4.愛という名のちょっとした狂気(その2)
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「こいつ、まだ眠ったままだ。熱いお茶でも鼻に掛けてみる?」
と、何者かがそう言った声で、ルイス・キャロルは目を醒ました。
「あっ! 言った途端に、目ぇ醒ましたよ!」
顔をしかめつつ、ルイスがゆっくりと目を見開くと、彼の前にはふわふわの毛に包まれた丸っこい齧歯類、一匹のヤマネが立っていた。場所は木造の小屋のようで、蝋燭がやたらと沢山灯されていて明るく、石炭ストーブも焚かれていて、息苦しいほど暖かかった。
部屋の中央の長テーブルに別の者が二名着いていて、ゆったりとお茶をすすっていた。一人は大きな頭にこれまた大きな、値札の付いたままのトップハットを被っている。帽子屋だ。もう一名の方は野ウサギで、茶色く痩せた体をしていて、鼻は大きく、目はぎょろぎょろとして、頭に藁を乗せていた。
ルイス・キャロルは片手を上げて、目をこすろうとした。が、それはできなかった。彼は椅子に座らされていたのだが、彼の両手も、胴も足も、その椅子に固く縛りつけてあったのだ。彼は唇を引き結んで、ヤマネたちの顔を睨みつけた。
「ようやくお目覚めか、カジノ潰し」
ティーカップを置いて、帽子屋が言った。
「ハハハ! 丁度七時だ! 朝じゃなくて夜のだけど!」
野ウサギが笑いながら大声で言った。彼らの後ろに見える小屋の窓は大きく、ガラス張りでカーテンは開いたままになっており、外は真っ暗だった。帽子屋は立ち上がって、ルイスに更に言う。
「ここは都の外の森の中さ。トランプ兵の中には私の息の掛かった者たちもいてね、お前を捕らえた後、ここまで運び込んだというわけだ」
「森のとっても奥深くだよ! こんな所に小屋があるなんて、だ~れも知らない! あはは!」
ヤマネが言った。するとルイス・キャロルは、ここで初めて口を開いた。
「……いったいどういう事でしょう。城の中や牢や警察署ではなく、こんな暗い森の中に連れてくるとは……。ひょっとしてあなたたちは、スペードの女王に従っているのではなく? でしたら縄を、ほどいていただきたいのですが――」
「「「ハハハハハッ!」」」
三名は一斉に笑いだした。続けて帽子屋が、ルイスに近付きながら言う。
「フハハッ! 残念! 従っているとも……! いやッ、違う! それ以上だッ!」
ルイスは首を傾げた。帽子屋は彼の前を動き回りながら、夢見心地で天井を見上げ、声高に言った。
「ああ、スペードの女王陛下ッ! 太陽であり月であり、大地であり海であり、家であり生きる糧であり、神であり悪魔でもあるもの! それがあのお方! あの方のおかげで革命は成り、不合理な悪しき王たちは我らが頭上から引きずり降ろされ、永遠に滅ぼされた! 世界はあるべき正しい姿に生まれ変わったのだ!」
「ほんとにそれ!」
「女王様万歳ッ!」
ヤマネと野ウサギが合いの手を入れる。顔をしかめるルイスをよそに、帽子屋は更に言った。
「あの方は私の全て! 彼女のためなら、私はいかなる事にも惜しみなくこの命を賭けよう! それが彼女のためならば――、私は、いかなる所業にもこの手を染めよう……!」
最後の所で帽子屋は声を低くすると、部屋の端にあった、布の掛かった大きな荷物に近寄り、その覆いを引き剥がした。
「ウッ……!」
ルイス・キャロルは思わず呻き声を漏らした。そこに現れたのは、見るもおぞましい、数々の拷問道具であった。それらは用途に合わせてか、それとも生き物の種類に合わせてか多種多様であり、明らかに幾度も使用された形跡があった。
ルイスがそれらから目を逸らすと、帽子屋は再び彼に近寄って、彼の髪を掴んで顔を上げさせた。既にルイスのトップハットは脱がされている。帽子屋は言った。
「『カジノ潰し』……! お前に目を逸らす自由もなければ権利もない。お前はあの方の敵……! あるべき世界に、いてはならない存在なのだから……!」
ヤマネは歪んだ笑みを浮かべて顔を上気させ、野ウサギは引きつった薄ら笑いを浮かべている。一方でルイスは髪を引っ張られながらも、どこか落ち着いて言った。
「なるほど……、私を拷問するおつもりなのは分かりました。ですが帽子屋さん? いいのでしょうか? あなたは先程、『私的に』私をここまで連行したように言いましたよね? 『トランプ兵の中には私の息の掛かった者たちもいて』、とね。その、女王が立ち会いに来る様子でもありませんし、勝手にこんな事をしているわけでしょう? よろしいのですか? 不用意に私を傷付けたりすれば、後でどんな不興を買うか……」
