疑惑
「・・・とりあえずアリナは先生を呼んできてくれるか。俺はここで待っているから。」おそらくこの中に犯人がいる可能性は限りなく低いだろうがここからふたりとも離れる訳にもいかないだろう。こんな不気味なところに女子生徒一人で残すのはさすがに気が引けた。アリナはさすがに青ざめた顔をしていたがなんとか頷きながらペルセの腕にすがるようにして立ち上がると回廊を小走りでかけていった。
アリナが戻って来るまでにペルセはスピナスに駆け寄り、脈を診る。冷たいが、かすかだが動いていることに安堵した。スピナスの体を外に運び出すと、ペルセの上着をかけてあげた。アリナはすぐに戻ってきた。けっこう寒い夜なのに汗をかいているところをみると全速力で走ったらしい。当直の先生の他に騎士団長のカタリオとメリオーズの両先輩、それにマラフまでいる。
「マラフ。どうしてここに」
「あまりに遅いから心配で。そしたらアリナが血相変えて走ってくるから。」
「ああ、ペルセ君。アリナ君から話は聞きました。一応聞きますがスピナス様以外の人影とかは?」
「いえ、特になにも見てません」
「本当になにも知らないのか」一瞬だれの声か分からなかった。それがカタリオの声だと分かるのにペルセはしばらくの時間がかかった。
「なにか知っているのにわざと隠しているんじゃないんだろうな」
「団長。今のは騎士としてあまりにも不適切かと」ペルセが怒りの声を上げる。人を疑うその言葉は上級生とは言え怒りがわく
「ペルセ・ソルディン。先輩として一つ警告しておこう。交友関係には気を付けたほうがいい。夜に女性と連れだって歩いているとなにを言われるか分からない」今の言葉から導き出せる答えはただ一つ。ペルセはそっと隣のアリナをみた。
「学園内の見廻りに付き合っただけです。一人で歩いている女子生徒を見過ごせと先輩はおっしゃるのですか」そう言い返したが内心はアリナの事でひやひやしていた。アリナにまつわる噂、それがこれでまたひとつ増えた。
「君の立場でそのような女性と連れ歩くのはまずいといっているんだ」カタリオはなおもいいつのる。
「やめろ、カタリオ。いくらなんでも後輩の女子生徒に向かって」メリオーズに止められて少し気が休まったらしい。まだ納得できなさそうな顔をしながらカタリオは先生に一礼して来た道を戻っていった。その顔はマラフをいじめていた連中と非常によく似ていた。
「カタリオ君、メリオーズ君。すいませんが二人はスピナス嬢を担架で医務室に連れて行くように。」寮監のグリシム先生は賢い。カタリオとアリナを強制的に引き離すことで、これ以上の対立をやめさせた。
「二人も今夜はもう戻りなさい。ペルセ君、マラフ君はアリナ君を送って差し上げるように」
「先生のご心配おかけして申し訳ありません。」美しい所作でアリナはお辞儀をして女子寮の方に足を向ける。ペルセとマラフもそれを追いかけるようにして隣に並ぶ。
アリナは無言で廊下を歩いて行く。
女子寮に向かう角を抜け完全に先生達の姿が消えたところで弾けるようにダンと音がした。ギョッとして思わず隣を振り向くとアリナの瞳が剣呑な瞳をたたえている、いつもはサラサラとした夜の小川のような黒髪も激しく揺れている。歩く姿だけはこんな時でも染みついているのか美しい。それがかえって恐さを増していた。おそらく今まで静かだったのは先生達の視線を気にしてのことだったのだろう。
「アリナ、落ち着きなよ。」マラフが肩をたたいて鎮めさせた。
「水鳥じゃないんだから」
「・・・そうね、ちょっと取り乱してたかも。ありがとうマラフ」一度冷静にならなければ。
もしかしたら今までもずっとそうだったのかもしれない。入学したときから今までの間のどこかおかしな態度がなんとなく分かった気がした。
だがそれならば尚更聞いて置かなければならないだろう。
「おまえが何を隠してるのか俺は知らない。でもおまえが王妃様に気に入られているのは知っている。そしてそれをよく思わない奴らが多いのも知っている」
聞いてもいいか?とは言わなかった。いっても彼女にはきっとはぐらかされてしまうから。
ペルセが言葉を続ける。
「俺やマラフ。それにセナンだってきっと気づいている」
まあそうだろうなと思う。周りの噂話に気づかないアリナではない。
「王妃様は元ウェルセルムの王女だもの。血のつながった姪っ子はそりゃかわいいでしょ」ハッとしてペルセはアリナの方を見た。ウェルセルムはアリナの故郷でもある。今度はアリナが言葉を続けた。
「王妃様が故郷を懐かしがって、とでもおっしゃられたら宮廷に行くのにも深くは追求されないしね」と言うことはそれだけではないというわけだ。
