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英雄達の交友譚  作者: 笹矢ヒロ
第一章 春
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出会い

彼女の故郷を出立して十日程、国境を越えてから数えても三日はたっている。暇つぶしにと持ってきていた手紙や本のたぐいはとうに読み尽くしてしまい、ぼんやりと流れる景色を見ていた。


 馬車の中は豪勢で長期間の乗車でも快適でいられるようにと座り心地から装飾に至る細部にまで様々な工夫がされているのだが、さすがにそれを楽しむのにも限界が来ている。御者はかなり気遣いのできる人間なようで毎日馬車の外からあそこ山の名前は何かとこの町の名前は何で何が有名だとか気を紛らわせられるようにしゃべって来て、馬車を止めてくれるのだが、それでも一日何時間も馬車に揺られているのはつらいものがあった。王都を出てから学園までには黄色いレンガと単調な牧草地が広がっている。大きな革造りのボストンバッグの留め金のすぐ上には入学案内の分厚い紙の束突っ込んである。それを彼女は手にとろうとしてやはりやめた。 もう暗記済みだ。


 それから数刻立ってようやく馬車が校舎に近づくと女生徒は馬車の中から見上げるような形でその壮大な校舎を眺めた。校舎は故郷の都の中央官庁の建物と比べてもなんら遜色がない規模と壮麗さだ。


 自分の故郷の建物と比べてみる。残念ながら教育設備ということに関してはこちらの方が1歩も二歩も先を行っているというべきであろう。


 気持ちを切り替えて、馬車から御者に手を貸してもらいながら降りた。長い旅路で折り目がついてしまった新しい制服のスカートを直し、ついでに髪も整える。荷物は運んでもらえるらしいので大丈夫だろう。

馬車が行ってしまったとたんに急に不安な気持ちに襲われた。芝生がやけに青々と広々としている。

いつもなら美しく見えるそれがいまはとても不安な気持ちにさせた。 

そうだ、これからは自分一人で行動しなくてはいけないのだ。人を探して道を聞きたいが出迎えはまだ来ていない。正門に飾ってある大時計の針を見ると予定よりだいぶ早めについてしまったようだ。

どうしようか、このまま講堂に行っても誰もいなさそうだ。少しこのあたりで時間をつぶしたほうがいいかもしれない。





 そういうわけで少し周囲を歩き回ることにしたが歩き始めてすぐにその判断を彼女は後悔し始めていた。なんせ敷地がとにかく広いのだ。このことは入学前の説明で既に分かっていたのだが改めてその広さに目を奪われる。

 三棟の授業校舎はその一つ一つが巨大で頑強な石造りの建物であり、それぞれの角には塔が一際高くそびえ立っている。それらの眼前に広がった広大な敷地にはただの広場や芝生だけでなく花園もまたよく整えられていて素晴らしい。

模擬戦の際に様々な環境を再現できるようになった演習場も付属されている。一番左端は図書館になっていてそこにはあらゆる分野の本がそろっている。図書館は地上地下含めて七階建てとなっていて、その中には機密指定の書類も保管されているという。まさに学問には最高の環境だろう。

これはもう学校というよりも国家の施設といったほうがいいかもしれない。

建物自体には歴史を感じさせられて壁や渡り廊下はレリーフがモザイクや大理石で覆われている。


 少し感動を覚えながら校舎内を歩き回る。あんまり遠くまで歩き回るわけにも行かないだろう。どこか手ごろなところで暇をつぶせそうな場所はないかとあたりをうろついた。幸いすぐそばに都合よく手入れされた中庭を発見した。設置されている大理石で出来た長椅子はいかにも心地よさそうだ。





 中庭は春の色とりどりの花と朝露に湿った芝生の匂いが鼻をくすぐり、見上げると四角く切り取られた美しい朝の空が広がっている。中央の噴水の脇に座って手を高く上げると朝早くから馬車に乗ってきた疲れをほぐした。


