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英雄達の交友譚  作者: 笹矢ヒロ
第一章 春
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昔話

アリナはウェルセルムの中でも一、二を争う伯爵家クレイシア伯爵家の長女として誕生した。幼少時から男勝りだったアリナは家の中で楽器を奏でたり、刺繍するよりも本をよんで知識を深めたり、馬に乗ったりすることが好きだった。時には弓矢を持って行くこともあった。その実力はかなりのもので、時々父や、兄が「お前は男に生まれてきた方がよかったかもしれない」と言わしめる程だった。別にアリナにそんな気は無い。弓矢だってあくまで貴族の令嬢の嗜みの範囲にとどめてはいた。いくらアリナが男勝りとは言え、後々の将来にまで差し障りが出るのは困る。ただ他の令嬢が殆ど外に出ないのはどうしても納得がいかなかっただけで。アリナに関わらず、貴族の子弟を聞く時には両親の話が必ずついで入ってくる。アリナの父カスバル・クレイシア伯爵は名門伯爵家の次期当主として若いときから研鑽に励み、飛び抜けて優秀という訳ではないが、貴族として周りから高い評価を得ていた。それに目をつけたのが先代のウェルセルム王だった。

子宝に恵まれた、どころか好色と影で噂されていた先代ウェルセルム王は四人の息子と五人の娘に恵まれた。現エルセルム王妃、ヘランナ妃もその内の一人である。上の娘達を無事に嫁がせた後、末娘のアルーセラの嫁ぎ先は悩みの種でしかなかった。悩み抜いた結果、クレイシア家に降嫁したのだった。この縁談話に最初は断わろうと思っていた父も母の持参金と王女というブランド力に最終的に頷いたのだった。二人の間はまずまず円満だったといえるだろう。母は基本大人しく、父は王女の母を立てていた。二人の間には少なくとも兄スライバルと妹アリナの二人の子供を得て特に家庭問題もなくこの十数年を過ごしてきたのだった。

それが変わってきたのはアリナが十四の年になった時だった。まずは母が鏡をのぞき込むながらアリナの方を見つめだした。刺繍の縫い目一つ、しゃべる時の言動一つ一つまで確認しているようだった。

次にアリナが年頃になるにつれ、どこか周りの貴婦人達が値踏みするようになってきていることに気づいた。そういうこともあるだろうとはじめは軽く受け流していた。母が王女だと言うことは聞いていたから自分もわずかとはいえ王家の血を引いていることは知っていたし、そこに価値を見いだす貴族は多いだろうなとも思っていた。母がよく自分を見るのも娘の縁談を考えての事だろうと思っていた。美しく、刺繍が上手い娘ほどいい縁談がまとまるのはどの身分でも同じ事だ。美貌でも才覚でも他の娘達に引けをとるつもりはないくらいにはアリナは当時から気の強い娘だった。だが成長するにつれ、アリナの予想をはるかに飛び越えて展開は加速していった。

先代のウェルセルム王に比べて次に即位した王はなぜか子宝に恵まれなかった。なんとか跡継ぎの王太子は無事成人したものの娘は正妃との間には一人も生まれず、側妃との間に生まれた子も次々と夭折してしまった。残っている姫はまだ三歳になったばかりの幼子だ。このことを不安に思った臣下達は周りの王子、王女達の子女に目を付け始めた。そのなかにアルーセラの子供達も含まれていたのだ。それは万が一の世継ぎ候補としてだが、その時アルーセラはまったく別のことを考え始めた。アルーセラに長年心の奥底に埋み火のように眠っていた炎が燃え上がった。

れっきとした王女として生まれたにもかかわらずいくら名門とはいえ伯爵家に降嫁させられたことへの不満。それが一気にわき起こったのだ。もしかしたら平穏な日常に本人さえ忘れていたのかもしれない。だが、間違いなくその気持ちは確かにあった。アリナにとってクレイシア伯爵家の名前は十分に誇れる物だったが、母にとってはそうではなかった。そして一度わき起こったその思いはもう止める事ができなかった。そうしてアルーセラはすぐ行動に移した。ウェルセルムの王太子には既に縁談がいくつもある。そのなかには有力な公爵家や他国の姫だっている。その内のひとつと婚約を結ぶという噂を耳にしていた。早く次世代の王族を望まれる以上早晩決まる可能性は高い。だがエルンセルの王子はまだ決まってはいないはずだ。アリナは十四。エルンセルの王太子とは数ヶ月も変わらない。なにより王子の母であるヘランナ王妃はアルーセラの実の姉なのだ。アルーセラはエルンセルに嫁いだ姉から手紙で日々の愚痴を受け取っていた。

