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4.愛という名のちょっとした狂気(その10)

 野ウサギは唇を噛みながら考える。

 ……なんとか抑えたが、帽子屋の怒りはもう限界だ……! またすぐにでもカッとなって彼に襲い掛かるだろう……。チャールズ・ドッドソン……、いやっ、ルイス・キャロルッ……! 気付いていないかっ……? 早くゲームを終わりにするんだ! なのに、またALEとかAITって……! もちろんAITからゴールのMANには、一ターンじゃ行けない。一度BITとかFITを通って子音系の安全地帯に止まり、そこからなんとか帽子屋のミスを誘ってゴールしなくてはいけない……! さっき母音系の語に変えた事で、何ターンもロスしてしまった……! もう時間がないっ……!

「……AITという語を、一文字変えて……」 

 ルイス・キャロルは、苦しそうに繰り返して言った。

「まずは、ANT(蟻)……」

 野ウサギと帽子屋が、すぐに顔をしかめる。

「「ANT……?」」

 二人の呟く声が重なった。しかしルイスは先程よりもしっかりした声と表情になり、続けて言った。

「ANTという語を一文字変えて……、ANY(少しも)……!」

「……どういう事? MANからどんどん、離れてく気がするけど……」

 ヤマネが何気なく言った。一方、帽子屋の表情は青ざめ始めており、野ウサギは目を丸くしている。ここでルイス・キャロルは帽子屋の顔を見上げると、不敵な笑みを浮かべてこう言った。

「世界というのは、予め設定した究極のゴールに向かって進むものではない、という事です。人生もまた然り。フフッ。なぁんて、少々大袈裟でしょうか。ANYという語を一文字変えて――、ABY(罪を(あがな)う)ッ! さあッ、手番交代ですッ! 時間もちゃんと測ってくださいよッ?」

 帽子屋は即座に窓際に下がると、ガラスに青い顔をこれでもかと近付けて向こう側を拝んだ。ルイス・キャロルはそちらに首を向けてほくそ笑み、野ウサギは口元を隠して、にやりと笑う。ようやく事態を察したヤマネは、慌てて辞書をめくりつつ言った。

「……ABYっ、ABYっ……。EBY……、ない……。OBYっ……、ない! そんな単語はないっ! ARY……、これは接尾辞だ……! ないっ! ないよッ! ABYから変えられる単語は、元のANY以外にはないッ! 行き止まりだっ……! これって……!」

 ルイス・キャロルは、正面にいるヤマネに向き直って言う。

「ゲームのルールをあれこれ確認した時……、私は言いましたね? 『四十五秒間で一つも単語が出てこなかった場合、つまり既出の単語を除いてそれ以上一文字も変えられなくなった場合、その時点で詰まったプレイヤーの負け。そういう事でよろしいでしょうか』、とね……!」

「なっ……! それはっ……! 答えに詰まって間に合わなかった場合であってっ……! 元々答えが存在しない時はっ……!」

 ヤマネはうろたえながら言ったが、すぐに野ウサギが彼に言った。

「いいやッ! 限定してないッ! 二人共そんな風には限定しなかった! 『時間内に次の単語を挙げられなければ負け』! それが論理的に正しいルールだッ!」

「っそんなのズルいぞっ……! っていうか野ウサギッ! あんたいったいどっちの味方……」

 ヤマネが言い掛けたところで、ルイスが遮った。

「さあさあッ! 四十五秒、経った頃ですね! 帽子屋さん? ガラスの向こうの、『ブレインさん方』も、お手上げでしょうか?」

「ぬっ……!」

 帽子屋は小さく呻いて窓から顔を離し、歯を食い縛りながらルイスの方を見た。ヤマネが声を上げる。

「この男っ……! 気付いてたっ……?」

 するとルイス・キャロルは再びヤマネの方を向いて、クスクスと笑い始めた。

「フフフッ……! それはもちろん! 不自然な点が多々ありましたからねえ! この小屋は中が明るく、外がほとんど真っ暗。すると窓ガラスは光の反射の関係で、外から中は丸見えなのに対して、中から外は、ガラスが鏡のように光ってしまって見えない! ガラスに顔を近付けて、帽子のつばや手で明かりを遮らない限りはね!」

 ヤマネも窓際の帽子屋も、顔を引きつらせる。ルイスは続けた。

「帽子屋さんはガラスの向こうに、手勢のトランプ兵でも座らせているのでしょう。もちろん外は真冬の冷たい森の中ではなく、この木の小屋をすっぽりと包みこんだ、堅固な建物の大広間です! 都の中の、帽子屋さんのカジノの地下室かどこかでしょうか? なぜって風が吹いても窓ガラスが少しも揺れませんし……、野ウサギさんがドアを開けた時、一陣の風はおろか、少しの冷気も吹き込んできませんでしたから!」

