3.人殺しの女王(その6)
ギャラリーたちの喝采を一身に浴びながら、ルイス・キャロルは笑顔で言った。
「フフッ! これはこれは。ツイてますね!」
対するチェシャ猫は歯を剥き出しにして悔しがる。
「ウニャ~……! 三回連続パーが来ると思ったのに~……!」
「おれもそう思った……」カエルが呟いた。「結局色男は、おまけで進むのは諦めたって事か……。飛び越えちゃって。もったいない気がするけどな」
それを聞いて料理番が言う。
「未練がましい男だねえ、あんたは。いいんだよ、そのくらい。なんだかんだで、もう四軒分のリードなんだから」
カエルは何か言い返そうとしたが、その時ルイス・キャロルが声を大きくして言った。
「ではでは! グーで勝ったので、二軒分ですね。行ってきます!」
ルイスは早歩きで三軒目の小さなカジノを通り過ぎ、四軒目の店に差し掛かった所で入り口の方に向き直った。その時。
「わっ!」
ルイスが驚いて声を上げた。なんと対戦中のチェシャ猫の顔が、鼻同士触れそうなほど近くに迫っていたのだ。
「猫さんっ……! あなたはまだ、スタート地点のはずではっ?」
ルイス・キャロルは思わず後ずさりしながら言った。料理番を初めとするギャラリーたちも仰天している。一方で、猫は満面の笑みで言った。
「あたしもこっちまで来たくなっちゃった! 四軒目はお菓子屋さんだったからね~。おじさんッ、ミンスパイちょうだい♪ ほら早くッ! 十五秒以内!」
猫は店頭のカウンターの向こう側にいた、菓子屋のモルモットを急かしている。料理番はたまらず声を上げた。
「ちょっとあんたっ! 勝手な事してんじゃないよ! 真剣勝負だろッ? 早く戻りなッ!」
猫は出されたパイに手を掛けながら言う。
「ニャハハ! マジになっちゃって! ただの休憩♪ あたしの現在位置が分かればいいんでしょ? なら、半分で充分だね」
猫はパイを口に入れつつ、反対の手で入り口の方を指差した。ルイス・キャロルや料理番が訝しんで見ると、尻尾の生えたニッカーボッカーとブーツ、つまりチェシャ猫の下半身だけが、優雅な足取りで向こうへと歩いていた。周囲の者は唖然としている。
「アッハッハ!」ルイス・キャロルが笑った。「これはこれは! 全く自由な方ですね! 私も改めてびっくりですよ」
ぺろりとパイを平らげた猫は、笑顔で宙に浮かびながら大声で言う。
「ニャハッ! 自由、最高ッ! 常識や決まり事なんてお断り! 束縛・抑圧、さようなら! 自由こそあたし! 自由こそ本来の世界だよ! それもみーんな革命のおかげ! スペードの女王様万歳、ってね!」
周囲の者たちの一部は薄ら笑いを浮かべていたものの、多くは苦い顔をしてチェシャ猫の言葉を聞いていた。中でも最も口惜しそうに顔を歪めていたのは、公爵家の元使用人のカエルと料理番であった。一方、澄ました顔で聞いていたルイス・キャロルは、文字通り浮かれている猫に向かって言った。
「自由、大いに結構。ですが、最低限のルールとマナーは守ってもらいますよ?」
「ニャハッ! もちろん! あたしもゲームを楽しみたいからね! あっ、そうだ! あんよちゃんッ!」
猫はルイスに言った後、一軒目の辺りまで戻っていた自分の下半身に言った。
「あんよちゃん、そこでストップ! その辺でもういいから」
すると猫の下半身は振り向いて、気だるそうに片足に体重を掛けた。ルイス・キャロルらは訝しむ。猫はルイスの顔を見ると、不気味な笑みを浮かべて言った。
「だって次は、あたしが勝つんだからね……! わざわざスタート地点まで戻る事ないもん……!」
料理番は鼻で笑ったが、ルイスの表情は若干強張った。彼の目の前に浮かび上がったままのチェシャ猫は、拳を持ち上げ大きな声で言った。
「じゃッ、そろそろ行こうか! ジャン……!」
ルイス・キャロルも戦闘体勢に入る。料理番は数歩離れて考えている。
……四戦目……。今の状況はこうさね……。
ネ|□□☆ル□☆☆□□☆…
「「ケン……!」」
……おまけが二つ並んでるけど、ジャンケンそのものじゃ一軒か二軒しか進めないんだから、必ずどっちかには止まる事になる。ここはただコースが二軒分短くなるだけって事さね。つまり、この人が次に何を出すか、猫が予想できるような手掛かりはない……。猫の自信はハッタリだよ……!