娘が年頃になった。ウェルセルム王家の特徴的な濃い青の瞳をしている。そう書けば十分だった。すぐに肖像画を、と言うくらいには姉も故郷に飢えていた。

父は反対の立場だった。もともと王家にこだわっていなかった父である。年が近いとはいえアリナを王妃にすることに執着はしていなかった。そのことで母ともめるのも多くなってきた。少なくとも父にとってはアリナはかわいい娘であり、できることなら平穏な一生を送ってもらって欲しいと願っていた。

アリナが何時もとは全く違う様子の応接室に呼び出された時から緊張感は高まっていた。父と母が並んで座っている長椅子の向かいに座ると話が始まるまでじっとうつむいたまま待っていた。

「エルンセルのヘランナ王妃様からお前をエルンセルにご招待するという話が来た。お前の賢さなら内容も察しはついているはずだ」アリナは背筋を真っすぐにして父の次の言葉を待った。

「アリナ、お前はエルンセル王太子妃候補として試されている。」

「大丈夫よ、貴女なら」そういう母の声はなんの慰めにもならなかった。むしろその声は怖い様な、脅迫めいた響きを感じた。

「姉上は貴女の事をたいそう気に入ったらしいわ、姉上に任せておけば大丈夫。なんたって王妃様ですもの」その声には王妃になれなかった自分を卑下しているように聞こえた。その時には既に母の気持ちがなんとなく理解できるようになってしまっていた。しまえるほどにはアリナと母は近く、そしてアリナは聡かった。

王太子妃候補ということは決定と言うことではない。それどころか下手をしたら今後一切の縁談がなくなってしまうと言うことだ。いや、それだけで済まないかもしれない。あくまで試されている立場なのだ。知らずの内に体が震える。でもそれと同時に瞳が強く輝いているのが自分でも分かった。

その日からアリナは徹底的にエルンセルの事を学び始めた。言葉はもちろん文化、礼儀作法、踊りでも楽器もなんでもできることは全て身につけた。それと同時にエルンセルの情報を集め始めた。ウェルセルムの血がこれ以上濃くなることに我慢できない貴族達は必ず自分に対抗する姫君なり、名門の息女を担ぎ出してくるはずだ。母は何でも協力するといっていたがアリナは既に母から距離を取り始めつつあった。アリナを手駒にしてエルンセルの玉座をつかみ取る。そんな夢想にとりつかれていた母をアリナは冷めた目でみていた。

アリナを未来のエルンセル王妃として目を付けたのはなにも母だけではなかった。耳の早いウェルセルムの貴族連中はこぞってアリナに目を付け始めた。

ある者は取り入ろうとし、自分の息子や娘を使って繋がりを持とうとした。

反対工作に躍起になる者もいた。その中でも年の近い従姉妹、その両親である伯父、叔母はいくら警戒してもしすぎということは無かった。

いつからこんな事になってしまったのか。久しぶりに自分の部屋で一人になれた時、アリナは夕焼けの差し込む寝台の上にしな垂れかかっていた。半年程前から部屋は未来の王太子妃、いや王妃に相応しい豪奢の物にと変えられていった。好きだった遠乗りや弓矢よりも踊りや礼儀作法の方が増えた。当たり前だったはずの透き通るような泉と色づいた山がこんなにも愛おしくなった。

これっきりだ、これで最後だ。応接室に呼び出された時に覚悟は決めた。だから泣くのはこれで最後にしよう。

その少し後、マルセス国立学園に何人か先行してウェルセルムの師弟達を入学させたという話を人づてに聞いた。ならば自分も王宮に王太子妃候補としてではなく学園への留学生という形にしてくれとお願いしたのはアリナのささやかな抵抗だった。学園ならば最悪留学生として故郷に戻れる。そう祈っての願いだった。もちろん表にはそんなことおくびもださない。エルンセル一の名門校に王太子が入学しないわけがない。それだけではなく味方になるようなエルンセルの貴族の子弟とも親しくなれる。王宮よりも一気に距離を縮める絶好の好機だと。最初は渋った母をなんとか説得させてアリナはあくまで伯爵家の令嬢としての立場で留学することを許された。

意外にも留学を後押ししてくれたのは父だった。きっと父は気づいていたのだろう。母の心もそれによって娘がどんな危険な可能性があるかも。だからなるべく危険を避け、でも娘に最悪の事態が起きたその時には娘を切り捨てでもクレイシア家の家長の役割を果たそうとしていた。優しい父であったが、同時に責任感も高かった。アリナの毅然とした態度は父親譲りなのかもしれない。

そうして雪が溶け始める頃、アリナは馬車にのってエルンセルに向けて旅立ったのである。



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