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2.これが私たちの世界ですか?(後編その4)

 カジノの客の一部が卒倒したが、やくざ者たちを初めとする大部分のギャラリーは、よそ者の悲惨な破滅姿を想像して、興奮で顔を上気させていた。

 一方、ドードー鳥は必死で吐き気をこらえ、ルイス・キャロルを見つめていた。ルイスはテーブルから離れて直立不動のままうつむいていたが、やがて、静かにイモムシに言った。

「……どうぞ、お気に召すまま」

 ホールの中は再びどよめいた。ネズミは引きつった笑みを浮かべていたものの、インコとイモムシの表情は苦しそうだった。間もなくルイス・キャロルは、先ほど引っくり返した自分用のスツールに向かって、その足を一歩踏み出した。その時。

「おお客さんッ! も、もうやめてくださいッ!」

 その顔を悲痛で歪ませたドードー鳥が、ルイスの体を遮るようにして言った。

「い、今ならまだ間に合いますッ……! こここで彼らに、せっ、誠心誠意謝れば、命だけは助けてもらえますッ……! か、彼らだって本心では、そうやって勝負自体を、う、うやむやにしたいはず……!」

 ギャラリーたちにざわめきが起こった。三オーナーたちは共に顔を引きつらせている。ドードーはルイスに更に言った。

「お、お客さんは三つのカジノを総取りして……、そ、それから隣町でしたっていうみたいに、カジノを、か解体するつもりなのでしょうッ? こ、この町の……、ぼ、僕たちの有り様を見かねて……。この情けない僕たちをッ……、苦しみからッ……、恐怖と狂気からッ、すっ、救うために……!」

 ルイス・キャロルは肩をすくめて、切なそうに微笑んだ。ドードーは叫ぶ。

「なぜですッ? あなたは、こ、この国の人間じゃないんでしょうッ? よッ、よその国の者のためにッ……、どうしてあなたはッ、そこまでイカレた真似をするんですかッ!」

 今やホールの中は、水を打ったように静まり返っていた。紳士は顔を隠すように帽子のつばに手を当て、うなだれるように床を見つめていた。が、やがて彼は、静かに口を開いた。

「……この国は、あの子の……、アリスの、大切な思い出の国なんです……」

 アリス……、あの少女……。ドードーはかつて出会い、そして昨夜も話題にした純粋な少女の事を思い浮かべた。紳士は言葉を続ける。

「……けれどもその思い出の国が……、どういうわけか……、利益と刺激を追うだけの、野蛮な世界に変わってしまった。……あの子は、寂しそうに言いましたよ。『……不思議の国……? ないわ……、もう……』、と。『なくなっちゃうの……、ぜんぶ、おしまいには……』、と……」

 ルイス・キャロルは右手を帽子から下ろし、体の横で、拳を握りしめたようだった。彼は顔を上げ、ホール全体に声を響かせて言った。

「これが私たちの世界ですか……? こんなものが……! あの少女の愛した……、あの不思議の国(ワンダーランド)だと言うのですか? でたらめで、馬鹿馬鹿しくて……、夢と笑いと、エネルギーに満ち溢れていた――、あの私たちの世界なのですか?」

 硬く冷たい石造りのカジノに、ルイス・キャロルの声だけがこだました。間もなくその残響が消えた後も、聴衆は誰一人として口を聞けなかった。

 やがて、目に涙を浮かべたドードー鳥が、静寂を破ってルイスに尋ねた。

「……お、お客さん……、もしかして……、あ、あの少女は……」

 ルイス・キャロルはうつむき気味になり、声を落として言った。

「……私は昨夜、誤魔化してしまいましたね……。あの子は今……、心を病み、絶望に囚われて、部屋から一歩も出られなくなってしまっています……」

「そ、そんな……。どうして……」

 ルイスは首を横に振った。

「……分かりません……。ですがおそらく……、鍵はこの世界にある。……イカレているのは百も承知……。ですが私は、やらなくてはいけない……。心を病んだ、あの子を救うために……」