「フハハハハ……!」帽子屋は笑って、ルイスの頭から手を離した。「なるほど、流石に鋭いな! 確かにこれは、あの方のお許しなしにやっている事。だが、私はあの方のためにやっているのだ。あの方を全ての害悪からお守りするために……! フハハッ、それにお前は知らないだろうが、対象を傷を付けずに拷問する方法だって、この世界にはいくらでもあるのだよ……!」
ここで野ウサギがテーブルから言った。
「ハハハ……! その通りっ! だから君、さっさと口を割った方が身のためだぞッ! こっちの手間も省けるし!」
「そうだぞそうだぞ!」
ヤマネも言ったが、帽子屋は歪んだ笑みを浮かべて言う。
「いいや……! 時間はいくらでもあるんだ。私はじっくりたっぷり、こいつで楽しみたいね……!」
「そうだっ! おいらもそう思う!」
ヤマネが言った。ルイス・キャロルは黙って彼らの顔を見つめていたが、やがて出し抜けにこう言った。
「ヤマネさんは冬眠もしないで、随分と元気なんですねえ。野ウサギさんの方は? 今は十二月のはずですから、三月程にはイカレていないのでしょうか?」
野ウサギは面食らったようだったが、ヤマネがすぐに答えた。
「あははッ! 革命のおかげだよッ! 石炭をガンガン燃やせば、どこだって春より薄着で過ごせるんだから! こいつだって、一年中イカレっぱなしさ!」
ヤマネがそのふさふさの尻尾で野ウサギの方を指すと、彼はやたら早口で言った。
「そうとも僕はイカレてる! 三月の野ウサギみたいにイカレてるっ!」
帽子屋は鼻で笑うと、再びルイスに向き直って言った。
「だがこいつらにも増してイカレて元気なのは、お前だな、カジノ潰し……! お前は何者だ? カジノなんぞ一軒潰れたら二軒建てればいい。怪しい奴は出入り禁止にしてな。にも拘らず……、あの方がこれ程ご執心になるお前は、いったいなんなのだ? ええッ? お前はあの方とどういう関係だッ!」
「ウッ……!」
帽子屋は苛立ちを露わにし、再びルイスの髪を乱暴に掴んだ。その目には狂気と殺意が宿っている。
「始まった始まったッ! 拷問タイムだッ! 拷問タイムッ!」
ヤマネが脇で囃し立てた。一方で野ウサギは顔を引きつらせたまま、席を立って恐る恐る帽子屋のそばに寄る。ルイス・キャロルは痛みで顔を歪めながら、帽子屋に言った。
「話します、話しますよ……! お喋りは好きですからね。だからあなたも、その手を『放し』て……」
そう言った所で、帽子屋はルイスの髪を奥に向かって勢いよく引き離した。椅子に縛られたままのルイスは後ろに倒れ、大きな音を立てて床に打ち付けられた。咄嗟に首を屈めていなければ、頭を強打していただろう。
しかしルイスは床に倒れながらも、目ざとく周りを観察していた。今まで彼の背後になっていた方向は壁が近く、そちらも同じようなガラス窓があり、外は暗くて何も見えない。が、壁の端の方にドアがあり、鍵は内側からつまみで掛けるだけのようだった。その麓には、ルイスの鞄や帽子も転がっている。
「おいおいっ、気を付けないと先に頭がイカレっちまうぞっ?」
野ウサギがそう言ったが、帽子屋は無視してルイスの髪と胸倉を掴み、彼を引き起こした。
「ウウゥッ……!」
帽子屋は呻くルイスに異常な笑みを近付けて、ドスの利いた声で言った。
「無駄口は叩くな……! 必要な事、意味のある事だけを喋るんだ……! まず、お前の名前はッ?」
「……ル……」と、ルイス・キャロルは言いかけて、彼は本名の方を口にした。「チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソン、そう申します……」
ヤマネは笑った。
「あははッ! 変な名前! じゃあチャーリーは、どっから来たの? 普段何をして、どんな物を食べてるの?」
「どこから来たかと、職業だけ答えろ」
帽子屋が言った。ルイスは息をついてから、質問に答えた。
「イングランドのオックスフォードから来ました。職業は……」
「どうした? さっさと答えるんだ。まさかお前、貴族なのか?」
突然口をつぐんだルイスに、帽子屋が怒って言った。ルイスは再び息をつくと、笑いながらこう言った。
「いえいえ、私はせいぜい上層中産階級と言った所で……」
「それならなぜ口ごもる……!」
帽子屋は今にもルイスを殴りそうな剣幕で言った。その背後で、野ウサギはいたたまれない表情をしている。ルイス・キャロルはその野ウサギを一瞬、しかし注意深く見つめると、笑って帽子屋に言ったのである。
「フフッ。一から十まで全部一遍に話すというのはどうも、と思ったわけでして。アラビアンナイトのシェヘラザードよろしく、『続きはまた明日』とでも言いたいところですが――、おっと、流石にそれは無理な相談ですよね。代わりに、いかがでしょう? 私の事をよく知ってもらうためにも、ここは一つ、ゲームでもしてみるというのは?」




