2.これが私たちの世界ですか?(後編その1)
ルイス・キャロルは自分の左隣に掛けているインコに向けて、七枚の手札を、三枚、二枚、二枚という三段に分けて並べていた。
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彼女に近い方の三枚が、一段目という扱いである。ルイスは言った。
「さあどうぞ! どれでも選り取り見取りですよ!」
インコは黙ったまま、伏せられたカードとルイス・キャロルの顔を交互に睨みつけている。手元では三枚のチップをカチャカチャいじっていた。が、彼女はにわかに気色ばみ、ルイスに向かって声を上げた。
「ちょっとあんた! あんたこそ、よくもぬけぬけと……! やってくれたわね!」
ルイス・キャロルもイモムシもネズミも、怪訝な顔をする。インコが続ける。
「チップもカードと同じじゃないか! このあたしが最初にあんたにチップを支払うと、あんただけ、最初に三枚より多くのチップを持ってスタートする事になる! とんでもなく有利だ! この人でなしめ! 抜け駆けしようったってそうはいかないよ!」
「あっ!」
ルイスがすぐさま声を上げた。他の二名の対戦相手は彼を殺さんばかりに睨みつけ、ギャラリーたちはどよめいた。ルイス・キャロルは素早く両手を振り、慌てふためいてインコに言う。
「これは失礼しましたッ! 気付きませんでしたっ。ホントですッ! 抜けてました……! ええっと、そうですねぇ……」
彼は少し考えたかと思うと、すぐにこう言った。
「ではでは、こうしましょう! 払うチップは一枚から三枚ですから、平均である二枚を、今この時点で私は放棄します」
彼はそう言って自分の手元の三枚のチップから二枚取り、それを脇に置いておいたチップのケースにカチャリと収めた。その惜しげもない様を見て、インコはやや面食らいながら思った。
……この男、苦い顔一つ見せずに……。ほんとにウッカリ見落としたの……? だとしても、このあたしが払った分を受け取らない事にする、とかじゃなくて、こんなに潔く二枚捨てるなんて……。このあたしが一枚しか使わなかったら、こいつは二枚スタートじゃないか。……フンッ! 公平通り越して馬鹿だよ……! さっき配り方云々で非を認めなかったこのあたしが、大人気なく見られるじゃないか……。
インコはくちばしを噛むと、鼻から息を一つついて、低い声で言った。
「……そこまでするんなら、このあたしも大目に見てやろうじゃないか。……あんたたちも、それでいいだろ?」
イモムシがうなりながらうなづく。ネズミは舌打ちをした後、嘲笑うようにして言った。
「ハッ! ナメられたもんだぜ。チップの一枚や二枚、余裕ってわけかよ。後で吠え面かくがいいぜ!」
ギャラリーの一部はまだブツクサ言っていたものの、ルイスはちょっと安堵の溜め息をついて、それからインコに向かって言った。
「いやはや申し訳ありませんでした……! ではでは、気を取り直して、インコさん、どうぞ」
彼は両手を広げて七枚のカードを示した。インコはくちばしを引き結ぶと、再び紳士の顔と、伏せられたカードを交互に見つめて、考え始めた。
……むう……。カードを配ったのはこのあたし……。ババに相当する絵札を、このあたしには来ないようにして、他の三人にだけ行くように配った……。けど……、これは墓穴だったかも……! ぐぬぬ……! 特に、隣のこいつに絵札を三枚押し付けたのはマズかったわ……! 初っ端このあたしが、こいつから引く羽目になるとは……! 目の前の七枚中、三枚が絵札……!
「ほらほら! お姉さん、ウィンドウショッピングですか?」
ルイスがおどけて言った。インコは彼を睨みつけながら考え続ける。
……このゲーム、基本はババ、あるいはババになりうる『絵札』を、相手が手を出し安い下段に置くのが普通でしょうね……。つまり、チップ一枚で引ける一段目は、絵札が置かれてる可能性が高い。もちろん三段に分散させてる可能性もあるし、テキトーに置いてる可能性もあるわ。けどこのあたしなら……、最低でも一段目に絵札二枚、二段目に絵札一枚、とかって置く……。絵札三枚、全部一段目かもしれない……。ここは……。
「チップ二枚払って、二段目を引くわ……!」
インコはそう言って手元からチップを二枚取り、ルイスの方に押し出した。そのままその手で、二段目右側のカードを掴む。手首を返して中身を確認した瞬間、インコの顔は固まった。
……J……。畜生ッ……!