「「ポンッ!」」
幾分強まった掛け声と共に、両者の手が出された。ルイス・キャロルはパー。対して猫の手は、チョキであった。
「ウッ……! そんなッ……!」
料理番が声を漏らした。周囲から低い歓声が上がり、またほとんど同時に猫が明るく言った。
「ニャハッ! ほんとに勝っちゃった! やったね! あんよちゃんッ! チョキで勝ったから二軒目だよ!」
猫が入り口の方を向いて呼ばわると、一軒目の店の前で止められていた彼女の下半身は、大きくジャンプして二軒目の中ほどまで進んだ。ルイス・キャロルは唇を引き結んでその様子を見ている。
「それじゃ、どんどん行くよ~!」
猫は上半身の位置はそのままで、拳を上げつつルイスに言った。ルイス・キャロルも拳を握って言う。
「フッ。望むところです……! ジャン……!」
料理番が必死で考える。
……まさかほんとに猫が勝つなんて……! 忌々しい……! これで状況がまた変わった……。
S|□ネ☆ル□☆☆□□☆…
「「ケン……!」」
……ウウッ……! これはマズいよ、お前さんッ……! 次、猫にグーかチョキで勝たれたら追い付かれるし……、何よりパーで勝たれたらッ、おまけが付いて、追い越されちまうッ! ここはお前さんは、グーだけは出しちゃいけないよッ……! 出すんならチョキかパーだ……! そうすりゃ猫にパーで勝たれる事はない……。追い越される事はないんだから……!
「「ポンッ!」」
猫の手は、パー。そして、ルイス・キャロルの出した手は、こちらも同じく、パーだった。周囲からどよめきの声が上がる。カエルが言った。
「パーとパーだ……! チョキ対チョキなら、ありそうだけど……!」
料理番は顔を引きつらせている。ルイス・キャロルは口をすぼめて深く息をついた。一方で、猫は明るい笑顔でこう言った。
「ニャハハッ! これは引き分け。ジャパン語で『アイコ』だ! お互い、裏の裏を読んだって事かなッ?」
ルイスは笑ってちょっと肩をすくめ、猫に言う。
「さあて、どうでしょうか? フフッ。ではでは、説明していただいた通り、引き分けの時は次の掛け声が違うのでしたね?」
「そうそう! 憶えてるよね? じゃ、行くよ~!」
「「アイ、コデ……!」」
猫とルイスが揃って声を発する。料理番は歯を食い縛っていた。
……猫はともかく、なんでこの人も若干陽気なんだいッ……! 状況は変わってない……! あたいは気が狂いそうだよッ……!
「「ショッ!」」
グー対、チョキ。勝ったのは、グーを出したチェシャ猫の方だった。料理番は短い悲鳴を上げ、カエルは大声で言った。
「猫の勝ちッ! これで並んだ! 色男のリードは吹っ飛んだ……!」
チェシャ猫は高らかに笑った。
「ニャハハハッ! また仕切り直しだねッ!」
ルイス・キャロルに笑顔はなく、黙って猫の顔を見据えていた。




