5.艱難たる生(その11)
ロリーナチームは三名とも憎悪をたたえて表情を歪めている。チェシャ猫はそれを煽るかのように、笑いながら更に言った。
「ニャハハッ! それじゃッ、ドッキドキの第四ラウンド、行ってみよ~ッ!」
グリフォンに後ろから小突かれて、ナンチャッテウミガメはそのひれをダイスに伸ばした。
「ううっ、わしか……。ムゥ……、ハァ……。ううう……、ハァ……」
溜め息を吐き続けるウミガメの耳を、グリフォンが引っ掴んで怒鳴り散らした。
「こののろまの出来損ないめッ! 腑抜けてんじゃないッ! 早々にリセット目を振ったり、ましてや場外なんかしてみろッ! 俺がお前を八つ裂きにしてやるぞッ!」
「うっ……、しかしっ……! ションベンはともかく、リセットになるかどうかは流れ次第で……」
うろたえるウミガメを、ロリーナも冷酷な眼差しで睨みつけている。グリフォンは更に言った。
「それならその流れとやらを掴むつもりで、死に物狂いでやりやがれッ! 最低でも兎の奴を始末して――」
しかしここでロリーナがグリフォンを遮り、声を落としてウミガメに言った。
「臆する事はないわ。あなたにはこの私が付いてるんだから。どうしてもという時は、私が判断して指示を出す……。あなたは落ち着いて振るだけでいいのよ……!」
このように言われて、ウミガメの緊張も多少は解けたようだった。彼は大きく深呼吸した後、甲羅に向かってダイスを振り入れた。
「……6……! ムフゥ……! これで35点……。野ウサギとの差、6……」
野ウサギはにわかに怯えだした。ロリーナがこくりとうなづくのを見て、ウミガメはダイスを構え、二投目を振る。
「……4っ……! ムゥウ……、これは……」
ウミガメの目をじっと見据えて、ロリーナは再びうなづいた。
「ムゥ……! 1-1はリセットだから、次に2の目を出せる確率は低いのでは……。ううっ……! 仕方ない……!」
ぼやきつつ、ウミガメは更に振った。
カッ、カララン……!
「……2っ! 2-2の2だっ!」
ウミガメは大声を上げ、グリフォンは皮肉掛かった笑みを浮かべた。野ウサギの顔面は蒼白で、チェシャ猫は不満そうに口を尖らせている。ウミガメはまくし立てた。
「この2を片方だけ足せば、41点っ……! 野ウサギを振り出しに戻して、わしのターンは……」
「駄目よ……!」
と、ここで鋭く口を挟んだのは、ロリーナであった。彼女の視線は、ウミガメではなく正面のルイス・キャロルを見据えている。そして当のルイス・キャロルの表情は、この回ウミガメが振り始める直前、ロリーナが彼に言葉を掛けた時から険しくなり、以降ずっとそのままだったのである。
ナンチャッテウミガメは身をすくめて押し黙っている。ロリーナはルイスから視線を外さず、凄味を利かせた声でウミガメに言った。
「続行よ……! 野ウサギのヒットはなし……。2と2をそのまま両方足して、更に振りなさい……!」
グリフォンが慌てて言う。
「おいおいっ……! 野ウサギをスルーっ? そのまま進んで……。まさかっ! カジノ潰しのとこまで振り続けて、そっちのヒットを狙うってっ?」
ロリーナはルイスを見ながら不敵に微笑んだ。一方、同じような笑みを浮かべながら、チェシャ猫が相手チームに言った。
「ニャハッ! 4を足したとして、ウミガメクンは43点。ルイスちゃんの方は57。その差14ッ。おやッ? って事は~……。最低でも、まだ後二回も振らなくちゃいけないねえ! ウミガメクンは既に、必死で三回も振ってるっていうのに!」
ウミガメは青い顔をしながら、小刻みに首を縦に振っている。が、ロリーナは猫に言った。
「フフッ! 馬鹿ね。何回振ろうと、その時ごとに失敗する確率は同じだわ……!」
周りは言葉を失ったが、ロリーナはここでウミガメを睨んで言った。
「……私は言ったわよね? どうしてもという時は、私が判断する、って……!」
「なっ……、それはっ……! 『どうしてもわしに判断が付かない時』という意味ではっ……」
ウミガメは顔を引きつらせて言ったが、ロリーナは冷ややかに言う。
「いいえ。『あなたは振るだけ』とも言った……! そうでしょう?」
と、ここで彼女は声色を変え、どこかゆったりとしてウミガメたちに言った。
「今までと同じよ。この私に任せなさい……。あなたたちは私を信じて、私の言う通りにするだけいい。それで全てが上手くゆく……。今までも、これからも……!」
こう言われるうちに、ウミガメもグリフォンも気が抜けたように表情を緩め、黙ってこくりとうなづいた。ルイス・キャロルが訝しむ間もなく、ウミガメはゆっくりとダイスを取りつつ、口の中でモゴモゴ言った。
「……えー……、ムゥ……。仕方がない……。どう出たところで、わしの責任にはならん……。わしは女王の命令に従うまで……」
彼はダイスを振った。出目は5で、前方のルイス・キャロルとの差は9となった。そのまま続けてウミガメは振る。
「……4……! これで五投……! ムゥ……、流れは悪いが……」
ウミガメが言いながらロリーナの顔を見ると、彼女は彼を一瞥した後、目を爛々と開いてルイス・キャロルを見て、そのまま声高に言った。
「さあッ! 振るのよッ!」
ウミガメは振った。
カッ、カラランッ!
