対面
そのアリナは回廊に囲まれた中庭を歩いていた。ついこの間ここで大捕物したばかりだがやはり待ち合わせとしてこれ以上のところは校内になかなかない。梅雨に湿った草木が香るこの中庭は入学最初の日に見つけて以来アリナのお気に入りの場所となっていた。今夜はまたほのかに差した月明かりが水面に映ってなんとも美しい。
だが今日のアリナの目的はそれらを眺めることではなかった。
ここに来る前にある人物に手紙を出して来ていた。もうそろそろ来る頃だろう。ゆったりと噴水に腰掛けてその人物を待っていた。
「まるでそうしていると皇国の神話の女神、アーシナーのようですね。アリナ嬢」その声につられて目をそちらに向ける。目的の人物がそこにはいた。
「私が大地を潤す水の女神アーシナーだというのなら、さしずめあなたは王国の雲の中の空の城に住む{太陽の子}エルマールかしら、マラフ」月に輝いた明るい茶髪は金髪にも見える。そこにいる少年は確かに平民というよりも王子と言った方が相応しかった。今ここで誰か別の人がみても普段の少し情報通な少年だと思うか怪しい。
「まさかこんなに早く見抜かれるなんて思わなかったよ。いったいいつから気づいていたの?」心底感心したような目でマラフはアリナの方を見た。
「テノンの中のエルンセルの血が分かったんでしょ、僕の中のウェルセルムの血にも気づいたの?いとこ同士だし」
「最初に感じたのは仕草かしらね。時々みせる仕草が平民のそれとは明らかに違ったから」
「以後気をつけるとするよ」マラフはループタイを崩すとそう言った。
「後はいじめられていたとき。あの時のあなたの態度はイジメられていながらそれと同時に
イジメている人たちを冷静に観察していた。あれは身分差におびえる目じゃないもの。上にたつ人間が下の人間達をどうしようかと思いながら見下している。そんな目をしていたわ。」
「そしてそれを君は見ていたわけだ。でも君あの時呼び出されていなかったっけ?」
「ああいう輩のイジメが一回で済まないでしょ。機会なんていくらでもあるわ。それこそコッソリのぞき見する機会もね」
「ああ、そうか。あまり気にしてなかったから」
「あの程度の相手、あなたにとってはどうでもいい存在だったんでしょ」
「そして決定的だったのはスピナスを見つけた夜。あなたはあの寮監だけではなく騎士団長まで連れてきて駆けつけた。ということはどこか近くで探っていないということ。この事件に深く関わっていそうな人たちを一堂に集めて、そしてその時の反応をみて誰が犯人か確かめたってところかしら」マラフは腕組みしてアリナを眺めた。
「母なる山、新緑の森、銀の鈴ふる若い鹿・・・岩山を跳ねる山羊に羽ばたく水鳥。昔からウェルセルムでは男性は山羊に女性は水鳥に喩えられます」だからあの時怒ったアリナを慌てふためいて罠にかかる水鳥と警告したのだろう。みすみす罠に嵌まるなと。
「あの時の件は感謝しているわ」それと同時にあなたが王太子だと確信したのだけれども。母から子守歌かなんかで聞いたことがあったのだろう。この歌を知っているのはウェルセルムの人間だけだから。そして彼に一番近いウェルセルムの人間は母親たる王妃しかいない。
「なるほど、王太子妃候補にって選ばれるだけの力量はあったわけだ。僕がただ者じゃないと分かれば後は早かったことだよね。それでどうするの?」まさかこれから機を見て夜這いでもかけるんじゃないだろうな。彼女ならその位の積極性はある。
「どうしよう?こればかりはね。あなたはどうだと思っているの」
「君なら立派な王太子妃になれると思っている」王太子妃になれるのは強く、したたかな女性だけだ。美しくてもはかなげな女性はあの絢爛豪華な魔窟の中では生きていけない。それが自分の持論だ。
「他にも貴方の妃になりたいって子はたくさんいるでしょうけどね」なんせ王太子妃の座だ。その座に座るためならどんな苦労も厭わないという王侯貴族の令嬢は大勢いるだろう。
「君は少なくとも母ともめ事を起こさない。君を婚約者にすれば母の愚痴をしばらく聞かずに済むだろう」
「ああ、まあ母上は大喜びでしょうね。お互い。で、あなたはどう思ってるの」
「ここに入って今まで君といて楽しかった。それじゃだめ?」
「まあ、とりあえずいいわ。まだ卒業までに時間はあるもの」
そこでマラフは向き合って頭を下げた。
「改めまして初めまして、エルンセル王国王太子。マリシオ・フォン・エルンセルです。どうぞよろしく」
「こちらこそ初めまして。クレイシア伯爵家が娘。アリナ・クレイシアです。どうぞよろしくお願いいたします」
「ねえ、君ほんとは戦いの女神とか、愛の女神とかのほうがよかったんじゃない」
「なんで愛の女神?」
「だって、ファントム・ナイフは、君に惚れてしまった。最後は復讐よりも君をかばうために動いた。結局それは君の逆鱗に触れてしまったけれど」マラフ自身もまたその一人なのだがそれは口に出さなかった。
「それを言うならあなたも風の神の方がよかったんじゃない。いい噂も悪い噂も聞きつけてしまう。国内の貴族にも気づかれずに学園に忍び込める。ほんと王太子って柄じゃないわね」
