独白
「噂は一部当たっていたのか」
「本当にお前とはアリナに言われても半信半疑だったぜ。テノン」
「いつから分かっていたんですか。アリナ様」外套を脱ぎ捨てたそこには紛れもないあの人の良さそうなウェセルムからの留学生の顔があった。
「あなたが純粋なウェルセルムの人間じゃないって分かったときからかな」エルンセル人にはウェルセルムの人間の顔の区別は付きにくい。でもウェルセルム人なら顔の違いは分かりやすい物なのだ。テノンの顔にはウェルセルムだけではないエルンセルの顔の系統が確かに混ざっていた。「あなたはウェルセルム人のふりをしたエルンセル人ね」
「まさか、ばれるとは思いませんでした。貴女に近づきすぎたのは失敗でした。
他のウェルセルムの貴族は学園内での使用人としか見てなかったからよくよく顔も見なかったのに」
「その貴女が言うところの他のウェルセルム貴族に言って調べさせたの。学園内で広まっている噂の発信源はエルンセル人のだれかじゃないかって」
「絶対自分じゃなくて貴女に頼むと思ったから、それで犯人が見つからなかった」
「・・・で、僕だと分かった」
「これまであれほど優秀だったあなたが全く何も見つけられないなんておかしいわ」
「失敗ですね・・・僕もまだまだです」
「できればこのまま大人しく捕まってくれたら嬉しいのだけれど」
「捕まえたらどうします」テノンはあきらめた様な顔をしていた。一瞬ペルセは慌てた。テノンが自死するのではないかと思ったのだ。
「別に、どうしようもしないわ。後は任せします。」
「いいのか、それで」
「ええ、もちろん。本当はスピナスの事が無かったら捕まえない道も考えていたから」
「おい、お前はそれでいいのかもしれないけど、俺はこいつに一人親友がやられている。殴ってもいいだろ」
「どうぞ、好きなだけ」その言葉はテノン自身から発せられた。
「一番許して欲しい人には許してもらったんだから、僕は」
テノンはロイア男爵とエルンセルの平民の女性との間に生まれた子供だった。商人の娘だった母は偶然父の商売先でお忍び中だった男爵に見初められ父の大反対を押し切ってまで愛人となったのが運の尽きだった。
しばらくしてテノンを生みそれなりに幸せだった母の生活は、やがて父が正妻を迎えたことで激変する。
正妻は当たり前だが母を疎んだ。テノンのことも疎んだ。その嫉妬深さは相当でテノン達は命からがらウェルセルムを逃げるように出てきた。上着一枚で母と手をつないでウェルセルムの家を追い出され、エルンセルまでの道のりを歩いて越えて行った。途中いかにも貧しそうな母子に優しい家などなかった。部屋の片隅でスープとパンが出れば豪華で、酷いときには門すら開かなかった。たぶんそれがウェルセルム人を憎んだ最初の時だ。
それからの生活は地獄だった。もともと母の実家も裕福という訳でもなかったし勘当同然で出てきた母に居場所なんてないに等しかった。ぼろぼろの家に住み、テノンも母も必死に働いたが生活はいつも食うにも困る有様だった。母が病気にかかって薬も買えずに死んだとき、テノンの中で何かが壊れた。ウェルセルムの父を、いやその頃にはウェルセルムの人間全てをテノンは恨むようになっていた。
復習してやりたいと思った。だが、方法もない。
そんな時だった、王宮が王太子妃を探していると聞いた。現在の王妃は大嫌いなウェルセルム人。王太子妃もウェルセルム人じゃないかと、王妃は無理でもこの国に来たばかりの右も左も分からない王太子妃なら手が届くかもしれない。
下働きとしてでも潜り込めないか。そう探っているところに思わぬ幸運がやってきた。
なんとエルンセル側から使いの者がやってきたのだ。学園の周りをうろちょろしていたウェルセルムの顔立ちをした自分を見て使えると踏んだのだろう。
遣いは西の大領主、サルロー公爵家の人間だった。
西の貴族連中は一つの家どころか三つもの家を挙げて王太子妃を出そうとしていた。よくまあ、こんな権力がらみのことで三つもの家がまとまれたなとテノンは正直なところ思った。そのフラクタル家とやらこれを機に寄親の地位を奪い取るつもり何じゃないかとも思ったがそれは俺には関係ない。
関係あるのは王太子妃に接触する最高の機会が訪れたのだ。金なんて問題ではなかった。
ロイア家の人間であることは自分で言った。そう言った方が楽に事が進むからだ。あっさりとロイア家の息子に名目とはいえ戻れたテノンは留学生としてこの学園に入学した。サルロー公爵にかかればガキ一人ねじ込むくらい簡単だったのだ。ずっと昔に捨てたはずの息子が国内でも名門あるこの学園に入学しているなんて、話を聞いたらあの父がどんな顔をするか想像すると楽しみで仕方がなかった。
