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5.艱難たる生(その2)

 薄暗い螺旋階段を何階分か下りると、塔は城の居館と繋がって、そこには執務室らしき部屋や食堂が並んでいた。どの部屋も王家の栄華を伺わせるような物は何一つなく、破壊の跡の上に、簡素な家具が整えられているだけであった。

 やがてルイスたちが、更に階下に下りる階段に足を掛けた時である。階段の先から、何者かの談笑する声が聞こえてきたのだ。その中の、甲高く皮肉っぽい声が言った。

「ヒャッハッハ! またナチュラルだ! 悪いな、いつになくツイてるみたいだ」

 別の、低く虚ろな声が溜め息交じりに言う。

「ハアァ……。うう……。全く、こう流れが悪くてはやる気もなくなる……。またお主がシューターとはな……。ハァ……」

 皮肉っぽい声が再び言う。

「ヒャッハ! ほらッ、ケチケチしないでもっと張れよ。どうせこの世は全て幻想さッ!」

 ルイスたちは忍び足で階段を下り、部屋に出る手前で息を潜めていた。チェシャ猫が先頭に立って、部屋の中の声の主たちの様子を伺っている。そうして間もなく彼女がルイスたちの方を振り向くと、なんとその眼孔には目玉が片方なかった。ルイスと野ウサギがぎょっとしたところ、猫はどこからともなく目玉を取り出し、それを顔に嵌めながら小声で言った。

「ニャハッ……! 噂をすれば、だよ。グリフォンとナンチャッテウミガメだ……! 玉座の間で、二人でなんかゲームしてる。なんだっけ? サイコロ二つの……」

 するとルイス・キャロルが嫌悪も顕わにして言った。

「クラップス、です……。彼らが馬鹿みたいに夢中になっているのは」

 野ウサギがルイスの態度を訝しがって、彼に尋ねた。

「……えっと、ルイスさん……? どうかしましたか? クラップスが何か……」

 ルイス・キャロルは声を潜めながら、野ウサギにまくし立てた。

「だって、あまりにも馬鹿馬鹿しいゲームじゃありませんか……! サイコロを二つ振って、合計7か11の目が出れば勝ち。2、3、12なら負け。それ以外は続けて振って、7を出す前に一回目の出目を出せば勝ちという、ただそれだけのゲーム……! 何の戦術も駆け引きもない……!」

 野ウサギは困ったように笑って言う。

「ハハ……。確かにそれは、僕も常々思ってましたよ。だけどカジノはそんなゲームばかりで、中でもクラップスは特に人気なんです。結構な金持ちもよくやってますよ」

「それはですね、」とルイスが更にまくし立てる。「クラップスの控除率が1%台と、ギャンブルの中では極めて低く設定されているからなのですよ……! 要するに、倍率と確率を掛け合わせると、100賭けて1くらいしか損をしない計算になるのです。損は損なのですがね。ルーレットではこの控除率が約5%、競馬は20%台、宝くじは50%前後ですから、それらと比べれば破格の設定です。けれども賭ければ賭ける程、その1%は確実な損失となる……! そしてカジノは客がどんなに大金を賭けようとも、濡れ手に粟で1%かすめ取るのですッ!」

「ちょっとっ、声デカいよっ……!」

 慌ててチェシャ猫がルイスをなだめたが、ほとんど同時に部屋の方で甲高い声が怒鳴った。

「っ誰だッ! こんな時間にっ……、侵入者かッ!」

「ニャッ……! マズイっ! 下がってッ!」

 猫が言うや否や、部屋からルイスたちのいる階段に向かって、グリフォンが猛然と飛び掛かってきた。チェシャ猫も指から鋭い爪を出して半身に構える。ルイスと野ウサギはほとんど腰を抜かすようにして階段へと後ずさりしたが、グリフォンは一瞬で彼らに迫り、先頭のチェシャ猫にその恐ろしい猛禽類の鉤爪を掛けた。

 が、今にも猫の顔が引き裂かれるかという瞬間、グリフォンの動きが止まった。そしてチェシャ猫がこう言ったのである。

「ニャハッ……! デカい図体してるけど、案外鈍くないんだね……!」

 グリフォンは嘴を噛み締め、小さく唸った。ルイスたちが見ると、グリフォンの喉元に切り離された猫の手が浮いていて、その爪の先が幻獣の羽毛に触れていたのである。

「チッ……! 忌々しい奴め……!」

 グリフォンはそう言いながら、素早く後ろに飛んで下がった。反対に、そこでチェシャ猫は一歩前に出て、玉座の間に足を踏み入れた。釣られてルイスと野ウサギも、そろりと広間の入り口まで出て来る。