そんな彼女をペルセが見つけたのは偶然だった。答辞を述べるための講堂の位置はここからもっとも離れたところにあるらしい。それを知った瞬間、ペルセは今度こそ盛大に顔をしかめた。





そうやって重い足で講堂に向かう途中にペルセは彼女を見つけたのである。胸には白い造花の飾りがついている。そこから察するにペルセと同じ新入生だろう。ただエルンセル人とは違う、どこか異国風の面差しがある。もしや留学生だろうか。基本的にここは国内の人間のための学校だが例外的に毎年数人程他国からも留学生が受け入れられてきているのをペルセは知識として知っていた。それにしてもこんな朝早くから来ているなんてよっぽど気合が入っている生徒に違いない。ペルセはその生徒を覗き見た。


制服から女子生徒だということはすぐにわかった。横顔からみてもなかなかの美少女である。ふと彼女が視線をこっちに向けた。どうやら向こうもこっちに気づいたらしい。腕を伸ばしてくつろいでいたところを見られたのが気恥ずかしかったのか、ほんのりと顔が赤くなっている。そんな姿さえ可憐で美しいのだが。





「あなたも新入生?」恥ずかしさをごまかすようにそう聞いてくる彼女はこの国には珍しい深い青の瞳の色の持ち主だった。正面から改めて見るとその筋の通った美しさが際立つ。文句なしに美少女と呼べる顔立ちだった。


「ああ、まあな。ということはお前もそうなのか。」そう言いつつペルセは彼女から目が離せないでいた。その異国風の美しさもあいまって引きつけられてやまない。


「ええ、そうよ。私はアリナ・クレイシア、よろしくね。」


そういって自己紹介をした彼女の名字はやはりこの国の貴族のものではない。ペルセでなくても貴族はその立場から国中すべての貴族の名字を知っている。そもそも貴族なんて国中で一握りしかいないので名字の数もそう多くないのだ。


「俺はペルセ、ペルセ・ソルディンだ。よろしく」一瞬迷ったが家名も名乗った。やはりその名前に彼女はおもわず形のいい眉を動かした。


「・・・ソルディン?もしかして《あの》ソルディン家の人なの?」彼女の質問はもっともなものだった。が、その質問にペルセは言葉を濁らせた。


「ああ、まあ・・・ソルディン家はこの国にひとつしか無いはずだから君が言うソルディンは俺の家のことだと思うぞ。」ソルディン家はこの国屈指の名門の家柄であり、この国の人間ではないとはいえ彼女もその名前は知っていた。


「そうね。考えてみればそうよね。よろしくね、ソルディン君」彼の名前は確かに彼女に驚きをもたらした。だが、異国人である彼女の受けた衝撃はこの国の人間に比べれば微々たるものだったらしい。異国人であるが故に知識として知ってはいてもその反応にペルセは少し対人用の仮面を外した。


「ペルセでいいよ。なあ、さっきから薄々思ってはいたんだけど、クレイシアさんって外国からの留学生だったりする?」


「ええ。ウェルセルム皇国から留学してきたの。それと私もアリナでいいわ」そのセリフにペルセは納得した。これでも各国の人々の特徴くらいは頭にたたき込まれてきたのだ。すぐに目の前の女生徒との顔立ちに納得がいった。この国では珍しい濃い色の瞳はウェルセルム人の特徴の一つだ。


「そうか、それじゃあ俺は先に呼ばれているから、じゃあ、またなアリナ」そういって去っていくペルセの姿が見えなくなるまでアリナはその姿を見送っていた。





先に呼ばれているということは、おそらく彼が今年の新入生主席なのだろう。それは名門ソルディン家の一族・・・それもおそらく直系のものなら当然の結果だ。なんにせよここでの目的を果たすためには彼とも関わって行く必要がある。


「偶然とはいえいいきっかけになったわ」アリナはにこりと笑った。


その後入学式は滞りなく終わり、ペルセの答辞もさっきまでの気の重さは何だったのかとあっけないほど無事に終わった。しかし大変なのはこれからだとペルセは早速後悔することとなる。





