廷の中で、ルイス・キャロルは視線を落とし、静かにこう言った。
「……人生は苦しい……。世界は不条理に満ちています。馬鹿馬鹿しくって腹立たしく、不可解、不自由、不親切のオンパレード。おまけに最後は決まって『バッドエンド』です……」
ここで彼は顔を上げて言った。
「けどっ……! けど、それでもいいじゃないですかっ。上手く行かなくたって苦しくったって……、それでもそれは、他の誰でもないっ……! 自分だけのッ、たった一つの『物語』なんですからッ!」
法廷内の空気が、震えたようだった。ロリーナ・リデルは目を見開いて身動きできずにいる。ルイス・キャロルは右手を上げると、テーブル中央の捨て札を指差し、自らを律するように毅然として言った。
「ダウトですッ! 賭けましょう! この二枚がKではない方にッ!」
呆然としていたナンチャッテウミガメは、ここで我に返ると、怖気付いたかのようにおどおどとカードをめくった。
「……これはっ……! 6と7っ……! Kではないっ! ブラックレディーの宣言は嘘っ……! カジノ潰しのダウトは成功だっ!」