 野ウサギは密かにほくそ笑む。ルイスは喋り続けている。

「この森のざわめきと風の()く音は、おそらく蓄音機から流している偽物。帽子屋さんは私と一対一の勝負をしているように見せかけて、窓の向こうの大勢の『ブレイン』たちに、ゲームの一手一手を、文字通り手分けして考えさせていた! 薄暗い中、辞書と黒板か何かをそれぞれ持たせてねッ。図らずもこの『ワードラビリンス』は、最初に彼が提案したチェスと構造が同じ。運も伏せ札もなく、より多くより正確に、より先の方まで場合分けをして考えられたプレイヤーの勝ちというゲームです。が、二人の泥棒よりも一人のソクラテス。フフッ! 私の仕掛けた言葉のトリックには、誰一人最後まで気付けなかったようですね!」

 ルイス・キャロルは再び帽子屋の方に顔を向け、わなわなと震えるばかりの彼と、その向こうにいるであろう彼の部下たちに向かって、ウインクを投げ掛けた。

 が、次の瞬間。帽子屋は壁際に身を躍らせると、拷問道具の山の中から、醜く汚れた棍棒を引っ掴み、大声を上げながら振りかぶったのだ。

「フハッ! それがどうしたっ! 結局お前は手も足も出ずッ、私の慰み物になるだけだッ!」

 ガッシャァンッ!

 その時ルイスの背後の窓ガラスを突き破って、一匹の猫が部屋に飛び込んできたのだ。

「やっぱりッ! チェシャ猫さんッ!」

 ルイスがその名を呼んだ通り、入ってきたのは、あの常識外れのチェシャ猫だった。そしてまたルイスが看破した通り、割れた窓の外は薄暗いホールになっており、十数名のトランプ兵たちが、床に倒れて動かなくなっていた。

「なっ……! お前はっ……!」

 うろたえて声を漏らした帽子屋に、チェシャ猫は笑って言う。

「ニャハッ! どうもこんばんは、帽子屋さんッ♪ それとももう、『お休みなさい』かなッ?」

 彼女が何気なく出した鋭い爪を見て、たじろぐ帽子屋。ヤマネに至ってはぶるぶる震えながら、声を振り絞るようにしてこう言った。

「そんなっ……。なんでっ……。そいつの味方をするつもりっ……? いやっ、それよりもっ……、なんでこんなに都合のいいタイミングで……!」

「フフッ!」ルイスが笑った。「手も足も出ませんでしたが、猫の手は借りられたようですねッ! 彼女はずっと前から、待っていたんですよ! 私がゲームに勝利して、救い出してやるのに相応しい存在に昇格(プロモーション)するのをね!」

「ニャハハッ! 流石ッ! まさしくその通りッ! つまんない男なんか助けたって、後が楽しくないもんねッ! 反対に、楽しそうだから助けてあげる! あたしの判断基準はそれだけだよッ♪」

 猫はいたずらっぽく笑ったが、帽子屋は顔を歪めて言う。

「なんだとっ……? 貴様らっ……、まさか二人共、最初から……!」

「フフッ! とんでもないッ! 誰が進んでこんな所まで拉致されるものでしょうか! まあ一応、得られるものがなかったわけではありませんが……」

 と、ここでルイスは、先程から表情を強張らせていた、傍らの野ウサギを見て言った。

「野ウサギさんですよ。三月程にはイカレてない、ね。帽子屋さん、あなたは一度、彼を外に出しましたね。おそらく例の『ブレイン』を、『外の外』から更に増員させるためだったのでしょうが……、その時彼は、私を探しているチェシャ猫さんに、出くわした。なんらかのやり取りの後、彼女は野ウサギさんに、こんな風に言ったはずです。『あいつにゲームで勝つように伝えな。めでたく勝てたら、手を貸してやろうじゃない』、ってね」

 チェシャ猫は満面の笑みで笑い、野ウサギは引きつった苦笑いを浮かべた。そして帽子屋は目と歯を剥き出しにして野ウサギを睨みつけ、ヤマネは甲高い声を上げた。

「そんなっ! 野ウサギっ! 裏切ったのかっ! このっ……! っでもっ、どうやってっ? どうやって『ゲームに勝て』って? チャーリーは野ウサギの心変わりに気付いてたなら、ソイツに助けてもらうために、むしろ『時間稼ぎ』をしようとしてたはずだ……! 猫のことなんて知らないんだから! それをっ、どうやってっ……?」

