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4.愛という名のちょっとした狂気(その1)

 無数の煙突から立ち上る黒い煙は夜空の全てを覆い、星の瞬きも月の姿も、最早地上の者たちから忘れられたようだった。代わりに街を照らすのは、道や建物にいくつも備え付けられた、ガス灯のぎらぎらした輝きである。街の中はどこもかしこも真昼以上の明るさで、獣や小人、あるいはトランプの兵隊たちが、狂ったように騒いでいた。そしてそれらの喧騒を煽り立てるかのように、街の中心で巨大な石造りの城が、ライトアップされて佇んでいる。城の庭にも街の中にも、赤や白のバラの花はおろか、花壇も噴水も唯一つとして見当たらない。これが革命後の、不思議の国(ワンダーランド)の都なのだ。


 ルイス・キャロルは橋での勝負の後、僅かばかりの休息を取ると、料理番の制止も振り切って、都に向かう道を急いだ。

 少し歩く内に、後方からポニーに引かれた幌付きの荷馬車がやってきて、ルイスを追い越そうとした。彼はその荷馬車も都に向かうものと当たりを付け、密かにそれに飛び乗った。彼の予想は的中し、その日の日没頃(実際にはそれより前に煙霧に紛れて夕日は見えなくなったが)、ルイス・キャロルは都入りを果たしたのである。

 荷物に隠れて検問をやり過ごし、それから道の角で馬車から飛び降りると、ルイスは馬車に向かって一礼して、都の城下町の中を用心しながら歩いていった。そうして彼はまず市街の中心にそびえ立つ城へと向かったが、近付いてみると、城は外から照らされるばかりで内から漏れる明かりは見当たらず、城門は固く閉じられて、その中に生命の気配は感じられなかった。門と城壁の周りを、何名かのトランプ兵たちが警備しているだけである。

「……流石に日が暮れると、城は閉まってしまうようですね……。もっとも、彼女が城の中にいるとは限りませんが……。ロリーナ……。きみはいったいどこに……。なぜスペードの女王なんて……」

 ルイス・キャロルはそう呟いてから、思い出したように口をつぐんで、トップハットを目深に被り直した。が、彼の警戒は無駄であった。道行く者たちは皆、街にいくつもあるカジノの入り口に夢遊病のように引き寄せられていくか、あるいは道端の至る所で行われているビンゴやクジ引き、ブックメーカー賭博に注意を奪われているか、あるいは少なくない数の者がそうであったように、手にしたガラスの小瓶の中のいくつかのサイコロを、歩きながら一心不乱に振って、その出目に一喜一憂していたからである。

 ちなみに街の者たちの種類は相当に多種多様であったが、子供を除けばその身長は皆大差がなくなっており、ルイスの倍も大きい獣や、半分も背が低い小人などはいなかった。紙製のトランプ兵たちも同様である。通りの向こうでは、いつぞや見掛けたような大きな鳩が、セイウチを相手にコイントスを仕掛けていた。

「……やれやれ……、と、こう嘆くのは何度目でしょうか……。行き着く所まで行き着いた感じですね……」

 と、歩きながらルイスが呟いた時だった。一つの出店の所から、ひと際大きな声が聞こえてきたのだ。

「ほらほらッ! 単純明快、ゴマカシなしのクジ引きだぜ! 当たる確率は十分の一! 当たれば豪華景品があんたのもんだ!」

 声はルイスに掛けられたものではなかった。出店のクジ引き屋らしき一羽のフラミンゴが、その前を通りかかったハリネズミのカップルに向かって言ったのだ。クジ引き屋の前には小さなテーブルに一つの皿と袋が置かれていて、背後には綺麗な食器や衣類や酒のボトルが飾ってある。ハリネズミのカップルが言った。

「見て! あのティーカップ! 素敵ッ! あれ欲しいッ!」

「なになに? ああ、いいカップだねダーリン。一回三ペンス、確率十分の一か。なら、やろうか。最低にツイてなくても十回やれば当たる計算だし、十回やっても二シリング六ペンス。それぐらいの値打ちはありそうだものね」

