2.これが私たちの世界ですか?(後編その3)
ホールの中はかつてないほど騒然とした。中でもカジノ関係者たちの怒号は凄まじく、目を血走らせて歯を剥き出しにしている。既に得物を抜いている者もいた。
「てめえッ! もう容赦しねえッ!」
ネズミが叫びながら、テーブルを叩くようにして立ち上がった。そのまま彼はテーブル越しにルイス・キャロルに掴みかかろうとしたが、ルイスは咄嗟に床を蹴り、後ずさりしながら立ち上がった。掛けていたスツールは引っくり返り、ドードー鳥も弾き飛ばされそうになった。ネズミはルイスを指差しながら怒鳴りつける。
「このペテン師め! 騙しやがったなッ! 賭けるっつったもんを払えねえ奴が、どういう事になるか分かってんだろうな!」
インコも殺さんばかりにルイスを睨みつけている。ドードーは青い顔で震えていて、流石のルイス・キャロルも表情を強張らせていた。
が、イモムシはここで、ネズミに向かってゆっくりと言った。
「まあ、落ち着けよ。そのツバメにもう少し聞かなくちゃ。……キミ、その男は、手に入れたカジノを手放したって? 誰かに売ったって事か? 現金で?」
ツバメは答えずにイモムシをちょっと睨んだが、インコが促すと、しぶしぶ彼の質問に答えた。
「……いいえ……。売ったんじゃないわ。譲渡よ。相手は白兎」
「っタダで手放したっていうのッ? なぜッ?」
インコが声を上げた。ツバメは彼女に向き直って、説明を続ける。
「分かりませんっ……! しかもその白兎も、カジノを営業するつもりはないみたいなのですっ! トランプやチップは子供に配られて、ルーレット盤は薪にされてます。更にっ! 貯まりに貯まった金庫の金はっ、住民全員に均等に配るって噂ですッ!」
ルイス・キャロルを除く、その場の全員が唖然とした。イモムシは気付け薬の如く水タバコを勢いよく吸い込んで、漏らすように煙を吐き出してから、ルイスに向かって低い声で言った。
「……ハハ……! イカレてる……! けど、要するに、だ。キミは今、カジノを持ってない。相応の金を持ってるわけでもない。このボクらが命の次に大事なカジノを賭けてたのに、一人だけ空手形を張ってたわけだ……!」
「沈めてやる……!」
ルイスが口を開こうとする前に、ネズミが低い声で言った。
「涙の池に沈めてやるよ! 野郎共ッ! そのクズをふんじばって――」
「生ぬるいわ!」遮るようにインコが言った。「そんなんじゃ全然だめッ! 舌引っこ抜いて、目ん玉くり抜いて、耳も鼻も削ぎ落として、それから穴という穴に汚物を流し込んでやるわ!」
「フッ! 子供の遊びかッ?」イモムシが言った。「甘過ぎる! 指を一本一本犬に食いちぎらせるんだ! 指が終わったら手首足首まで、その次は肘と膝まで! 最後は両手両足全部あの子の胃の中だ! それでも死ななきゃ、ハラワタを引きずり出せばいい!」
ドードー鳥は恐ろしさで崩れ落ちそうになった。既にギャラリーの中の一般人の何人かは、気を失って倒れている。
……もう駄目だ……。ドードーは悟った。……もう、助からない……! このお客さんを待つのは、陰惨極まりない最期だけだ……!