「ニャッ……!」
真っ先にチェシャ猫が声を漏らし、次いでグリフォンが甲高い大声を発した。
「ヒャーッハッハッハッ!」
彼らに遅れて、他の者たちも出目を認めた。ナンチャッテウミガメはほとんど呆然とし、野ウサギは小さな悲鳴を上げる。そしてルイス・キャロルは唇を噛み、ロリーナ・リデルは満面の笑みを浮かべた。
出目は5。ウミガメはターンポイントを28まで伸ばし、トータル57ポイントでルイスに並んだのである。
「ヒャッハッハ! 相棒、お前は最高だぜッ! ほらッ! 宣言してやりな!」
グリフォンがウミガメの甲羅を叩いて言った。ウミガメの方はそれでようやく我に返り、ほくそ笑みながら低い声で言った。
「ムフ……! ムフフフフッ……! やったぞッ……! わしはツイてるっ! これでっ、57点! ステイだッ! カジノ潰しをヒットッ! これで勝負ありだなッ……!」
ルイス・キャロルはうなだれるようにして、ポイント用のチップを自分の前からどけた。流石のチェシャ猫も、歯ぎしりするばかりで軽口の一つも叩けずにいる。ロリーナは笑って言った。
「アッハッハッ! まさに痛恨の極みねッ、チャールズッ? 『振り出しに戻る』ッ! あなたのここまでの努力は、全部無意味だったって事ねッ! あなたは負ける! アリスにさよならを言う時が来たわッ!」
しかし、ここでルイス・キャロルは視線を上げ、ロリーナを睨むようにしてこう言った。
「……まだ……。まだです……! まだ終わってはいません……! まだまだ充分に、勝ち目はあります……。なぜならこのゲームは、チーム戦なのですから……!」
今にも逃げ出したそうにしている野ウサギの肩に、ルイス・キャロルは手を添えて言う。
「野ウサギさん……。厚かましいのは重々承知ですが、あなたに賭けます……! 私の愛する、アリスとワンダーランドを……!」
「っでもッ……!」
野ウサギは青い顔で震えながら言った。ルイスは彼をじっと見つめて言う。
「お願いします……! 判断が難しければ私が教えます。けれども、振るのはあなたです。どうか、ダイスを手に取ってください」
「っけどッ……!」
「ヒャッハッハ! 震えてるぞッ! そんな小動物に託したところで、どうなるって言うんだ? 勝ち目だなんて幻想さッ!」
グリフォンが嘲笑ったが、ルイスは野ウサギの目から視線を逸らさない。ここでチェシャ猫が野ウサギの背を叩いて言った。
「ほらッ! これで勝てればあんたは英雄だッ。わくわくするでしょッ? ほらッサイコロッ!」
「っしかしッ……!」
ルイス・キャロルは静かに言う。
「……野ウサギさん。出目はなんでもいいのです。サイコロを振る。やるのはそれだけです。……どんな目が出ても、私は受け入れます……。私と一緒に、最後まで戦ってください……!」
「……どんな目が、出ても……」
野ウサギははっと目を見開いて、そう呟いた。ロリーナたちの嘲笑が注がれる中、やがて彼はぐっと唇を結ぶと、震える指でダイスを掴み取った。
「っやります……! やりますよっ……! ううっ、恐怖で頭が、おかしくなりそうですけどっ……!」




