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1.ゲームをしましょう(その3)

 ♠ ♥ ♣ ♦


 カジノ『ラビットホール』は今夜も大盛況だった。煌々としたシャンデリアの明かりと蓄音機から流れる重低音の音楽を浴びながら、老若男女、姿かたちも様々な者たちが、それぞれお気に入りのギャンブルに血道を上げている。あちらの半円形のテーブルではトランプのバカラ、こちらの棺桶のような台ではサイコロ(クラップス)、あちらの大きなテーブルでくるくる回っているのは、もちろんルーレットだ。ディーラーは訓練された鮮やかな動きでゲームを進め、ジャラジャラと派手な音を立ててチップを回収する。露出度の高い衣装を着たウェイトレスが歩き回って安酒をただで客に振る舞い、そして――問題を起こした客がいれば、即座に屈強な警備員が現れて取り押さえるのだ。

 カッ、カッ、カラン……!

「赤の1です!」

 カジノの一階中央にあるルーレット台で、今も一ゲーム終わった所だ。台の上に書かれたマス目に、複数の客が賭けたチップが置かれている。この台の担当ディーラーのビーバーは、今しがた玉が入ったポケットについて、予想が外れた客のチップを素早く掻き集め、当たった客には相応のチップを支払っていた。

「……畜生……、また……!」

 トカゲのビルが声を漏らした。また、負けたのだ。あの旅の紳士と一緒にカジノの中を一通り見て回った後、紳士はビルに、このルーレット台で最低額の一ペニーずつ賭けるようにとだけ言って、どこかへ消えてしまった。

 ビルは最後に残った手元の一ペニーチップを見つめ、歯ぎしりしながら考えていた。……畜生……、勝ってたのは最初だけじゃねえか……。けど所詮は六ペンス……、持った方か? いや、でもあの旦那、あんだけ自信満々で言ってたんだ……。もう一回……。もう一回やれば……。次は勝てる……! 次から流れが来るんだ……! 神様、ルイス・キャロル様……! 弱気は振り払うんだ……! 次こそ……!

 ディーラーがルーレットを回し、続いて白い小さな玉を投入した。台の周りの客が一斉にチップを賭け始める。ビルも最後の一枚のチップを狙いのマス目に置く。賭けたのは、黒だ。

「黒が来る! 黒だ! 黒が来るッ! 黒来る! 黒来る! 黒黒来る来る狂る苦るクルルルルル……」

 カッ、カッ、カラン……!

「赤の9です!」

「畜生っっ!」

 見事予想を外したビルが大声で叫んだ。それはこの騒々しいカジノの中ですら、周りの者の注目の的になるほどの音量だった。しかしビルは最早他人の目も気にせず、うなだれて独りでまくし立てていた。

「結局ホントに六ペンス全部スッちまったじゃねえか! 何が絶対負けない方法だ……! 畜生っ、なんなんだよあの変人は! いったいどこ行きやがった? なんだか、すげえ嫌な予感がする……」

 その時だった。他の客の間をすり抜けながら、まるでダンスでもするかのような足取りで、例の紳士がビルの方に近付いてきたのだ。ビルが睨みつけながらなんと言ってやろうかと考えていると、先に紳士の方が、やけに高く大きな声でビルに言った。

「おやおや! ホントに全額スッてしまったのですね!」

 ビルは顔を引きつらせ、低い声で言う。

「……あんた、どういう事なんだ。最後は勝たせてくれるんじゃねえのかよ……!」

「勝たせる? そんな事言ってません。無理ですよ。だって――」

 紳士はそう言って、ここで一層声を大きくした。

「負けるようにできてるのに!」

「なっ! ハアッ?」

 ビルも再び大声を上げた。周りで何気なく彼らの言葉を聞いていた客たちもどよめく。紳士は声を大きくしたまま、更にビルに言った。

「実は私、国では数学の講師をしていましてね」

「すうがく……!」

 紳士はステッキでルーレットを小突いた。ディーラーのビーバーは、あまりの珍事にうろたえているばかりだ。

「ご説明しましょう! 例えばこのルーレット、赤か黒に賭けて勝てば、賭け金の2倍返ってくるわけですが……。ご覧ください! ほら、赤でも黒でもない、『0』と『00』がある! これがある分、赤か黒で当たる確率は、二分の一より低くなります! そこがポイント!」