 例の如く部屋は破壊の跡が残ったままで、玉座があったと思しき位置に長机と椅子がある他には、ほとんど調度品はなかった。鷲の頭と翼と前脚、ライオンの胴と後ろ脚を持つ幻獣グリフォンはその机の脇で身構えている。そして牛の頭と後ろ脚、海亀の胴体と前脚を持つ幻獣、ナンチャッテウミガメが、椅子に掛けたまま青い顔でうろたえていた。

「これはこれは……! フフッ。実際この目で拝見してみると、なんとも奇妙極まりないコンビですねえ……!」

 ルイス・キャロルがチェシャ猫の後ろから言った。グリフォンは彼の容貌をじっと睨むと、とげとげしい声で言った。

「眠たげな青い目に栗色の髪……。お前例の、カジノ潰しだな! いつの間にか、猫を飼い馴らしやがったのか!」

 チェシャ猫が否定しようと口を開くより先に、ナンチャッテウミガメが低い声で怒鳴った。

「この裏切り者めっ! 野ウサギもだっ! ううっ……、いったいなんという事だ! わしらに楯突こうなどと……!」

 ルイス・キャロルは毅然として幻獣たちに言った。

「カジノを始めとするあなた方の改革は、間違っています。私はあなたたちとスペードの女王に、考えを改めてほしくてここに来たのです。教えてください、彼女は今どこに……」

「ヒャッハッハ!」

 ここでグリフォンの嘲笑が、ルイスの言葉を遮った。

「俺たちが間違ってるってッ? 幻想さッ! いったい何が悪いって言うんだ! 今までここで好き勝手やってた連中の代わりに、俺たちが好きにやってるだけじゃないかッ!」

 ウミガメも鼻で笑って言う。

「ムフッ! その通りだ。元々こうなる流れなのだ。わしらはその流れに乗っただけ。気に病む事など何一つないのだ。わしらも、お主らもな」

 ルイス・キャロルが唇を引き結んだところで、チェシャ猫が嘲笑ってウミガメに言った。

「ニャハッ! よく言うよ。ハートの女王は元々あんたのとこの女侯爵だったんでしょ? その女王たちの身を、あんたは革命で売ったくせにさ! 知られてないと思ってた? 猫でももうちょっと情けがあるよ」

 しかしグリフォンが再び笑って言った。

「ヒャッハ! 情けだって? 笑わせるなッ! 奴らはこいつらや俺を見下し、ずっと虐げてきた! 俺たちはその借りを返したのさッ!」

 ルイス・キャロルは顔をしかめて言う。

「それは思い込みですッ……! あなた方はロリーナに……、スペードの女王に騙されて、そんな風に思わされているんですッ……!」

「ニャハッ、無駄無駄!」と、ここで猫が口を挟んだ。「あんたもホントは、もう分かってるんでしょ? 言葉も論理も役には立たない。ここはワンダーランドなんだから……! あんたたちッ!」

 チェシャ猫はグリフォンたちに向かって怒鳴った。

「こちらの紳士の当座の目的はスペードの女王さッ! 痛い目見たくなければ居場所を吐くんだね!」

 するとグリフォンが一層腰を落として言った。

「ヒャッハッハ! そいつはこっちの台詞さッ! お前らこそ大人しく投降するんだ。さもなきゃ三匹共、この嘴か、鷲の爪か、ライオンの爪のどれかの餌食になるぜ!」

 野ウサギは震えながら戸口の陰に引っ込んだ。同様にナンチャッテウミガメも机の下に体を隠そうとする。流石のルイスの表情にも緊張が見られたが、彼はここで声を高くして大袈裟に言った。

「いやはや皆さんッ、少し冷静になりましょうッ……! チェシャ猫さんとグリフォンさんがまともにやり合ったら、双方ただでは済まないのは明白……! ここは一つ、紳士的にゲームで決着を付けませんか?」

 しかしチェシャ猫はグリフォンに向かって身構えたまま、鼻で笑って言った。

「ニャハッ! だから、あんたは甘いんだって。周りにギャラリーすらいないこんなとこで、いったい誰が勝負の結果を守らせるのさ?」

「そっ、それはやはり、紳士淑女の約束として……」

 ルイスはそう言いかけて口をつぐんだ。正面にいるグリフォンが、嘲りの表情を浮かべつつ、彼らの方に少しずつにじり寄ってきていたからだ。それに応じてチェシャ猫も前へ出る。

 両者の間合いはすぐそこまで近付いている。ルイス・キャロルがステッキの柄を握り直した、その時だった。

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