「それは言わないでよ、君も人のこといえた義理じゃないのに」まあだから彼女ならと思ったのだが。
「彼らに最後にあったのは声変わりする前だからね。小さいときの僕は細くて小さくてもっと母上に似ていた。」母親似だった顔立ちは成長するにつれて父親似になっていった。テノンと逆で自分はどう見てもウェルセルムの血が混じっているようには見えない。まあ、彼女はそれに気づいた様だが。
「それで、早速君に頼みがあるんだけど」
「なんでしょう。殿下」
「今度また、母上に会いに行って欲しい。そこで何を話すかは君に任せるけど」
「それでは、お頼み、かしこまりましたわ」そう言って二人は元来た道を帰っていった。
再び王妃様に招かれたアリナは、今度は二人きりでお茶を飲んでいた。二人きり、侍女も下げてあるので仮面をかぶる必要もない。伯母と姪、身内同士での話し合いだ。
「ほんと、周りの貴族の言うとおりだわ。あなたはとてつもない幸運の持ち主ねえ」
「ええ、今ならよく分かります」
まさか最初から班の中に騎士団、官僚、王家、それぞれの次代を継ぐもの達がいたとは。カードで言ったら最初から役が最高の状態でできあがっていると言ったところだ。
「王妃様何かしましたか」そう疑ってしまうのも無理ないことだ。
「いいえ、今回は本当に何も。でも身内の中から選ぶならあなただと思っていましたよ」
「それはなぜ?」この人に会うのはここに来てからだったと思うのだが。
「人って不思議なものでねえ、その人の性格が物に透けて見えるのよ。妹は自分に似た美人な顔立ちを気に入ったと思ったらしいけど。私が本当に気に入ったのはその絵からあふれ出るあなたの性格。健やかそうで、聡明そうで、なにより気丈そうで。私これでもあなただけじゃなく候補はすべて調べたのよ。でも、あなたより可愛い子はいくらでもいても、あなたよりしたたかそうな子はいなかった」よくまあ、あの妹からこんな子が生まれたと正直なところ感心したものだ。ヘランナが知る限り妹は可愛らしいが聡明とはいいがたかった。一国の王妃の器ではなかっただろうと言って伯爵家に降嫁させた父の選択は正しかった気がする。
「サルブリド伯もあなたを推薦すると申していました。あなたなら誰かの傀儡にはならなさそうだと。下手な国内貴族に外戚になられるよりよっぽどいいってね。」
「だれかの傀儡にならないことに関しては多少の自信がありますわ」ふふっとアリナは笑った。
「それは・・・母上もかしら」
「はい、もちろんです」
実はこの会談に先立ってアリナを正式に王太子妃として迎え入れたいと言った時に既に母、アルーセラにはヘランナの方から報告してある。傍目にも分かる様な上機嫌でエルンセルを訪問したアルーセラにしかしアリナの反応は冷淡とまでは行かずともしかし冷たい物だった。
「お久しぶりです母上」
「久しぶり、アリナ」幸せ絶頂のはずの娘の態度に母は不可思議に思いながらもさほど気にしなかった。
「どう、今の気持ちは」
「そうですね・・・特には」
「特に?一国の王太子妃、未来の王妃の座よ。よくもまあ落ち着いていられるわね」信じられないといった面持ちでアルーセラは自分の娘の顔を見た。
もともと王太子妃になるのに消極な姿勢でここに来たのだ、それこそミリヤ先輩の方がよっぽど積極的だっただろう。ただ負けるのは嫌いだ。負けたくないという一心でこの国の王太子妃候補になり、王太子を見つけ出した。見つけ出したその後は彼と結ばれて幸せか、どうか自分の目で見て決めようと思った。でも、学園に入って思わぬ形で王太子と、そして友人達と出会い、そしてこの国でこの友人達と過ごしていこうと決めたのだ。母に言われたからではない。他ならぬ自分自身の意思で決めたのだ。
その覚悟は既に先日の茶会で伝えてある。
「そうね、本当に・・・息子も言っていたことだしね。あなたは王太子妃に相応しいって」
「お褒めにあずかり光栄です。アリナは素直に頭を下げた。その様子を王妃はじっと見ていた。
「やはり、あなたは素直に頷いても舞い上がったりしないのね」
「お気に召されませんでしたか?」
「いいえ、故郷を出て王太子妃、未来の王妃になるんですもの。常に冷静で、強かじゃないとやっていけないわよ。これは叔母として、王太子妃の先輩としての助言よ」その顔は確かにウェルセルムから嫁いで王妃になっただけの事はあった。セナンは賢くはないといっていたが、今の彼女からは本当に国政に干渉してない?それすらも彼女の作戦ではないかと思わせる風格が漂ってきていた。マラフは卒業するまではマラフという名前で呼んでくれと頼まれているが、ここでは本名で呼ぶべきだろう。そのマリシオ殿下がすべてを欺き学園に通っているのだ。その母である彼女の実力は押して然るべしだろう。
やはり、彼女の本性を見くびっているような人間はたとえ、無理にでも王太子妃になったとしてもやっていけまい。
「肝に銘じます。ところで一つ王妃様にお願いがあるのですがよろしいですか」
「あら、私に?いいわよ。今は気分がいいの。だいたいのことなら聞いてあげるわ」