 周囲のざわめきが大きくなる。紳士はお構いなしで喋り続けた。

「赤と黒がそれぞれ18マスずつですから、倍率と確率を掛け合わせると、2×18/(18+18+2)、イコール……、およそ0.95! これはどういう事か。最近私、小説も書き始めたので、例え話で行きましょう」

 目を白黒させているビルに向かって、紳士は昔話調で語り始めた。

「――ある所に、父を亡くした二人の放蕩息子がいました。兄弟は遺産を半分ずつ分けまして、兄の方は一日一回、カジノのルーレットで百ペンス賭けました。一方弟の方は、毎日五ペンス、遺産を酒に費やしました」

 ビルは顔をしかめている。

「一年経って、兄は弟に言いました。『お前、おやじの遺産はいくら残ってる? 毎日酒に使ってたんじゃ、たいして残ってないだろう。おれは勝ったり負けたりトントンだからな。お前よりはあるはずだ』……ところがです。兄弟は二人とも、全く同じだけの、ごく僅かなお金しか残っていませんでしたとさ」

 ビルは首を傾げ気味だ。一人悦に入っていた紳士は我に返って、それから更にビルに言った。

「オホン……! よろしいですか? 『トントン』なんかじゃないって事なんです。100払って95返されるだけ。毎回賭け金の五パーセント以上、ただただカジノに取られている計算になる……! 他のギャンブルも同じ事です。要するに、勝ったり負けたりを繰り返してるようで実は確実に――」

 今や同じ階にいる全ての客が、彼の話を聞き漏らすまいとしていた。紳士は腕を広げ、上向き加減に大声で言った。

「賭ければ賭けるほど、損をするようできている! 博打で負けない秘訣とは! 博打にお金を、使わない事なのですッ!」

 客たちは唖然とした後、すぐに騒然とし始めた。

「っ今のマジかよッ……?」

「毎回五パーセント以上ッ?」

「それって、ほぼ詐欺じゃ……!」

「例え話要る?」

 トカゲのビルは虚空を見つめて愕然としていた。

 ……嫌な予感はしてた……! やっぱりだ、畜生ッ! 勝てる秘訣とは言ってねえもんな! 負けるようにできてるってか! 畜生……。っでも……、なんだってそんな……? こいつはこんな事言って……。

 ドムッ!

「ウグッ!」

 鈍い音がしてビルが顔を上げると、彼のすぐ隣にいつの間にか警備員のブルテリアがいて、例の紳士のみぞおちに拳を突き立てていた。

「カハッ……! ハゥ……!」

 紳士は体をくの字に曲げて悶絶する。その体を、更に別の警備員が羽交い絞めにした。ビルは思わず後ずさりする。

 ……こいつぁマズイ……! 当然だ……! 賭けの仕組みを大声で吹聴されて、カジノ側が黙ってるはずがねえ……!

「お客様……!」

 若い女の、気取ったような高い声が言った。トカゲのビルは恐る恐る、羽交い絞めの紳士は目に苦痛の涙を浮かべながら、声の主の姿を見る。それは、胸元の大きく開いたドレスを着て様々な宝石を身に着け、長く白い耳を立てた、若い女性の兎だった。腰には大きな金時計を下げ、肩には何かの――あるいは誰かの――真っ白い毛皮を羽織っている。彼女は赤く鋭い目で紳士を睨みながら、口元だけで微笑を作って、次のように言った。

「ワタクシ、オーナーのメアリー・アンと申しますわ。困りますわね、印象操作は……!」

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