目的の王太子妃候補アリナ・クレイシアにはすぐに出会えた。遠目で見ても分かるくらい美しい顔をした美少女だった。彫りの濃い顔。深い色の瞳。すべてがあの憎んでやまないウェルセルムの人間そのものの顔だった。
すぐにやるつもりはなかった。親しくなって彼女が完全に気を許した頃にしよう。その時の彼女の顔を思い浮かべると楽しみで仕方がなかった。
適当な男を捕まえて焚きつけ、気を見計らって駆けつければ好感を抱かれるには十分だ。
それにしてもなんて幸運な娘であることか。前国王の末の王女の娘だとは聞いた。王家の末席ではあり、位で言ったら一段劣る伯爵家の娘なのだ。それがたまたま王太子と同い年で王妃に気に入られ王太子妃候補。この国で一、二を争うような名門であり、実力もある家の次期当主からも気に入られている。自分とは真逆のとても運の強い娘。憎くて仕方がなかった。
どうせ、右も左もろくに分からない小娘だろうと高をくくっていた。
なのに、そうして出会ったアリナとたびたび接触している内に奇妙な感覚に襲われていた。にくくて仕方なかったはずなのに時々そんな感情が薄らいでしまう。彼女は右も左も分からない誇りだけは高い貴族の姫君ではなかった。淑やか令嬢の顔の下には彼女のさっぱりとした気風が隠れていた。自分がファントム・ナイフの仮面をかぶるように社交界という戦いに挑む彼女にとって淑やかな令嬢の姿は仮面だったのだ。あの本当に強い瞳をのぞき込んでいる内に自分の醜い心を吹き飛ばされてしまう。そんな感覚だった。なにか忘れていたものを思い出す懐かしい感じも。憎くてたまらないはずのウェルセルムの顔にだんだん癒やされていった。生まれ故郷を懐かしんでいるのだろうか。確かに七つまではあの国にいたのだから。それは間違いだと他の留学生達をみてすぐに分かった。彼らの顔は見るだけで反吐が出そうだった。彼らも俺がいれるお茶にしか興味がなかったので助かったが。あいつらは俺がテノン家の息子かどうかさえどうでもよかった。
なぜ、彼女は違うのだろう。男と女の違いだろうか。ならば母と自分を追い出したあの女はどうなる。だから彼女は王太子妃候補なんだろうか。
そう悩んでいる内に計画は始まった。
事前に彼女の方から相手の性格、実力を調べて欲しいと頼まれた時には好都合だと思った。対戦相手の五人の情報に怪しいといって西部の情報も載せた。そのおかげで彼女の信頼だけではなく実行計画の時、彼女たちの班がどう動くのか、相手の動きがどう出るかの予想まで手に入れられた。そしてアリナが作戦の上で一人になることがわかり、神出鬼没の演出のために彼女に沿うように動いた。彼女が離れた後、最初の陣地を投出器で狙ってうった。騒ぎを起こすだけならこれだけでいいが、ウェルセルムに疑いを持たせるなら次の班では怪我人くらいは出させないといけない。
人を傷つけるのは初めてじゃない。ドブの様な貧民街ではそれが日常だった。銀のナイフはまっすぐに相手にささった。混乱の渦を抜けながらほっとした。
次の標的はミリヤ嬢だった。まさか王太子妃候補をと言われた時はさすがに動揺した。
「いいんですか」
「ああ、どうせ彼女は当て馬でしかない。あのウェルセルム女を追い出せればそれでいいんだから」この様子じゃ既に次の候補は用意してあるに違いない。一気に二人の候補をつぶそうという算段か。その後の彼女の人生はどうなってもいいのだろう。そうだ、これが正しい貴族のあり方だ。人のことなんて考えない。
女子寮に忍び込むのは一大事だった。忍び込むのにはアリナの部屋を使わせてもらった。最近彼女は勉学で遅れがちな班の仲間の手伝いに忙しい。月を見るのが大好きな彼女の部屋はよく窓が開いていた。贈り物が多い机に誰かが乗っても分からないだろう。そうしてテノンは二度目の計画を実行した。
噂を流したのも自分だ。噂は面白いように広まった。見てるだけで楽しかった。まさか彼女が積極的に犯人捜しに加わるとは思わなかったし、少し意外でもあったけど。そんなことして印象はなかなか変えられないと心の中で馬鹿にしていた。
けれども彼女が呼び出されていることを仲間に知らせたのも自分だ。彼女が噂の出所を突きとめるのを止めようとしなかった。目的はほぼ達成されたからかもしれない。
既に金はもらっていた。だから最後に彼女の友人を狙った。友人ならわざとかもしれないといくらでも噂は流れる。親しい友人に見捨てられたらさぞ悲しいだろうなとも思った。
でも決行日は彼女の巡回日だった。狙ったのは彼女でもよかったかもしれない。事実もう一人の候補はそうしたのだから。なぜだかそうしなかった。
そして、彼女の怒りに触れてしまった。
そうして今ここで彼女の目の前に座っている。




