3.人殺しの女王(その3)
周囲の者たちのざわめきが大きくなった。カエルと料理番は息を飲んでいて、チェシャ猫はその丸い目を一層丸くしていた。が、間もなく猫は反対に目を細めて、歪んだ笑みを口元に浮かべた。
「ニャハッ……! あんた、やっぱりイカレてる。自分の立場が分かってないみたいだね……! あんたはあたしに、力尽くで連れてかれるんだよ? ゲーム云々を言う自由はないし、権利なんてのはもっとない。それに……、言うに事欠いて『協力者』だって? 猫は誰にも協力なんてしない。いっそ『奴隷』って言った方がマシだね!」
ルイス・キャロルはポーカーフェイスで僅かに肩をすくめた。その直後、猫はにわかに大声で笑いだした。
「ニャハハハハッ! けど、面白いッ! いいね、わくわくするよ! ずっと退屈でつまんなかったんだ! あたしが負けたら、奴隷でも協力者でもなってやろうじゃないッ!」
周囲がどよめく。橋のアーケードの中からも、人が集まってきたようだ。ルイスは笑顔になって言う。
「決まりですね。では、私が負けたら潔く都に連行されるという事で……」
「ニャハッ! んーんッ! それはや~めた!」
チェシャ猫はそう言って、不気味にほくそ笑んだ。ルイス・キャロルは怪訝な表情をする。猫は言葉を続けた。
「スペードの女王の言う事なんか、どうでもいいんだ。それよりあんた、『ジャパン』って国、知ってる?」
ルイスはやや面食らって答える。
「え……、唐突ですね……。知ってますよ。東洋の島国ですよね? 一昨年でしたか、私の国が手を出して、しっぺ返しに遭いましたが……」
「頭がおかしい野郎ばっかいるらしくてね、最近ハマってるんだ♪」
「頭がおかしい……。真面目で優しく、とても綺麗好きな人々だと聞いていますが……」
ルイスは首を傾げながら言った。すると猫は両手でハンチング帽を持ち上げ、頭の上でそれをぐるぐると巻いて言った。
「だって男はみんな頭を前からてっぺんまで剃って、その上に残りの髪をソーセージみたいにして乗せてるんだよッ?」
ルイス・キャロルは噴き出した。
「クスッ……! それは確かに、『頭がおかしい』」
「で!」猫は帽子を直して、話を続ける。「そのジャパンではね、『自分は最高にマジなんだ』ってのをアピールする時にやる、『ある作法』があるんだ。……あたしが勝ったら、おもちゃとして色々楽しんだ後、最後にあんたには、それをやってもらう……!」
ルイス・キャロルや、傍らで聞いている料理女の表情が曇った。チェシャ猫は口を目元まで広げて笑い、右手で手刀を作って次のように言った。
「『ハラキリ』って言ってね! 自分のお腹を自分で切るんだ! ついでに肉一ポンド分切り分けて、あたしにごちそうしてもらおうかなッ! もちろん誤差や、血や脂身は問わないよ!」
周囲に集まっていた者たちは騒然とした。カエルは腰を抜かし、料理番の顔は死人のように青ざめている。一方、ルイス・キャロルは一瞬その表情を歪めたものの、すぐに平然として猫に言った。
「……おやおや、私を生け捕りにするって話じゃありませんでしたっけ? 私の今の体重はおそらく十ポンドもありませんから、一ポンドも切り取ったら確実に死んでしまいますが……」
しかし猫は両手を広げて言う。
「言ったよね? 女王なんてどーでもいい! 関係ないんだよ。誰もあたしを縛れはしないの。あたしが楽しめればそれでいいんだ!」
ルイス・キャロルは顔をしかめて、低い声で言う。
「……自分が負けたら、自分がそのハラキリとやらをさせられるかも、とは考えないのですか?」
猫は一瞬きょとんとしたものの、すぐにまた笑いだした。
「ニャハッ! その時はどうぞ、ご自由に! それはそれでイカレてて面白いよ!」
ルイスは深い溜め息をつくと、顔を上げて真っ直ぐ猫を見据え、言った。
「……分かりました。負ければ私はハラキリ自殺。私が勝ったら、あなたには……」
ここでルイスは何かに気付いたように笑った。
「クスッ。あなたには、例のスペードの女王について、『一切合切』、『腹を割って』喋ってもらいますよ?」
チェシャ猫は声高に笑って言った。
「ニャハハッ! これは退屈しなそうだ! わくわくするね! それじゃ、肝心のゲームだけど……」
「お前さんっ! よしなよッ……!」
料理番の女が、猫の言葉を遮ってルイスに言った。猫は女を鋭く睨みつける。料理番はたじろぎながらも、再びルイスに向かって言う。
「お、お前さん……! イカレ方にも限度があるよ……! 捕まりたくないにしたって、なんだってそんな死に急ぐような真似をッ……! お前さんっ、まだ交渉の余地はあるっ……! 自分で自分の腹を切らされるなんて、そんな理不尽な話ッ、言われるがまま従っちゃいけないよ……!」
チェシャ猫は鼻で笑った。一方でルイス・キャロルは、真剣な眼差しを料理番に向けて言った。
「……ご心配、ありがとうございます。でも、決めた事ですから……」
女は叫んだ。
「ッ決めさせられてるだけだよッ! 歯向かえないような力で脅されて、いいようにされてるだけさッ! けどッ、お前さんならッ……! お前さんッ……! あたいはお前さんに、死んでほしくないッ! あたいはお前さんにっ……、惚れちまったんだよっ!」