「なんで王妃様はおまえを呼んだんだ」
「・・・・それはここから先はまだ教えられないわね。でも私がこの学園に来たのは王妃様のご命令によるものよ。それじゃあペルセ、マラフ、お休みなさい」
その晩ペルセはなかなか寝付けなかった。スピナスのこともそうだが何よりアリナの話が気になって目がさえて仕方なかった。
「ひどい顔だね。昨日大変だったんでしょ。スピナスが襲われたってきいたけど」朝起きてセナンは友人のあまりのげっそり具合に顔をしかめた。こんな顔をしたペルセを見るのはいったいいつぶりだっただろうか。
「本当だ」
「大丈夫なの?」
「スピナスのことか」
「それもだけど、ペルセも」納得できない顔をしつつもセナンは自分の分と平行してペルセの宿題を手伝い始める。さすがにこんな状態でほうっておくのはいろいろとまずい。半分ほど片付けたところでポットとティーカップをトレーに乗せてもってくる。目が覚めるよう思いっきり熱くしたスカッとするハーブティーだ。
案の定、思いっ切りむせたペルセが制服のシャツを叩き付けてきた。事前に宿題を避けておいたのは正解だろう。
「それで何そんなにらしくもなく考え込んでいるのさ」
「そのいいかた俺が普段何も考えていないみたいな言い方だな」ムスッとした表情にもハリがない、やっぱり何かあったようだ。昨日の出来事をおもいかえしてみる。
「・・・アリナと何かあった?」ピクッと眉が跳ねる。図星だ。
「相変わらず鋭いな。おまえは」
「何年一緒にいると思っているの」
ペルセは一通り昨晩の出来事をアリナの話も含めて話した。
「そう、王妃様がね・・・」セナンが考え込んだ。こういった考えることは俺よりもセナンの方が向いている。確かに現国王の王妃ヘランナ様はウェルセルムの王女だった。
「僕も王妃様なら何度か拝謁したことがある。確かにキレイな方だったけど賢いって感じじゃなかったな、あのヘランナ王妃様に国政に干渉できる程の力があるとは思えない。王妃様とは言え他国から来た人にどうこうできるような場所じゃないよ、宮中は。ただ今もめているからな。王太子の結婚で」
「そうなのか。詳しいな」
「ククルシオ家の人間だからね。伊達に次期宰相と言われてないさ、父上も。」
「ならアリナの役割は何だ」
「アリナは伯爵家の令嬢だって言っていた。他国の人間が入学する際は厳重な審査がかかるはずだけど」身分を偽造しているとは考えにくい。それは本当なんだろう。
「僕もあの後彼女のこと。調べてみたよ。彼女は間違いなくウェルセルムのクレイシア家の一人娘だった。クレイシア伯爵家はかなりの名家だし、有力な家だ。彼女がスパイとは考えにくいね。王族とはいえ貴族の令嬢にそんなまねさせるとは思えないよ」
「そうだな」ほっとして不安がひとつ消えた気がした。
「王妃様が彼女に求めることか・・・もしかして彼女は王太子妃候補?」
「王太子妃?伯爵家じゃちょっと釣り合わないだろう」
「ウェルセルムに年頃の王女がいないならあり得る。他国だから具体的なことまで知らないし、これ以上調べようと思っても情報が手に入らなかった。けれど王家の中にちょうどいい嫁ぎ先が見つからなかった場合に貴族の中からちょうどいい令嬢を養女にして嫁がせるって話は珍しい話じゃない。王妃様だって、どうせなら自分の身内じゃなくても故郷の人間の方が良いはずだ。この学園に来させたのもここなら将来有望な貴族がゴロゴロいる。足下を固めるには良い場所だ。現に今僕たちは彼女と親しくしている。」
「アリナが王太子妃候補か。こう言うとき本当ならアリナと距離をとるべきなんだろうな」
「まあね。僕たちが親しくしているとソルディン家とククルシオ家は彼女が王太子妃になるのを押しているように見られてしまう。それはそのまま宰相と将軍が押しているって事だ。」
「・・・立場ってやつを考えたらそうなんだろうな。おまえが言っているのは正しいし、おまえの推論もあながち間違ってないと思う」エルンセルにおいてこの二家の力は絶大だ。智のククルシオ、力のソルディン。その次期当主がアリナと懇意にしているということは周りにとってどう見られるか。今改めて考えてみて、ぞっとした。俺がどんなに色眼鏡で見られるのをいやがっても俺はソルディン家の嫡男。それをやめる気はない。自分がどんなにソルディン家の人間であるかと言うことに誇りを持っているのかを今初めて分かった気がする。
もしアリナが王太子妃候補なら、王妃様の、その背後のウェルセルムの手駒としてこの国に来たのなら俺はそれを止めなくてはならない。それがエルンセル貴族の役目だから。