「やったッ! ダーリン素敵ッ!」

 男の方のハリネズミは、クジ引き屋のフラミンゴに向かって言う。

「やるよ。何回か挑戦してもいいんだろ?」

「こいつはどうも! もちろんですぜ! 当たるまで何回でもやってください! じゃ、よろしいですかい?」

 クジ引き屋はそう言うと、袋の中から皿の中に、いくつもの小さな玉を出してみせた。

「玉は十個。ご覧の通り、一個だけのこの金色の玉が当たりで、他の九個の銀色のは外れです。これを袋の中に入れて、一個引くだけ。再挑戦なさる時は、もちろんまた全部袋に入れてから引いてもらいます。はい、まいどッ!」

 ハリネズミは三ペンス出して、袋の中に手を入れようとした。その時。

「失礼ですが、騙されてますよ」

 ルイス・キャロルが、ハリネズミのカップルに言ったのだ。カップルと、そしてクジ引き屋の表情が固まる。ルイスは続けて言った。

「『当たる確率が十分の一』というのは、『十回やれば当たる』という事ではないんですよ。当然ですが一回目で当たる幸運な人もいれば、二十回やっても当たらない人もいる。一回やって外れる確率は0.9で、二回連続で外れる確率はその二乗で0.81、と、確かに何回かやる前提なら、外れる確率は下がり、当たる確率は上がっていきます。が、計算すると、六回やってもまだ、外れる可能性の方が高い。七回でようやく、当たる確率が五割以上。確率十分の一が十回連続で外れる可能性は、三十五パーセント近くもあるのです!」

 ハリネズミたちは口をあんぐり開いて愕然とし、クジ引き屋のフラミンゴは顔を引きつらせて動揺し始めた。ルイスは音量を抑えつつも、まくし立てて更に説明を続ける。

「悪質なのは景品の質もさることながら、例えば十回のクジ引きの計算の中には、十回の内複数回当たる確率も含まれているところです。つまりですね、実際には客が当たりを引けばそこでそれ以上の試行は止められるため、店はその分の景品を差し出さずに済み、結果得を……」

「あっ……! こいつッ!」ここで突然、クジ引き屋が大声を上げた。「『カジノ潰し』だっ! 指名手配のッ……! 間違いねえッ、兵隊さんっ! 兵隊さんッ! 指名手配犯だッ! 指名手配犯がいますぜッ!」

 辺りは一斉に騒然とし、すぐに何名かのトランプ兵が走ってくるのが見えた。ルイス・キャロルの表情に動揺が浮かぶ。

「っこれはしまった……。一般人にまで私の事が……!」

 彼はすぐに鞄を抱えて駆けだした。が、時既に遅し。彼が脇道に逃げ込もうとするより早く、兵士たちに四方を囲まれてしまった。

「大人しくしろッ、『カジノ潰し』ッ!」

 トランプ兵たちがルイスに向かって怒鳴った。彼らは手に棍棒や矛を持って構えている。ルイス・キャロルは息を切らしながら、彼らに言った。

「ハァ……、ハハ……。私を逮捕しようというのですか……? いつの間にか指名手配などと……。いったい私が、どんな罪を犯したというのでしょう……! カジノをゲームで負かすのは違法ですか?」

 すると一名の兵が言った。

「それはあの方が判断なさる事。まず逮捕し、罰を下す。罪状はその後でどうとでもなる」

「そんな出鱈目なっ……! かくなる上は……」

 ルイス・キャロルはそう言うと、右手に持ったステッキを素早く小脇に挟んで、そのまま手をコートの胸の辺りに伸ばし、トランプ兵らに言った。

「私は『マッチ』を持ってますよ? それ以上近付いてごらんなさい! このからっからに乾いた空気の中でなら、『厚紙』は大層良く燃えるでしょ……」

 その時、鈍い音がして、ルイスは前につんのめった。周りの群衆の中から飛び出した、あのクジ引き屋のフラミンゴが、酒瓶でもってルイスを背後から襲ったのだ。

 ルイス・キャロルは後頭部を殴られ、地面に倒れて、そのまま意識を失った。

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