体育館を出ようとするペルセはあれよあれよ人だかりに囲まれてしまった。入学式で壇上にソルディン家の人間だと知れ渡られているのでこうなることは予想はできたはずだが、その時のペルセにはそこまで考えが及ばなかったし、その居心地の悪さすらもペルセにとっては既に慣れてしまっていたこともある。





囲んでいる生徒の殆どは貴族の次男三男で親の後を継げない奴らだ。


彼らはこの学園でひいては騎士あるいは文官としての地位を築くために今から躍起になっている。その為の第一歩のために騎士団のみならず、各方面に多大なる力を持つソルディン家の嫡男であるペルセと知り合いになろうとしているのだ。


それが悪いことだとは言わない。その為の学園でもある。けれどもペルセは内心苦笑していた。


仮にも騎士や官吏を志すものならば自分自身の才能を磨くべきだ。すぐに人に頼っているような人間が信頼されるはずがないのだから。


ペルセは適当に受け流しながら目を泳がせていたが、ふと知っている顔を見つけてこれ幸いにとその中に入っていった。すると、そいつもこれ幸いとばかりに人垣をかき分けてこちらにやってきた。どうやら考えることは同じらしい。





先ほど取り囲んでいた連中を人に頼るような奴だと評したが、目の前にいる男子生徒はその人に頼らない奴、例えばペルセみたいな嫡男か権力におもねる気がないのか、自分に自信があるのか、そのすべてをこいつは持っていた。


「久しぶりだね。ペルセ」





「セナン、久しぶりだな。入学おめでとう」





「ペルセも主席入学おめでとう。なかなかの答辞だったよ。さすがはソルディン家の嫡男」





「セナン・・・お前までそういうこと言うのやめろよ。てめえだって似たようなものだろう」ペルセは肩をすくめながら心底いやそうに苦笑交じりにしゃべる幼馴染の親友をにらんだ。セナンに悪気がないのはわかっているが、それでも文句の一つは言ってやりたくなった。ペルセとしては話を聞いたとたんぜひとも辞退したいところだったのに。





「前がやればよかったのに」





セナンのククルシオ家も名門で、彼はその嫡男だ。ソルディン家とも親戚関係にある。ペルセとも幼少のときから付き合いがあるお互い気の置けない間柄だった。


どちらかというと国内のククルシオ家は代々文官として活躍しており、セナンの父も副宰相を務めるなど活躍している。セナン自身も頭の出来はかなりよくこの学園でも筆記では文句なしで一番の成績を誇っている。正直入学の答辞もセナンの方がよっぽどうまくこなしたのではないかとペルセは思った。たとえ口に出したところで一蹴されることは目に見えているが。


優等生な割になぜかこの幼馴染はこういった類を昔から面倒にする節があるのだ。





もっともペルセも人のことは言えないのでそのことは口に出さずに胸の内に留めておいた。





「ところで、他に誰を探しているの?」





「・・・なんで俺が人を探しているって知ってるんだ」





「あ、やっぱりそうなんだ」





俺の目の動きでも読んだのか、目ざといこの幼馴染みはにやにやとしている。





そして、しゃくなことに当たっていた。





目を引く顔立ちをしている彼女は異国人というものめずらしさもあり、人だかりが出来ていた。次々と質問攻めにあっている彼女は少し困った顔している。ペルセはもう慣れているが慣れていないものからすると疲れるだろう。





「少し空けてくれないか?」それだけで海が割れるがごとく人混みがどいていく。





「助かりました」そう言って軽くお辞儀をしてアリナはペルセ達の方に進み出てた。





「初日から大変そうだな」





「ペルセ君ほどじゃないけどね」後ろの人混みを見ながらアリナは話した。





「へえ~、美人だね」セナンが二人の会話に割って入った。アリナの顔を見た後、ペルセに向かってだいぶ意味ありげな顔をする。





「おい、なんか言いたそうだな」





「言っちゃあ、だめかい?」フウッと肩を下ろすとペルセはセナンを指さした。





「セナン、彼女の名前はアリナ・クレイシア。ウェルセルムから来た留学生だ。アリナ、俺の隣の生徒はセナン・ククルシオ。俺の幼馴染みで従兄弟でもある」





「こんにちは、セナン様」





「こんにちはアリナ嬢」





ちなみに二人が自己紹介をしている間に声をかけてくる者はいなかった。ソルディン家とククルシオ家に声をかけようなどというバカはそうそういるはずもないので当然といえば当然なのだが。





