密命
アリナが去った後もペルセはまだその場に残っていた。
こうして見ると、この場にいる面々は本当凄い奴らばかりである。
先ほどのサルブリド伯爵もそうだが、うちの親を含めて国の第一戦に日々過ごしている連中ばかりである。スーツ越しに首がかなり痛い。知らず知らずのうちに気を張り過ぎていたかもしれない。休憩がてら端に置いてある椅子に座った。ゆったりとアルコールの入っていないグラスを傾けていたら、何と今日のホストであるアンジー伯爵が自らペルセの側に来た。
「今日の会は如何ですか?」
「とても楽しませてもらっています」笑みを貼り付けて応対する。気を緩めれば、疲れがあっという間に吹き出しそうだ。
「……そういえば、アンジー伯。一つ、聞かせていただいても?」
「何でしょうか?」
「何故、貴方は今日パーティーをお開きに?まだ社交界のシーズンはここにいる皆様方・・・王城で官僚をされている方を除いて社交界のシーズンが始まるまで待っていると仰っていました。てっきり、アンジー伯爵もそうだと思っていましたので……」
結構踏み込んでしまったかな、とペルセは思ったものの口を止めることは出来なかった。
「それよりもやらなくてはならないことがあるのだよ。特に今はね」
「それは国の政事・・・ですか?」
「ええ。そうともいえますね、ペルセ殿、お父上かククルシオの御当主からなにか・・・」
「いいえ、今のところは特に何も」
「そうですか。・・・僭越ながら私から人生の先輩として一つアドバイスを」
「何でしょうか」
「ペルセ様、あなたはご実家の影響力を少々侮りすぎています。だからこそ身の振る舞いには十分ご注意を。」声を低いが、だからこそ聞き流せないような雰囲気をもっていた。
「・・・ご忠告、ありがとうございます」そうやって顔をこわばらせてそう返すのが精一杯だった。
「こちらこそ、このようなパーティーでの無粋な話題、失礼しました。それでは、私はこれにて失礼させていただきます」
「サルブリド伯はどうでしたか」馬車の中で待ちきれないといった様に興味津々で男性が問いかける。その口から出てくる言葉はもちろん流暢なウェルセルム語だ。カノルドかそれともどこか他の家かがわざわざよこした付き人兼、お目付役と言ったところか。
「さあ?興味をもってくれたならいいんだけど」アリナの言葉に男は満足いかなかったらしい。むっと男は顔をゆがめた。
「それでは困ります。せめて好印象を抱いてもらってくださらなければ。彼の地位はけして低い物ではないのですから」
「それは大丈夫よ。安心して」
それなら良いのですがと、まだ心配そうに男はアリナを見ていた。
「やはり私が来て正解でした。あなた一人ではあまりにも大変なことですから」
それならもう少し手伝えとアリナは怒鳴りたいのを必死でこらえた。会話の指導も、衣装選びさえ、しないでこの男はなんのためにここにいるのか。
それにしても・・・彼女は周りにいる人たちを頼りにするには今少し不安に思っていた。ウェルセルムの貴族は誇り高すぎる。誇り高いのは悪いことではないが、それが時に周辺諸国に悪印象を抱かせているのは確かだ。そのせいでエルンセルの内部事情に疎すぎる。
今目の前にいる男もそうだ。由緒ある貴族なのは確かだが、エルンセルに特に詳しいというわけではない。ここではよそ者である彼女にはエルンセルでの地盤がない。ならばせめてこの国の貴族の力関係や派閥など知らなくてはいけないことは山ほどある。
まあ彼が目立つならそれを利用する手もあるのだが。結局肝心なところはアリナ一人の才覚にかかっているけれども。
恐ろしいのはたしかだ。腹立たしくも思う。ただそれと同時にかすかに心がたかぶるのもまた事実だった。はたして、かつてここまで才覚を必要とされたウェルセルムの女性がいただろうか。密かに笑みをアリナは浮かべた。
その頃、実家に戻ってきていたペルセは実の父と向かい合っていた。めずらしく腕を組んだまま黙りこくっている父を気まずそうにけれども目を背くこともできずにしばし無言が続く。
口を開いたのは父からだった。
「おまえは今日訪れていた少女と知り合いだと聞いた」
「アリナ・クレイシア嬢ですか。同じ班なのでそれなりには」やはりそうか、そうじゃないかと思っていたが実際に言われると一段と胃が重くなる。自分が今日呼ばれた目的はアリナについてのことらしい。
「父上はアリナ嬢についてなにか気になる点があるのでしょうか」サルブリド伯爵もなにか知っている様子だった。
「私よりも気にしているのはセレインの方だがな。私も調べていることは確かだ。おまえもあのパーティーで彼女を見ていたのなら分かるはずだろう。彼女はただの留学生ではない。」セレイン・ククルシオ侯爵。セナンの父。ペルセの叔父。ククルシオ家の家長。現副宰相で老齢の宰相に変わって次の宰相筆頭候補だ。その叔父が一人の少女を気にしている。ただ事ではないのはまちがいない。