 ここでルイス・キャロルは再び顔を上げ、カジノオーナーたちを睨んで声高に言った。

「潰さなくてはならないのです……! ワンダーランドのカジノを全て!」

 歪んだ笑みを浮かべていたオーナーたちは、ここで再び敵意に満たされて紳士を睨み返した。中でも最も恐ろしい形相をしていたイモムシは、ドスの利いた声でルイス・キャロルに言った。

「フン……! あくまで、やるって言うんだね……? 死ねばその子のそばにいてやる事もできない……。それでも本当に、キミは命を賭けるんだね……?」

 ルイス・キャロルは毅然として答えた。

「賭けます。私にできる事はそれしかないのです……!」

 イモムシとインコは歯ぎしりをするようにしたが、一方、ネズミは呆れたように笑って言った。

「ハッ……! ハッハ! 決まりだ! 続行だ! 座りな、騎士さんよ! 間が開いちまったが、てめえらも! ええッ? ゲーム再開と行こうじゃねえか!」

 ギャラリーたちは再びざわめき始めた。オーナーたちは椅子に掛け直し、互いに他の三名の顔を睨む。ルイス・キャロルも倒したスツールを拾ってテーブルに戻り、席に着いた。全てを受け入れたドードーは、再びルイスのすぐそばに立って見守る。例え僅かでも、彼の力になりたいと願いながら。

「フウッ! さあて……!」

 ゲーム再開の準備が整うと、ルイスがおどけて言った。

「誰の番ですか? どこまで進んでたんでしたっけ? ……なんちゃって! 二巡目の終わり、私がイモムシさんから引くとこでしたね! カードは三枚、各段が一枚ずつ。私のチップは四枚。私は手札も四枚で、イモムシさんのチップは一枚……」

「鬱陶しいぞ、いちいちッ……! 見れば分かるだろッ……!」

 カードを伏せ直していたイモムシは苛立ちながら言ったが、ルイス・キャロルは笑って言う。

「いえいえ、読者に必要な状況説明ですよ。なんちゃって。……オホン。さて、冗談はこれくらいにして……」

 ルイスはイモムシの伏せカードにちらりと視線を落としてから、相手の目をじっと見つめた。イモムシは歯を食い縛ってルイスを睨み返す。彼は考えていた。

 ……このイカレ男め……! 降りれば命は助けてやるって言ったのに……! 状況はこのボクにかなり不利だ……。けど……、こいつにはあれだけプレッシャーを与えたんだ。ここは凌げる……! ここを凌ぎさえすれば……! 後はどうとでもなる……! このボクなら、こいつらを出し抜ける……!

 ルイス・キャロルは自分のチップに手を掛け、イモムシに言った。

「決めました! 勝負所です! チップ三枚払って、三段目をいただきます!」

 チップを三枚、イモムシの手元に置いて、ルイス・キャロルはかすめるように三段目のカードを取った。

「アハッ! 8のペアですッ!」

 ルイスは笑って言ってから、手札と合わせて二枚の8のカードをテーブルに捨てた。

「ウグッ……!」

「やったッ!」

 イモムシとドードーがほとんど同時に言った。インコとネズミが低いうめき声を上げる。その場のギャンブラーの全員が息を呑んでいた。この追い詰められた状況で、チップ三枚、即ちこのゲームに於ける最大のリスクを、人は取る事ができるものなのかと。


 状況はこうなった。

 インコ:カード四枚、チップ四枚。

 ネズミ:カード二枚、チップ一枚。

 イモムシ:カード二枚、チップ四枚。

 ルイス・キャロル:カード三枚、チップ一枚。彼が次にインコから引かれるのだ。

「第二ラウンド終了です!」

 ルイス・キャロルが声高に言った。

「レースもいよいよゴールが見えてきましたね! 予言しておきましょうか。おそらく次のラウンドで、ゲームの勝者が決まるでしょう!」

 三オーナーが対戦相手たちの顔を睨む。ルイス・キャロルは微笑みながら、自分の前に、手札を三枚、縦に並べた。

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