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4.愛という名のちょっとした狂気(その8)

「……っ分かったよ。外を見てくればいいんだろ? 君のお望み通りにね」

 野ウサギはそう帽子屋に言うと、席を離れて、それからルイスの左後方のドアを開けた。瞬間、外の風と木々のざわめきが大きくなる。帽子屋は野ウサギをじっと見つめ、野ウサギの方でもそれに応じると、そのまま黙って小屋の外に出ていった。

 一方、ルイス・キャロルは少しほくそ笑むと、間近に迫る帽子屋の顔を見ながら、こう切り出した。

「……どうかもう少しだけ辛抱してください。私の話は、ただののどかなピクニックの思い出ではないのです。続けさせていただきますが……」

 帽子屋は鼻から息をつくと、半歩下がってルイスに先を促した。ルイス・キャロルは語る。

「……私はボートを漕ぎながら、不思議な国の馬鹿げたお話を、三人のお姫様に語りました。主人公は次女の子で、この子が兎を追いかけて穴に落っこち、地下の世界で様々なものに出会うのです。ですが、もう時間でしょう。SPAからSEA(海)で、交代ですね。悪しからず」

 帽子屋は歯ぎしりをしたが、間もなく再びルイスの椅子の周りを回りながら、答えを考え始めた。するとここで、ヤマネが言った。

「えーっと、チャーリー? さっきので、あの人、つまりスペードの女王様と革命についての話は、大体終わったんだけど。後はもう、あんたの見た通りさ」

 ルイスはにっこりとヤマネに笑いかけて言った。

「……なるほどなるほど。大変に興味深いお話でしたよ。ヤマネさん、ありがとうございました」

 ヤマネは鼻息を荒くして言う。

「凄いだろ? みーんなあの人のおかげさ! まさに女神様だよ! 帽子屋だけじゃない。おいらたちはみんな、あの人を心の底から信頼し、愛してるんだ。そうッ、愛! 愛だ! 愛こそ世界を動かすのさッ!」

 しかしここで、ルイス・キャロルは冷たく笑った。

「フッ……! ご冗談を。それは愛という名の、ちょっとした狂気です」

「なんだってッ?」

 ヤマネが顔をしかめて言った。そして、次の瞬間。

「ウッ!」

 激しい音がして、ルイスはこめかみに衝撃を受け、そのまま床に引っくり返った。帽子屋が背後から殴りつけたのだ。

「あの方への愛が、よりにもよって狂気だとッ? お前は何も分かっていないッ! 革命以前の世界こそがイカレていたのだッ! あの方はそれを、理性の光によって目覚めさせてくださったッ! それをお前はッ……!」

 と、帽子屋が怒鳴り声を上げているうちに、外から野ウサギが慌てて駆け込んできた。

「おおいっ……! 何をやってるっ! 下手したら死んでっ、死んじまうぞ……!」

 野ウサギはそう言いながら、ルイスを抱き上げた。肩を強打しているようだが、辛うじて骨なども無事だ。帽子屋は今度は野ウサギに向かって怒鳴る。

「お前こそ、随分戻るのが早いじゃないか! ちゃんと言った通りにしたのかっ?」

「したっ……。ああそのっ、ちゃんと見てきたよっ……! 何も異常はない。問題なしだよっ! 問題なしっ!」

 野ウサギが答えた。帽子屋は鼻から大きく息をつくと、窓に顔を近付けて外を見つめ、それから顔をしかめているルイスを見下ろし、低い声で言った。

「良し……。SEAからPEA(エンドウ豆)、PEE(小便)、BEE(蜂)。交代だぞ、ドッドソン! 話とゲームを続けるんだ!」

 未だ喋れずにいるルイスを椅子ごと起こしながら、野ウサギがブツブツと言う。

「……BEEから……、WEE、WEN、WIN、とか……。後は……、BET、BAT、CATとか……」

 帽子屋は野ウサギを突き飛ばす。

「お前ッ! どういうつもりだ? 下らぬ同情心で助け船を出すのかッ? この男はあの方の敵なのだぞ! それともまさか、お前……!」

 野ウサギがうろたえて答えられずにいると、ルイス・キャロルが顔を上げて言った。

「フフッ……。『愛』とは良く言ったものです……! 仲間割れはその辺にしてくださいよ。私の話はここからが本題ですから」

 帽子屋とヤマネは唇を引き結び、野ウサギはおろおろした。ルイスは、こう続けた。

「私は可笑しなキャラクターや奇妙な世界を、その場で思い付いては言葉で描いていきました。常識外れな喋る動物やトランプ、食べると体の大きさが変わるお菓子やキノコ……。

そうやって喋っているうちに、私はふと、不思議な感覚に襲われたのです」

 ルイス・キャロルは、遠くを見るようにして言った。

「私が想像して創り出したキャラクターたちが、どこかで本当にお喋りしているような感覚……。私が思い描いた風景が、すぐそこに本当に広がっているような感覚……。と、その時、ボートの反対側の端で、次女の子が、いたずらっぽく笑っているのに気付きました。私は目だけで、彼女に尋ねます。するとその子は私に微笑みを投げ掛け、声に出さずに、『見て』と言いました。そして――、BYE(不戦勝)! それからAYE(賛成)、ALEエールビール!」

 帽子屋もヤマネも野ウサギも、ここで大きく息をついた。続いて帽子屋は、苦い顔をして言う。

「……ALEだと……? フハッ……! また母音系に戻したな。ここへ来て弱気ではないか……!」

 野ウサギも思う。……確かに……。母音・子音・母音の形から、ゴールのMANの子音・母音・子音の形に戻すには、おそらくまた限られた単語を見つけて経由するしかない……。どういうつもりだ、ドッドソン……。まだまだ時間を稼ぐつもりなのか……?

 するとルイス・キャロルは笑って言った。

「フフッ、そうかもしれませんね。ところで、手番は帽子屋さんの番ですが、いい所ですから、お話の方は私がこのまま続けましょう。構わないでしょうか?」

 既にいつもの考える体勢に入っていた帽子屋は、ぶっきらぼうに言う。

「フンッ……! 好きにするがいい」

「ではでは……」

と、ルイス・キャロルは、次のように語ったのである。

「……彼女は『見て』と言いました。そして、次の瞬間。私とその子の間、宙に浮いてぽっかりと、穴のような空間が開きました。そしてその中に、私が描写した通りの、いいえ、それ以上の素晴らしい世界が、生き生きと血肉を伴って存在していたのです。他の姉妹や私の同僚には、見えていないようでした。次女の少女だけが、私を見つめてほくそ笑んでいます。私には、全てが理解できました。この少女が、これを創ったのだと。私が想像して描いた世界に、少女が不思議な力――霊力とも魔力とも言いましょうか――、それによって、命を吹き込み、創造した……! それが、この世界……! 私とアリスの、不思議の国(ワンダーランド)なのです……!」

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