社交界
その日の午後、ペルセは実家からの急な呼び出しで学校から帰ってきた。
それ自体は珍しい事じゃない。基本寮生活だが、ソルディン家の跡取りたるペルセは貴族の義務として他の貴族と付き合わなくてはならない。どんな貴族にもそういった都合はあるし、学校側もそのことは理解しているのでその日の外泊許可もこころよく認めてくれた。セナンも王都にある家に同じ理由で呼び出されていた。ただ招待状に加えてわざわざ親から必ず出席する様に手紙まで添えられて来たのは意外だった。確かにソルディン家の跡取りたるペルセはこういった場に呼び出される機会が少なからずある。ともかく久しぶりに帰ってきた実家で用意されていた比較的軽めの、けれども正式な夜会用の礼装に着替え始める。
「そういえば父さんは?」いつもならいるはずの父アライルの姿が見当たらない。いるのは使用人達と母だけだ。
「先に行っているそうよ」
「ふ~ん」さして気にもしないで仕度を終える。
まあ、多忙な父ならそういうこともあるだろう。後ろでドレスに着終わった母さんが胸元に飾る宝石の種類をどうしようかとあれこれ悩んでいる間にさっさとペルセは着替え終わった。パーティーなんて正直なところ行きたくはないし、公爵家の立場なら断ることも容易い。
けれども招待主はだいぶ懇意の家柄だ。よほどの理由がない限り断わることはできない。
まあ、どうせ私的な夜会なんて大人同士の社交辞令がほとんどなんだから。所詮まだ成人してもいない子供には関係ない。いつも跡継ぎとしてしぶしぶ付き添っていくだけだ。装飾過多ではないが壮麗な石造りの門を開けると御者が一礼して表に止めてある馬車の扉をあける。優雅な仕草で乗り込む母はさすが社交界一と言われているだけはある。母に続いてペルセも馬車に乗りこむと、扉が閉じて馬車が走り始めた。車内では向かい合って座っている。何が気に入らないのか母さんはペルセをじろじろと見つめている。それから服の襟をただしはじめた。正直この年になって母親に襟をただされるはめになろうとは恥ずかしい以外なにものでもない。若干荒々しく手をふりほどき自分で直し始めた。かまわず母は今度は髪のくせを強引に直し始める。
馬車はしばらくする内に美しい庭の屋敷にたどり着いた。王都に存在するのでそれほど広くはないが迷路のようになった植木の刈り込みに、柱には細部にいたるまで彫り物が施されている。
既にあちこちに馬車が止まっているが、ソルディン家の家紋が入った馬車を見ると皆進んで道を譲った。複雑な気分になりながらもそのまま中央を進んでいく。門を開けると主催者のアール候が自ら出迎えてきた。
緊張感で少し顔が固くなりつつもアール候の宅に着くと、そのままホストであるアール侯爵に挨拶に行った。
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
「こちらこそ出席していただきまして、ありがとうございます。ソルディン夫人」その完璧なお辞儀を見ながらペルセはオッと小さく感心した。
アール侯爵は、流石騎士団に在籍されていた方なだけあって、均整な体つきをしている。…それなのに、一つ一つの動作が美しくて無骨な感じが全く見受けられない。ロマンスグレーというのはきっとこの人の様な髪の事を言うのだろう。父や祖父と比べてもいい勝負だ。騎士としての功績から伯爵にまでのし上がったのだ。その実力も押してしかるべしと言ったところか。
「ペルセ様。息子はたいそう残念がっていましたよ。今回の会に急な都合で参加できなくて」まああれの事ですからどこまで本当か分かったものですが。笑いを交えながら侯爵は話しかける。
「恐れながら、私も非常に残念に思っております。是非、今度は我が家の方にいらして下さいとお伝え下さい」
「はい。必ず」