こうして無事入学式を終えたその翌日、ペルセは起床時間の半刻前に目を覚ました。きっかり予定の半刻前に起きられるのは長年実家で朝早くから厳しい稽古をつけられてきていた習慣の賜物であろう。寮はありがたい事に完全個室であり、周りに気兼ねせず仕度できる。学校で指定された制服は白のシャツに黒のベストとズボンである。冬になるとそこに長袖の上着とマントを羽織るのだが今の季節それは必要なかった。校章のはいった楕円のループタイの上には真鍮の留め具がついている。





この制服は創立当初から変わっておらず、どことなく騎士団の制服に似ている気がするのはかつて生徒がそのまま学生が義勇軍として赴く際の制服代わりになっていたためだと言われている。そのためか動きやすく作られているのは堅苦しいのが苦手なペルセとしてはありがたいが。





しつこい髪の癖を鏡の前でいじっていると軽く扉を叩く音がした。ペルセは手をいったん止め、扉を叩いて返事をした。その合図を聞き二人の生徒が入ってきた。マラフとセナンである。マラフはつい先日知り合ったばかりの平民出身の生徒だが、身分に関わらず口を聞いてくれるのでありがたかった。なぜか二人とも慌てて着込んだのかシャツがどこかよれているし、ループタイも曲がっている。





先に口を開いたのはセナンだった。





「相変わらず朝が早いな、ペルセ。だがその髪はあきらめて急いで食堂に下りたほうがいい。」その言葉にペルセは首をかしげた。まだ朝食の時間までだいぶ余裕がある。そのことを口にするとセナンはにやりと笑った。





「この学校の因習でね。なんでも一年生は朝食の準備をしなくてはいけないらしい。さらには一番遅れてきた生徒は食堂の掃除を言いつけられるそうだ。」





「もっと早く言え」聞いた瞬間にペルセは髪を直すのをあきらめた。





「僕もマラフから今聞いたばかりだから」そういってセナンはマラフのほうを見た。





二人の髪には寝癖などない。さらさらとした二人の髪を見ながら、無意味だと分かっていてもペルセは手で髪をいじくった。





「知略を得意とするククルシオ家の嫡男としてはもっと余裕を持って行動するべきじゃないか?」





食堂に下りながらペルセが意地悪く問いかけるとセナンは





「僕の家が得意なのは情報を集めた後どう行動するのかだから」と言い返す。


まったく、さらりと貴公子然とした言葉と髪が憎らしい。





「二人ともお父さんから聞いてなかったの?」マラフの質問はもっともだった。ペルセもセナンもこの学校の卒業生でこの伝統は知っていたはずだった。





「教えてもらってない、多分わざとだな。」ペルセは顔をしかめた。もしかしたらそれも含めて、この学校の伝統の一部なのかもしれない。


「マラフはどうして知ってたんだ?」普通に考えればマラフのほうこそ知っていなさそうだ。


「先輩の話を立ち聞きしたんだ」この新しくできた友人はなかなか耳ざといらしい。とにかく彼のおかげで初日から大失敗することは避けられた。





どうやら道に迷ったらしく、めでたく初日に最下位になってしまった生徒が周りの生徒にからかわれているのを見ながらペルセは他の仲間と共に朝食をとった。


「ペルセが大変なのはこれからだよ」そう言いつつセナンはパンをかじる。


「朝から不吉な予言だな」


思わずフォークをペルセは止めた。





彼の予言はよく当たるのだ。



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