考えてみればおかしな事だ。あそこにいる殆どの貴族達が国の中で一流の人間ばかりだ。その貴族に混じってアリナがいる。ただの令嬢では考えられないことだ。
「まあ、言われてみれば」
「分かっているなら話は早い。おまえに頼みたいことがある」
「頼み?」父がこういう言い方をするのは珍しい。もしかしたら初めてじゃないだろうか。
「彼女をしばらく見張っていてほしい。このことはククルシオ候もセナンに頼んでいるはずだ」おもわず驚きの声をあげる。
「なんで」ランプの明かりが揺れる。手を固く握りしめていることに今気づいた。
「まだ詳しいことは分かっていない。ただ、あの少女についての詳しい情報がなるべく欲しい。まあお前に聞き出すようなまねはできないだろうが、一緒に行動していて不審な点があれば伝えてほしい。」
「それを知ってどうするつもりなんだ」
「ソルディン家の家長として振る舞うだけだ」
「・・・それは、場合によっては彼女と敵対しろと」
「もちろんだ。その結果起こることを予測し、覚悟も当然の上でだ。」その目は覚悟を決めた男のものだった。
「ペルセ、これを機に言っておこう。もし、今後ソルディン家の後を継ぎ将軍となりたいのであれば、常に考えておくことだ。自分の後ろには常に大きな影がついて回ると思え」それから言葉を続ける。
「また将軍家としての役目は、王のご意志に沿い国を動かすこと。けれどもいざというときは国防の最前に立ち、矢面に立つことも厭わない、この国を守るのもまた我々の務めだ。」
それはそうなのかもしれない、でもそれでは肝心なことは何もしらされていないのとおなじことではないのか。いくら父とはいえその身勝手さにカッと熱くなる。思わず拳を振り上げたがその手は振り降ろせなかった。そんなことしてもなにも所詮意味の無いことなのはペルセ自身がよく知っていた。
ペルセが退出した後アライルはつぶやいた。
「これを機に少しは成長してくれるといいが・・・」
その点でいうならあの娘はなかなかのものだと認めざるをおえない。今必要なのはなにかちゃんと分かっている。駆け引きに関しては既に大人にも負けないだろう。
見張れといわれたものの父にも言われたがもともとペルセは性格柄そういったことが苦手分野であり向いていない。父もそのことはよく知っているだろうに、なぜそんなことをさせるのだと一通り不満を心の中でぶつけた後ペルセはセナンに相談することにした。誰かに相談しようにもプライベートな問題故、親戚であるセナンしか相談相手がいない。父はもともと叔父上からの話だといっていた。セナンもあの場にいた以上同じ悩みを抱えているであろう。
セナンを呼び出したペルセは二人で部屋に閉じこもっていた。
「そう、伯父上がそんなことをね・・・」セナンはそういって考え込んだ。
「それでどうする?」
「どうするっていっても・・・あまりうかつなことはできないよね。彼女から情報を引き出す前に彼女の取り巻き達に阻まれそうだ」
「取り巻き・・・ウェルセルムの他の留学生達か」この間の茶会を期にアリナへ留学生からの接触が増えている気がする。
「ああ、アリナがなにもしなくても彼らは勝手に動いているから。目的までは知らなくてもアリナの周りをうろちょろしているからね」
「なあ、なんでアリナなんだ。アリナの実家のクレイシア家は伯爵家だって聞いたけどもっと留学生達の中には上の身分もいたはずだろ」普通取り巻きは有力者のおこぼれにあやかろうというやからだ。他国のことだから詳しいことは知らないけどわざわざ伯爵家の令嬢に取り入ろうとする気が知れない。
アリナに取り入ることでなにか利益があるのだろうか。
「まあ、持ち上げやすいのは確かかもね。女子留学生ってことで何かと目立つからね、彼女は。彼女を表だって行動させることで自分たちの目的を達成したいのかも」
「目的ねえ、ウェルセルムの貴族がわざわざこの国に来てまでやりたい事ってなんだかわかるか、セナン」
「知らないよ。僕だってなんでも分かるって訳じゃないんだから」珍しく本当にふきげんそうな顔をしている。ペルセは慌てて話をかえる。
「まあまだ分からないことだらけだ。そこでさ、考えたんだけどアリナ本人ではなく、スピナスにきくって言うのはどうだ」
「まあ、確かに。同性の方が知っているってこともあるかもよ」確かにスピナスなら寮でも一緒の分、行動を共にしている。本音をききだすのには良いかもしれない。男子生徒ならマラフに頼むと言う手もある。あの新しい友人はペルセよりも数段社交性が上だ。
「じゃあそれでとりあえずの方針は決まったな。それじゃあ下に降りるか。確か今日だったよな。模擬戦第二試合の発表」