そりゃあまあ、残念だろうよ。なんせ俺はソルディン家の嫡男、次の騎士団長、将軍と目されている。それと自分の身内とよしみを結んでおきたいだろうし…まあ、同じ武門の家柄同士。どのみち近い将来縁を結ぶ可能性が高い相手であるのは間違いない。うん、いつもの調子が戻ってきた。
社交界のマナーを一通りこなしながらペルセは周りから向けられる視線を感じ取っていた。ソルディン家が声をかけるより前に声をかけられる様な家はこの中にはいない。だからみな待っているのだ。ふつうソルディン家が声をこの中で最初に話しかけるのは姻戚関係にあるククルシオ家だ。その次に声をかけてくれることを期待している。自分の家の影響力を改めて感じると同時に少し辟易とする。もっともここまで来たらペルセの出る幕ではない。先に来ていた父と母を残して、セナンの元へ歩み寄った。セナンの実家、ククルシオ家ならば何も問題は無いはずだ。
「こんばんは、セナン」
「ごきげんよう、ペルセ」二人で笑いをこらえながら挨拶をする。父と母も一通りのあいさつを終えたようで他の客達も好き勝手に話し始めたようだ。相変わらずうっとうしいくらいの華やかな空間がひろがっている。
その中で再度扉が開き、招待客が入ってくる。遅れてきた招待客だろうか。入り口で起こった小さなざわめきにソルディン家とはまた違う視線が集まりどよめきとも歓声ともつかない声に自然誰もがそちらに目を向ける。深紅色のドレスを着た少女が中央に向かってゆっくりと進んでいる。
その少女の顔に思わず驚いて目が一瞬釘付けになった。その少女は紛れもなくアリナ・クレイシアその人だった。そもそもウェルセム人の少女がそうこの国に多くいるはずもない。セナンも似たような表情をしていた。国内貴族向けのパーティーに普通貴族とはいえウェルセルムの人間は来ない。一体なぜここに彼女がいるのだろう。彼女もまたアール候自ら出迎えられて入ってくる。紅色のドレスは彼女にとてもよく似合っている。たった一人だがそれがまるで一輪の気高く咲く花のようだった。
「どうかされましたか?」俺の様子に気づいためざといやつが声をかけてくる。
「ペルセ君とは学校での友人なんです。このパーティーに出席するとおっしゃっていたので少し驚かせて見せたくて。」俺が返事をするより先にアール候に挨拶を終えたアリナがしゃべりかけてきた。その言葉に納得してそいつはうなずいた。貴族の世界で油断はできない。アリナの言葉も建前だ。事情は知らないがなんらかの理由でいえなかったのだろう。その理由を無邪気な台詞で隠している。彼女に興味が移ったらしいその貴族はペルセが離れても気にも留めなかった。
ともかく彼女に助けられたのは事実だ。心の中でアリナに感謝すると一礼してその場を立ち去った。
「あなたも少しは見習って欲しいわね」そんな母親にしかめっ面をむけるとセナンを引っ張るようにして壁際に歩いていった。
「おまえ、知っていたか?」声を潜めながらするその質問にセナンは首を振る。彼女はアール候との何らかの繋がりがあるのだろうか。
「でも、今日僕たちがここに来たことと、彼女がここにいたこと無関係ではなさそうだね」父や伯父はもしかしたら知っていたのだろうか?
考えてみればここ最近は公式行事もないし今はまだ社交界シーズンでもない。時期関係なく年中どこかの家によばれたり、逆に呼んだりしているのであまり気にとめなかったのだが、この夜会はごく私的なものだからそこまで堅苦しいものでもないし、アール候の家とはそれほど親しいつきあいがあるわけでは無い。そんな家の夜会に絶対行かなくてはいけない理由はない。しかもそれにだがまだペルセは成人していない。わざわざ入学したばかりの俺が参加するのはまずないことだ。それこそ特別な訳が無い限り。
もう一度振り返って彼女を見る。やはり先ほどと同じように微笑んでいた。




