5.艱難たる生(その13)
野ウサギは声にならない痛ましい呻き声を上げた。一方、ナンチャッテウミガメは感嘆の溜め息を漏らす。
「ムフォオ……! 流石と言う他ない……! 最初から、こうなる事を狙って……!」
「ニャっ……、ニャハハッ! まさか! 後付けだよッ! ロリーナちゃんはあくまでこのターンで仕留めようとしてた! リセット目が出てから考えたハッタリさっ!」
チェシャ猫はそう断じたが、当のロリーナは涼しい顔で小馬鹿にしたように笑っている。ルイス・キャロルは静かに言った。
「……いずれにせよ、こういう状況も起こり得るのが、この『チキン・クラップス』のルールです。そしてまた……、このゲームだからこそ、ここからの二転三転も起こり得る……!」
彼はダイスを掴み取った。
「行きましょう。第五ラウンドです……! 得点は私が30、ウミガメさんが57、ロリーナが61、野ウサギさんが70! ではでは……、ハイッ!」
一投ごとに掛け声を上げて、ルイス・キャロルはダイスを振っていった。そうして四投まで終えたところで、ターンポイントは24。野ウサギは期待と不安を溢れさせながら言う。
「来たっ……! 来てくれましたッ……! これで暫定、54点っ……!」
チェシャ猫も瞳孔を開いて言う。
「ニャハッ! いいぞッ! 7出しちゃえッ! それでロリーナちゃんをヒットだ! そうすりゃ残るは亀だけ♪ なんとでもなるッ!」
ウミガメ、グリフォン、ロリーナの表情は厳しい。ルイス・キャロルは一呼吸置くと、再びダイスを手に取り言った。
「……それでは行きます……! ハイッ!」
カッ、カラランッ!
かくして出目は、6-3の計9だった。野ウサギは戸惑いながら言う。
「……っと、いう事はっ……。3を使えば57点で、ウミガメをヒットできる……。6だけ使えば60点……。女王に、1点足りない……。あるいは、両方使えば63点。そこで止まるか……、あるいは更に、先に進むか……。ううっ……、これは……」
ロリーナチームの三名もチェシャ猫も、息を殺すようにして黙り、ダイスとルイスをちらちらと見比べている。ルイス・キャロルは真剣な目で野ウサギを見ると、次のように言った。
「野ウサギさん、3を使って暫定57点にし、更に振ってロリーナを狙う手もありますよ。ですが……。今、この状況であえて次の一投に賭けるというのは、賢い選択ではありません。63点で留まるのは勿論、更に突き進むのもいけません。57点でターン終了、ウミガメさんをヒットッ、これがベストですッ……!」
ナンチャッテウミガメは低い声で呻いた。しかし野ウサギもまた苦しそうに言う。
「そんなっ……。それだと僕はやはりこの後、女王にさっきと全く同じように狙われるという事……!」
ルイスは野ウサギや猫を見て言う。
「残念ながら、それには耐えなければいけません。しかし、今は最悪の状況をこそ避けるべきです。私がロリーナをヒットする事に拘って、もし上手くいかなければ、私たちは直後に二人とも仕留められる可能性すらある。もし君も私もヒットされずに済んだとしても、その場合向こうはこのターンに、ロリーナとウミガメさんの両方がゴール圏内に入る可能性が濃厚。ゴール手前、あるいはゴールテープ以降の勝負で、二対一になってしまう……! それでは勝ち目はない……!」
誰か一名のトータルポイントが100点以上になった時、そのラウンドが最終ラウンドとなる。以降、最後のプレイヤーまで手番を終え、その時点で最もトータルポイントを伸ばしたプレイヤーが勝利というルールである。ルイスは更に言った。
「翻って、今ウミガメさんをヒットしておけば、彼一人完全に脱落。こちらのチームが数的有利になります。この後もしあなたがロリーナにヒットされたとしても、彼女は70点で止まるわけですから、まだ私にもチャンスが残る……!」
野ウサギは不安を顕わにして、救いを求めるようにチェシャ猫を見やったが、彼女は両眉を上げてこう言った。
「ニャ? 何? もうそれで行くんでしょッ? ほらもうチップ、それで整理しちゃったよッ」
見ればいつの間にかウミガメの前にチップはなく、ルイスのそれは積み足されていた。野ウサギは顔を引きつらせながら、息をついてルイスに言う。
「……分かりました……。ううっ……、ルイスさん……! どうかその時はお願いしますよ……!」
「ニャハッ! というわけでッ、」猫が大声で言う。「お次は0点になったばっかのウミガメクンの番で~す! ほら早く振った振った!」
ロリーナとグリフォンは歯ぎしりしながら猫やルイスを睨みつけたものの、ナンチャッテウミガメの方は既に敵意も戦意も喪失した様子で、気だるそうにダイスを取って振った。
結果、四投目に計7の目を出し、トータル27ポイントで終了。グリフォンは露骨に舌打ちをする。
「それじゃ……、私の番ね……!」
三番手のロリーナは声を落として言い、ダイスを手に取った。狙われる野ウサギは、机の下で密かに手を組んで祈る。対してルイス・キャロルは、じっとロリーナの目を見据えている。ロリーナは振った。
カッ、カラランッ!