「まいどありッ!」
ルイス・キャロルは満面の笑みで、残りの伏せ札を手元に戻していた。両者の様子を見て察しを付けたネズミとイモムシはにやにや笑い、傍らで見守っているドードーも、少し遅れて口元をほころばせた。インコはくちばしを噛みしめる。
……この男……! クソッ……! こんな事なら、素直に一段目にしとけば良かった……! そうすりゃこいつをチップ二枚スタートにしてやれたんだし……! どうしてこんなにツイてないのよッ!
「おらおら! 早く並べろよ。後がつかえてんだぜ?」
ネズミがインコに言った。インコは左隣の彼に体を向けると、今引いた一枚を手札に加え、軽く混ぜた後、自分だけが見えるように顔のすぐ下で開いた。
……いいわッ。ゲームは始まったばかり。既にババだと確定してる、Kを引かなかっただけマシ。切り替えるのよ。……このあたしの手札の中で、邪魔なのはこのJだけ。持ち続けてたらそのうち他の二枚がペアになって――今、他の二枚のJはネズミとイモムシのとこだ――、あたしのこのJがババになっちまうかもしれない。さっさとネズミにコイツを引かせるに越した事はないわ……!
しばらく頭を悩ませた末、インコは七枚の手札をテーブルに並べた。三枚、二枚、二枚。
インコが顔を上げると、ネズミと目が合った。互いに互いの目を睨む。ネズミはちらちらと伏せ札にも目をやりつつ、やがて自分のチップを掴むと、ガッとテーブルに叩きつけるようにして、大きな声でインコに言った。
「二枚払って二段目を引くぜ!」
ネズミは二段目の左側のカードを引いた。彼はそれを顔の前まで持っていって開くと、手札の方も覗いて照らし合わせた。
「ハッハ! ペアだッ!」
ネズミはテーブル中央に向かって、カードを二枚放った。8のペアができていた。
ギャラリーの一部から歓声が上がる。インコは歯ぎしりをするようにし、イモムシは鼻で笑った。ドードー鳥は僅かにうめき声を漏らし、そしてルイス・キャロルは、ぴくりと眉を上げた。
「ハッハ! ツイてるぜ! 流石俺様。さて、それじゃあ、どうすっかな……」
ネズミはそう言いながら五枚になった手札を眺めると、やがてそれを左隣のイモムシに向けて並べた。相手側から、二枚、二枚、一枚、と。
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水タバコをコポコポ吸い込んでいたイモムシは、ネズミが並べ終わると口からもくもくと煙を吐き出し、伏せられたカードをじっと見つめた。
「ゴホゴホッ……! クソがッ……! おら、さっさと引きやがれ」
ネズミが咳き込みながら言った。イモムシはネズミの言葉を無視し、相手の伏せ札と自分の手札を見比べていた。やがて彼は僅かに表情を歪めると、チップを手に取り、ネズミの方へ二枚滑らせた。
「二枚払って、二段目を……!」
イモムシはカードを引いて手元で手札と照らし合わせると、おもむろに二枚を合わせてテーブル中央に放った。
「ペアだ。Jのペアさ……! つまり今誰かさんが持ってる残りの一枚のJは、この時点で行き遅れのババになったってわけだ」
ルイス・キャロルが笑う。
「フフッ! 男なのにババとは、これいかに?」
「てめえが考えたルールだろうがッ!」
ネズミがにやけながら声を上げた。インコだけが不機嫌そうに黙っている。
「さて、と……!」
イモムシが言った。彼は手札をテーブルの下にある手で混ぜながら、ルイスの顔と彼の手元を睨む。
「まったくメンドくさいゲームだよ。うーむ……」
イモムシは手札を目元まで持ち上げ、低くうなった。その時。ルイス・キャロルが、イモムシに声を掛けた。
「『苦虫を噛み潰したような顔』って表現がありますよね?」
「……その言い方はあんまりいいとは思わないね。今は黙ってもらえるかい?」
イモムシはルイスを睨みつけて言ったが、ルイスは声を落として更に言った。
「そうですね……! 今言うべきじゃありませんでした。もう少し前か、もう少し後に言えば良かったで」
「ほら! 引きなよ!」
イモムシはカードを並べつつ、やや声を荒らげて言った。彼のカードは五枚。ルイス・キャロルから見て、二枚、二枚、一枚と並べられた。ルイス・キャロルはほくそ笑んでいる。