極道者たちは再びわめき始め、ルイス・キャロルに怒号を浴びせた。
しかしその時。身構えるようにしていたルイス・キャロルが、大袈裟に肩をすくめ、あっけらかんとしてこう言ったのだ。
「まだ私、負けてませんけど」
一瞬の絶句の後、極道者たちは一層の怒鳴り声を上げた。その直後。
「静かにッ!」
イモムシが周囲を一喝して黙らせた。ネズミとインコは鼻から溜め息をついた後、ルイス・キャロルの顔を睨めつけた。イモムシもルイスの顔を覗き込むように凝視すると、低い声で彼に言った。
「いいかい、キミ……? 家族団欒の遊びじゃないんだよ……? これは博打だ……! 失う物があるからこそ……、失う事を恐れればこそ、その判断に迷いも出れば、ミスだって生まれ得るんだ。一人だけなんのリスクもプレッシャーもなく、散々このボクたちを引っ掻き回しておいて、お咎めなしでは済まされない……! 覚悟はいいだろうね!」
荒くれ者たちは今にもルイスに飛び掛かろうと身構えている。イモムシは片手をゆっくりと上げた。が、その時だった。
「クスッ……。フッ……、フフフッ……!」
ルイス・キャロルが、声を漏らして笑い始めたのだ。異様とも言える紳士の笑い声に、一同は声を失った。
「フフフッ……! 覚悟、ですか……!」
ルイス・キャロルは静かに言葉を継ぐ。
「……私はとっくのとうに……、事の起こりから、覚悟はしてましたよ? 皆さん私がカジノを所有してなかった事がご不満のようですが……、私はもともと、それ以上の物を賭けてるつもりだったんですからね」
カジノオーナーたちが訝しむ。ルイスは再び笑った。
「フフッ。イモムシさん、あなたは言いましたよね? 『このボクらが命の次に大事なカジノを賭けてたのに』、と。ならば……」
ルイス・キャロルは、ここで声高に言った。
「命を賭けてゲームをするなら、むしろお釣りが出るでしょうッ!」
ホールの中は一斉にどよめいた。客もカジノ関係者も口々にまくし立てる。
「ッ命を賭ける? いや、賭けてたってッ? あんなにしれっと! 正気なのッ?」
「カジノの代わりに? 釣り合うかよッ!」
「ボスは言ったろ? 命が一番、カジノは二番だ。筋は通ってる……!」
「まだあいつにやらせるって言うのッ? 馬鹿なッ!」
「俺は見てみたい……! あの野郎が勝つのか、破滅するのか……!」
「そうだッ! やれやれッ! 続きを見せろッ!」
ギャラリーたちを包む空気は、次第に劣悪な好奇心で占められていった。革命の折からというもの、大衆は自分以外の者の不幸に熱狂するようになっていたからである。
カジノオーナーたちは顔を引きつらせてルイス・キャロルを睨んでいた。が、やがてその中で、ネズミが立ったまま大声で言った。
「ハッハ! マジでいい度胸だぜ!」
彼はテーブルの上を一瞥した。
「命を賭けるとよ! ハッ! カタギにそこまで言われちゃあ仕方ねえ! おい、てめえらもッ! 覚悟はできてんだろッ? ゲーム再開と行こうじゃねえか! ええッ?」
ネズミはインコとイモムシの顔を交互に見た。インコはちらりとテーブルの状況を確かめる。残りカードはインコが四枚、ネズミが二枚、イモムシが三枚、紳士が四枚……。インコはくちばしを噛みしめ、ネズミへの返答をためらった。彼女に有利な状況とは言い難い。
イモムシの方もテーブルの全てのカードに目をやると、苦虫を噛み潰したような表情をした。現状、最も勝利に近いのが、誰であるのか分かったからだ。
が、ここでイモムシの脳に、ある考えが浮かんだ。彼は歪んだ笑みを口元に浮かべると、水タバコを一度吸い込み、煙をゆっくりと吐き出しながら、こうルイスに言った。
「フゥ~……! イカレた紳士君に確認だけど……、キミは負けたら本当に、その安っぽい命を差し出すんだろうね? 当然、二位でもダメなんだぞ? カジノは勝者が総取りするんだ。キミは一位で上がるしかない。今詫びを入れて勝負を降りれば……、命だけは助けてやれるんだけどね……?」
ルイス・キャロルは落ち着いて答える。
「……安っぽいとは思いませんが、私が負けた暁には、これを潔く差し出しましょう」
「どんなに苦しんで死ぬとしても、だね……?」
イモムシが言った。彼はネズミとインコの顔を見てほくそ笑むと、再びルイスに向かって、次のように言った。
「いい事思い付いたよ……! キミが負けたら、こうしようじゃないか……! 両手両足を犬の餌にして……、目玉も舌も引っこ抜く。オヤツに丁度いいな……! それから穴という穴にクソを詰め込んで、最後は涙の池に放り込むんだ……! キミはどんなにもがいても犬掻きすらできず、闇の中で水の冷たさと苦痛だけを感じて、一人空しく死んでいくってわけさ……!」