「6-2の8っ……!」
グリフォンが言った。続いて野ウサギが息をついて呟く。
「フゥウ……! っ即死だけは、免れた……。えっと、女王は63、67、69点のどれかだ……。僕との差は……、7か、3か、1……!」
チェシャ猫が野ウサギに声を掛ける。
「ニャハッ! これはあんた、助かったんじゃない? 反対に、こっから苦しいのはロリーナちゃんの方さッ! その三通りで止まればルイスちゃんの射程圏内だし、ちょっと進んだところで今度はあんたに狙われる。振り続けてリセットなんか出した日には、最悪の4の差でルイスちゃんが待ち構えてるんだッ!」
ロリーナは顔を歪めて忌々しそうに猫を睨んでいる。ルイス・キャロルもここでロリーナに言った。
「『先程と全く同じ状況、全く同じ恐怖』とは、どうやら言えないようですね。さあ……! ロリーナ、どうしますかッ……?」
ロリーナは唇を引き結んで一呼吸置くと、ルイスらを威圧するようにして言った。
「両目とも足す……! そして続行よッ……!」
彼女はダイスを乱暴に掴むと、すぐに二投目を振った。
「10ッ……! これで79点ッ……!」
グリフォンの声には興奮が混じっている。続けてロリーナは振る。
「8っ……! えっと、87点っ……!」野ウサギは言いながら青くなる。「87ッ……? これっ……、まずいんじゃっ……!」
ルイス・キャロルとチェシャ猫の表情が強張る。ロリーナは目と瞳孔を共に大きく開いて、四投目を振った。
カッ、カラランッ!
「ぬうッ!」
即座にグリフォンが唸り声を上げた。一方、ルイスら三名はここで大きく息をついた。ルイス・キャロルは大袈裟に胸を撫で下ろして言う。
「ふ~……。フフフ……。いやはや、ようやく止まってくれましたね。首の皮が繋がりましたよ……!」
出目は7。即ちロリーナはここで強制終了である。彼女がこれをそのまま足しても、トータルポイント94。ゴールの100点には一歩届かない。
ここでグリフォンは舌打ちをし、ロリーナは歯ぎしりをしたものの、間もなく彼女は鼻から息を一つつくと、嘲笑うようにルイスに言った。
「フッ……! これで王手ね……! 勿論私は94点にして終了。ゴールまで、後6点。次のターンで間違いなくゴールできるわ。それも、94から更に点数を伸ばした上でね。仮にそこの兎もゴールできたとしても、最終的な点数は私の方が上になるのは確実……!」
野ウサギは呻き声を上げたが、ルイス・キャロルはすぐに笑ってロリーナに言った。
「フフッ! ハッタリを打つにはまだ少し早いのではないでしょうか。まだまだここからどうなるのか、誰にも確かな事は言えません。君がヒットされる可能性は充分にありますし、それに……」
「ニャハッ! そうさッ!」と、ここでチェシャ猫が言った。「ロリーナちゃん、分かってる? この後四番手の野ウサギが30点以上出せば、その瞬間にゲームセット! あんたの負けが決まるんだよッ?」
野ウサギは驚いて言う。
「っそうか……! 誰かが100点以上になったら、それが最終ラウンド……。だけど他の三人はこの回既に終わってるわけだから、僕が終わりを宣言した時が、ゲームの終わりになる……!」
しかし彼はここで、にわかにうろたえて言った。
「っけどっ……! 無理ですよッ、30点以上なんてっ……! そんなのっ……、僕はちょうど30点を、たったの一回出しただけだッ……」
「ウニャ~……、こいつはまた……」
チェシャ猫はそうぼやいた後、野ウサギに向かって大声を上げた。
「この間抜けのチキン野郎ッ! 相手ビビらせようって所で自分がビビりやがって……! あたしが根性叩き直してやる! 歯ぁ食い縛りなッ!」
ロリーナたちは嘲笑う。それと同時に、ルイス・キャロルが猫と兎の間に入って言った。
「まあまあまあまあ、落ち着いてくださいっ……! 野ウサギさんもね。落ち着いて振ればいいんです。30以上なんて狙う事はありません。それよりも今は、次のターンに向けて、ロリーナの後ろに着けておく方が断然有利……!」
言われてロリーナは改めて表情を険しくし、野ウサギの緊張は多少なりとも和らいだ。
「……っ分かりました……。女王の後ろ……。そうだ……、4の差、5の差で着けるのがベスト……。うう……。振ります……!」
野ウサギはそう言ってダイスを手に取り、歯を食い縛りながら振った。
「……6……。これで76……。二投目……。4……。ううっ……、進まないけど……、これで80……! 三投目……! ウッ……!」
野ウサギの息が止まった。出目は7。強制終了につき、点数は最大でも87。トップのロリーナとは7点の開きがある。
ルイスたちもすぐには声を掛けられず、息苦しい静寂が広間に広がった。そしてその瞬間、ロリーナ・リデルの瞳がきらりと光ったのである。