「ウッ……!」

 ここで帽子屋が呻いた。ルイス・キャロルは笑って言う。

「フフッ! 九ターン目の前、殴られて引っくり返った私を起こす時、野ウサギさんはこんな風に言ってくれましたからね。『BEEからWEE、WEN、WIN、とか、BET、BAT、CATとか……』ってね。しかしWINもCATも、どちらもそこで止まれば負けてしまう単語。あれはゲームのヒントをくれたんじゃなく、ここから抜け出すヒントをくれたんです。お分かりですね? WINとCAT。CATはもちろん猫、すなわちここではチェシャ猫さんの事。そしてWINとはこの場合『勝つ』ではなく、命令形の『勝て』という意味。ですから私は九ターン目の最初に、ほんの少し声を大きくして、『BYE(不戦勝)!』と言ったのです。これはですね、『勝て(WIN)猫より(BY CAT)』のbyよりと、Bye-byeバイバイのbyeを掛けているわけでして……」

「このっ……! イカレた奸賊がァアアアッ!」

 ここで突如帽子屋は叫び、ルイス・キャロルに打って掛かった。が、既にその手には棍棒の握り部分があるだけで、先の方はチェシャ猫が、いつの間にか切り落としていた。猫は帽子屋から視線は外さず、鼻先だけをルイスの方に向けて言う。

「いつまでそうして座ってるの? これ以上ここに居たってつまんないよ。さっさと行こッ!」

 ルイスは若干戸惑って言う。

「いつまでって……。私はまだ縛られてますから……」

「鈍いなあッ! よく見て! もうとっくに縄は切ってあるよッ!」

 猫がそう言った通り、見ればいつの間にか、ルイス・キャロルを椅子に縛り付けていた縄は、一本残らず切断されていた。彼は笑って立ち上がり、床に置かれていた自分の荷物やトップハットを、いそいそと手に取る。

 一方帽子屋は、再び器具置き場まで下がると、そこから剣を引き抜いてルイスたちに怒鳴った。

「貴様らッ! 逃がさぬぞッ! 許さぬぞッ! (ゆる)さぬッ! 女王陛下に従わぬ、愚かな害虫どもめッ! なぜあの方の正しさが分からぬッ! なぜあの方を愛さぬッ! なぜあの方の、希望の輝きに満ちた愛情が分からぬのだッ! 理性に照らせば分かるはずだッ!」

「ウゲッ……!」チェシャ猫が言った。「同じイカレるにしても、ああいうイカレ方だけはしたくないね……! 愛とかやめてよっ」

 ルイス・キャロルは声を落として猫に言う。

「あれは愛という名の、嫉妬なのです……。だからこそ、瞬時に火が点き、蔓延する。そしてその放火犯もまた、同様の嫉妬をその心に抱いている……」

「放火犯?」

「……スペードの女王……。即ち、ロリーナ・リデルです。彼らの話で、分かりました。彼女はおそらく、妹アリスに、嫉妬している……!」

「ふーん、よく分かんないけどッ。そろそろ行こっか! 手、握って!」

 チェシャ猫はそう言って、左手をルイスの方に差し出した。帽子屋は剣を突き出し、彼らの方へにじり寄っている。ルイスが猫の手を握ろうとしたところ、彼らの背後から野ウサギが慌てて言った。

「待ってっ! お願いだっ……! 僕も一緒に連れていってくれっ!」

 ルイスはちょっと笑って言った。

「おっと、これはこれは、忘れるところでした……! ここに残されたら、あなたはただじゃ済みませんものね!」

「え~。こんなガリガリの草食動物連れてくの?」

 チェシャ猫が不満そうに言うのと同時に、ヤマネが大声で言った。

「野ウサギッ! この裏切り者ッ! 逃げるなっ!」

 しかし野ウサギは必死で猫に頼む。

「おっ、お願いしますっ! 神様ルイス様チェシャ猫様っ……!」

「ニャハッ! 逃げるなって言われて逃げないヤツはいないね。じゃ仕方ない。あんたも一緒に連れてってあげる!」

 猫に促されて、野ウサギはルイスの腕にしがみつく。そしてルイス・キャロルが言った。

「ところで、行き先は?」

「もちろん、城の中さッ。会うつもりなんでしょ? そこにいるよ、スペードの女王は。ま、多分だけどね♪」

 チェシャ猫がそう言い終わるや否や、みるみる彼ら三人の姿が薄れ始めた。

「ルイス・キャロルッ! お前を神とは、認めないッ!」

 帽子屋はそう叫んで、手にした剣を投げつけた。が、それは部屋の中を空しく横切り、壁に突き刺さったに過ぎなかった。

 こうしてルイス・キャロルとその一行は、ワンダーランドの中心にそびえ立つ、大理石の城の中へと乗り込んだのである。

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